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January 25 2016 By 山本亨

久々登場!F1に一番近い日本人「松下信治」をご存知ですか?

F1直下に位置するGP2レースの成績いかんで最高峰のシートが見えてくる!?

1987年、中嶋悟氏がロータスF1チームのパーマネントドライバーとして出走したのに始まり、同年、鈴鹿サーキットではF1日本グランプリが開催された。これと同時に、地上波でフジテレビが全戦F1グランプリを実況中継したことで、一気にF1ブームが巻き起こったのは今から30年前のことになる。当時はホンダの第二期F1活動(エンジン供給)に続き、レイトンハウスのF1チーム参入など、F1界そのものを日本企業が席巻していた。

最近では、ホンダが2008年いっぱいでF1チーム運営を断念して撤退。続く2009年にはトヨタも撤退した。当時、トヨタのサードドライバーだった小林可夢偉が、正規ドライバーであったティモ・グロッグの病欠と負傷で手に入れたレースシートで魅せた印象的な走りが、翌年のザウバーチームへの契約につながったことは記憶に新しい。それから小林は日本企業の目立った応援も無いまま、自分の腕一本で2010年から2014年までF1サーカスの一員として活躍し、表彰台を含め歴代日本人ドライバーで最多ポイントを得ている。
その小林可夢偉以来、F1にもっとも近い日本人ドライバーが出現した。

といっても自動車専門誌でさえ、そのドライバーの活躍をほとんど報道していないから、一般的な知名度は無いに等しい。彼の名前は、松下信治(のぶはる)という。もちろん「彗星のごとく現れた!」わけではないが、経歴としてはエリートと言えるほど見事なものだ。

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「GP2レースは全部コースが違うから、初めてのコースばかりだったので難しかったですね。フリー走行で与えられる時間はたったの45分間。その中でコースを覚え、次にコースを走る時は違うタイヤのコンパウンドでいきなり予選ですから。だから予選はどうしてもばくちみたいな走り方になってしまいます。ブレーキングポイントも徐々に詰める時間なんてないですから、いつも直感です。だから失敗しないほうが不思議なくらい。これまで日本で培ったレースの基本的なドライビングは、GP2でも役に立っています。いくつかのレースでは予選がうまくいったり、決勝でも勝つことができましたから」
GP2レースは、そのほとんどがF1グランプリに帯同する形で世界戦を行うF1直下のカテゴリーで、そこで戦う唯一の侍ドライバーが松下信治なのだ。参戦初年度となった2015年のハンガリー戦で「待望の初優勝」を飾っている。

「予選で失敗したのでかなり気持ち的に落ち込んでいたんですが、決勝が始まるとレースペースが思っていた以上によくて、レース1では8位まで上がれたんです。リバースグリッドになるレース2では、ポールポジションスタートとなって緊張しました。チームメイトで同じクルマに乗っているストフェル(・バンドーン)に一時はすぐ後ろまで迫られたんですけど、そこからもう一回ストフェルを離してレースをコントロールすることができたんです。なので『所詮はリバースグリッドからの優勝でしょ!?』とよく言われるんですけど、ストフェルをレースで抑えきったというのがすごく自信になったレースでした。ストフェルはなにしろシーズン中は一切遊ばない。レースに対する取り組みやクールさは大いに見習うところがありました。ストフェルに比べると、自分はまだまだ足りていないところがたくさんあると感じたし、すごくいい勉強になりました。自分で足りない部分もはっきりと見えました」

彼が所属するGP2のチームは、2015年もチャンピオンを輩出している名門チームだ。過去には、ルイス・ハミルトンやニコ・ロズベルグなどが在籍していると言えば、どれほどすごいチームか分かってもらえるだろうか。

引きこもりがちだった埼玉の松下少年が、カートに出会ったのは4歳の時だ。「これだ!」という、ひらめきに近い乗り物との出会いに心が躍ったという。それからは、カートに乗れば乗るほど成績がついてきた。カートのジュニアカテゴリーでは、8歳にして「全日本ジュニアカート選手権」に参戦し、見事優勝を飾っている。その後も国内のカートレースでビッグタイトルを数々獲得し、2011年に四輪フォーミュラに転向。元F1ドライバーとして活躍した佐藤琢磨などを輩出した鈴鹿サーキット主催のSRS-Fというレーシングスクールを首席で卒業。2012年にはフォーミュラ・チャレンジに参戦し、挑戦初年度でチャンピオン争いを繰り広げた結果、5勝を挙げてルーキーとして初のチャンピオンを獲得。一方、日本人初となるフェラーリの若手育成プロジェクトにも参加し、フェラーリの本拠地にあるフィオラノサーキットでF3マシンをテスト。さらに2013年には全日本フォーミュラ3選手権にホンダのバックアップを受けてステップアップ。翌年も同じ体制でF3に参戦を果たし、6勝を挙げてチャンピオンとなった。この成績でホンダのスカラシップを獲得し、マクラーレンF1チームのジュニアチームであるGP2カテゴリーの名門ARTチームに移籍、舞台を世界に移すこととなった。これに伴い居住もフランスのパリとし、一人暮らしが始まる。

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「昨年の最後のGP2のテストがアブダビで行われたんですが、ノープレッシャーの時はいいタイムを出せるので、それをいつでも出せるように走れれば予選で一位も取れますし、結果も付いてくると思います。とにかくポジティブに物事を考えるようにしています。
GP2で結果を残すことが、次につながる第一歩になりますから。だからGP2のタイトルをなんとしても手に入れたいですね。ですが、2015年圧倒的速さを見せたストフェルでさえF1に行けない厳しい世界ですからね。でも一年間、ストフェルのタイヤマネージメントのうまさやレースでのバトルのうまさを近くで見て勉強させてもらいました。彼はGP2の激しいレースでも、常にしっかり生き残って上位で結果を残していますからね。僕としては最高のドライバーから学ばせてもらいました」

2015年の松下のARTのチームメイトだったストフェル・バンドーンは、マクラーレンのリザーブドライバーを務めている。2015年はシーズン7勝、ポールポジション4回、ファステストラップ7回という圧倒的速さを見せた。それでも松下は、驚くべきことに開幕のバーレーンでの予選ではフロントローにつける速さを見せただけでなく、レース2ではレース中のファステストラップも記録するという非凡な速さをいきなり見せつけた。松下をよく知る人間が言うには「一年でまったく変わったね、松下君の印象。頼もしくなったし、明るくなった気がする。いい意味で図々しくなったかもね」と評している。

2016年、ぜひとも松下信治の名前を皆さんの頭のどこかにとどめておいてほしい。ナショナリズムで言うならホンダF1活動の大躍進を願うとともに、彼の名前をテレビや新聞で見かけることになるかもしれない。「松下信治、F1チームと契約!」という見出しとともに、彼の名前が皆さんの目に飛び込んでくる日をぜひ心待ちにしたい。

 

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協力:<WEB CARTOP編集部>  http://www.webcartop.jp

山本亨

山本亨

自動車雑誌の編集者として歴任。モータースポーツ専門誌、F1速報誌、月間で発行される動画媒体の編集長として活躍。その後クラシックカーなどのやイベントや雑誌を手掛け、現在は交通タイム社にて、WEB CARTOPの責任者とともに、F1RACING誌とスバルマガジン誌の編集人を兼務。

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