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January 14 2016 By 横田 泉

「独自のスタイル確立したい」新体操に変革起こした国士舘 選手を動かした監督の手腕

新体操は長らく、東京女子体育大学と日本女子体育大学の2強状態が続いている。特に東女体の強さは圧倒的で、全日本インカレを65連覇、全日本選手権でも20以上の連覇を誇っている。この絶対王者に対するのが日女体だ。全日本選手権・全日本インカレで東女体の連覇にストップをかけたのは日女体だったが、絶対王者から王座を奪取したことは驚きをもって受け止められた。しかしいずれにせよ、この2つの強豪が、長きにわたって新体操界をけん引してきたことは間違いなかった。

そこに近年、新しい動きが起こっている。この争いに国士舘大学が割って入るようになったのだ。スポーツ強豪校としてのイメージが強い国士舘だが、新体操では決して優勝争いに絡んでくる存在ではなかった。実績でみていくと、2012年は全日本選手権4位。しかし4位とはいえ、3位との差は3点以上も開いていた。それが、翌13年には日女体と同点準優勝。14年も準優勝を果たした。新体操団体では、16点台にのれば高得点とされる中、国士舘はこの年のリボン+ボールの演技で16.400の高得点を叩き出している。この時、優勝を果たした東女体との点差は1点を切っていた。そし昨シーズン、15年の全日本選手権でも準優勝を果たした。

数年前までは表彰台さえ難しかったチームが、今や確かな脅威となっていた。多くの人にとって、これは衝撃的といっていい出来事だった。

この大きな変革の背景に、ひとりの指導者の存在があることは、新体操関係者、ファンにとっては知られたことだった。国士舘大学の山本里佳監督だ。現役時代は新体操の日本代表として世界選手権などへの出場経験があり、現役引退後は新体操強豪国・ブルガリアでコーチとして活動。ブルガリアの人気選手のコーチを務めたことでも注目された。帰国後は日本代表チームのコーチを務め、12年に国士舘大の監督に就任した。

国士舘大学の山本里佳監督

国士舘大学の山本里佳監督

就任が、12年。国士舘が結果を出し始めたのは13年からであるから、わずか1年ほどで実績を上げたことになる。この短期間で、なぜそれが可能だったのか。さらに言うと、彼女の母校は東女体である。なぜあえて国士舘で指導することを選んだのか。それを知りたくて、国士舘大学を訪ねた。

2015年12月中旬、国士舘大学多摩キャンパス。ここにある新体操部の練習場は、天井が高いのが特徴だ。手具を投げあげても天井にぶつかる心配がないから、選手たちは思い切った投げの練習をすることができる。広さは、男子フロア、女子フロアを1面ずつ敷けるほど。体育館を訪れた時、選手たちはフロアの外のわずかなスペースをうまく使って、ストレッチやバーレッスンに励んでいた。それをフロアの正面で見ている山本監督から、時々指導の声が飛ぶ。部員は、引退した4年生をのぞいて25人ほど。強豪チームの部員が100人近くなることを考えると、決して多い方ではない。そのせいか、練習の雰囲気は引き締まるでも、弛緩するでもなく、ただ個々の適度な集中が感じられるものだった。

山本監督に、なぜここで指導することを選んだのか尋ねてみた。その答えは、端的に彼女の人柄を表しているように思えた。

「やるんだったら、まっさらな方がいいかな、と思ったんです。まだカラーが定着していなくて、でも施設がきちっとあって、そんな環境が何か新しいことをやるのに適しているなと思って。『好きなことやっちゃえ』って」(笑)

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山本監督のこの性格は、ブルガリアでのコーチ時代のエピソードからもうかがい知ることができる。コーチ修業のためにブルガリアに渡った彼女が、そこで指導することになったのがマリア・ペトロバだった。ペトロバは当時、世界選手権で優勝したスター選手だった。それだけに能力は高く、「ここをこうして」と指示するとすぐに再現することができた。スター選手の指導ができることは恵まれているようにみえるが、山本監督の胸中は違った。「これは、自分にとって勉強になるのだろうか」――。

そんな折に、ブルガリアの新体操クラブの、下位クラスのコーチに空きが出たという情報が入ってきた。11歳~14歳まで、6人のクラスだった。山本監督はこのクラスでの指導を志願した。

ここでの指導は「すごく勉強になった」。6人の選手は出身地域がバラバラで、このクラスに入る以前は、それぞれが異なる地元のクラブに通っていた。そのクラブのコーチが、土日になると山本監督の指導を見に来るようになった。自分が教えた生徒を、新体操では後れを取っている日本のコーチがみていると聞いて、居ても立ってもいられなくなったようだった。当初、決して好意的ではなかったそのコーチたちも、話しているうちに、みな自分の育てた選手のことを考えているのだと分かるようになった。

「週末ごとに来るいろんなコーチが、いろんなことを教えてくれました」

打ち解けると、コーチたちは自身のクラブの指導法など、さまざまなことを教えてくれるようになった。この時、指導のノウハウに加え、コミュニケーションの取り方も学んだと山本監督は振り返る。また、選手を育てる楽しさも、この時に強く感じたようだ。

「楽しかったですよ。体はすっごく固いのに、踊る気は満々!みたいな子とか、いろんな子たちがいて」(笑)

監督はその後、このクラスからヨーロッパジュニア選手権の金メダリストを輩出した。

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そうした山本監督の背景を知ると、国士舘を指導の場に選んだことも、そう不思議のない決断と言えるかもしれない。だが就任当初、山本監督は国士舘の練習風景を見て驚いたという。初めて訪れた練習では、1年生がほとんど練習に参加していなかったのだ。団体レギュラーには上手な1年生がひとり入っているのみで、あとは全員が4年生。厳しい年功序列の決まりがあり、ほかの1年生はフロアで練習することもままならない状態だった。

翌日から、山本監督は練習を「全て変えた」。過度な年功序列の決まりをなくし、練習内容についても、ウォーミングアップから全て見直した。急激な改革に、何とかついてこようとしてくれる選手もいたが、一方で、そうでない選手もいた。

当時、国士舘は全国的にみて中堅クラスのチームだった。勝利へのプレッシャーがないその立ち位置は「大学で新体操を続けられればそれでいい」という選手にとってはちょうどいいものだった。だからそんな選手にとって、山本監督がもたらした改革は決して意に沿うものではなかった。「こういうことがやりたくて、部活に入ったわけじゃない」――そんな声があがった。

こういったとき、監督はどうするのか。徹底的に話し合って納得してもらうか、そうでなければ袂を分かつか――山本監督の場合は、そのどちらでもなかった。その選手たちと話し合い、結果「それなら、あなたたちの望むようにしましょう」と、選手側に合わせる形に落ち着いたのだ。

山本監督は当時のことをこう振り返る。

「(話し合いでは)私の考えも言うけれど、選手たちも意志をもって言ってくる。実は私は、話を聞いていて、『一理あるな』というところは、どの人と話していてもあると思っていて。私とは考えが違うけど、『一理ある』のはどんな人の意見にもあるんですよね。この時、反発があったのも、私が急激にやりすぎたところがあるかなと思ったんです」

そしてその後は意見も取り入れ、その選手たちの「望む形」で練習を続けた。だがしばらくすると、チームの中に変化が表れ始めた。やる気のある下級生が入部して来たり、さらにはそれに感化されて、上級生も努力を重ねるようになったのだ。そんなチームの変化を見て、監督に意見した選手たちも最終的に「自分たちも、同じようにがんばっていきたい」と話したという。

ここで大きいのは、選手が自ら「がんばる」と決めたことだろう。そしてそれは、監督が一度、選手の意見を受け止め、反映させたからこそできたことだ。自らの意志で取り組む練習は、ほかのどんなトレーニングよりも大きな効果を発揮する。そして実際に、国士舘は監督の就任翌年から大きく実績を伸ばしていった。

この出来事から分かるのは、山本監督の「個々」への配慮だ。個人の意見を吸い上げ、それを練習に反映させる細やかな対応だ。そしてそれは、技術的な指導にも同じことが言えた。

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新主将の武田佳奈は、監督の指導についてこう話す。

「その子に合った注意の仕方をしてくれます。柔軟性など、その人の体のタイプ別に注意の仕方を変えてくれる。なので、なぜその技ができないか、分からないことがないんです」

例えば、ターンが回れない選手がいるとする。もしかしたら、体の引き上げや、重心をおくポイントに問題があるのかもしれない。そうなると「体をもっと引き上げて」といった指示をすることになるが、監督はそこだけではないという。体を引き上げられないのはなぜなのか。どこか故障しているのか、あるいはどこかの筋力が足りないのか。だとしたら、どういうトレーニングをすればそれを補うことができるのか。それを考えて、個々の練習に反映させるという。この指導法も、海外や国内のさまざまな選手を指導する中で、意識するようになったことだと山本監督は話す。

この日の練習でも、個人演技のラストの技でミスしてしまう選手に、こう話していた。

「(ミスしてしまうのは)それは考え方のクセだよ。ラストで何も考えていないから。そのことに気づかないと、良くなっていかないよ」

ひとつの動き、ミスから深く考察する。だから、選手の変化に気づくのも早い。主将の武田はこうも言っていた。

「練習でいつもと体の動かし方が違うと、すぐに気づいてくれます。生活面でも、ちょっと表情が暗いとすぐに気づいて『何かあったの?』と、親身になってくれて。技術ももちろんなんですけど、心の面でも、ひとりひとりのことをすごく考えてくれます」

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これがすべてではないだろう。だが、国士舘躍進の背景にはこうした細やかな配慮や、選手のメンタルの変化があったことは間違いない。

全日本選手権で準優勝までこぎつけた国士舘。次の目標は、と山本監督に質問したところ、予想とは違う回答が返ってきた。

「目標の上限は決めていないんです。高いものを掲げるようにはしているんですが。ただ、自分たちの独自のスタイルをつくって、毎回の試合で出すことができればいいなと思っています。ロシアやブルガリアやベラルーシは独自のスタイルを確立していますが、私も独自のスタイルを確立したい。それが国士舘のスタイルになっていけばいいかなと思います」

それはあるいは、優勝よりも高い目標かもしれない。

 

横田 泉

横田 泉

宮城県出身。編集プロダクション、新聞社ウェブ部門などを経てフリーランスに。スポーツは体操、新体操を中心に、ラグビー、駅伝等、幅広いジャンルを担当。体操はアジア選手権、世界選手権なども取材。

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