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February 03 2016 By 向 風見也

ラグビー日本選手権。帝京大主将の坂手淳史は、なぜ笑ったのか。

ラグビー日本選手権。帝京大主将の坂手淳史は、なぜ笑ったのか。

大学選手権7連覇を果たし、日本最高峰トップリーグの王者を倒す…。帝京大学ラグビー部主将の坂手淳史は、その壮大なプロジェクトに挑んできた。

15―49。芝の禿げた東京は秩父宮ラグビー場で、パナソニックに敗れた。学生ラグビー界でのミッションは果たしたものの、2016年1月31日の日本選手権では苦味を知ったのだった。「この悔しさから何かが生まれて、またここから努力し直す。それが帝京大の強さだと思います」と振り返った。

 

京都府出身。久々に会った1学年上のラグビー選手と敬語で談笑し、別れ際に「じゃあね」と発し、最終的には嫌われない。逆に目の前で後輩の部員が「坂手さんは、みんなの前では優しくしてくれます」と言っていても、楽しげにしていられる。そういう人である。

競技者としては、ぶれない激しさを持ち味とする。

2012年1月3日、大阪の近鉄花園ラグビー場(当時)。全国高校ラグビー大会の準々決勝で、京都成章高の主将としてその長所で魅せる。自陣ゴールラインを背に、堅実な守りを繰り返したのだ。奈良の御所実業高を相手に、7―7と引き分け。抽選により4強入りは逃したが、観客の心は掴んだ。斧で大木を切り落とすようなタックルは、10代の頃から大人たちに通用した。

坂手は身長180センチ、体重104キロの堂々とした体躯に、滅多に目玉を動かさずに気持ちを伝える精神も持っていた。

「どんな相手にも負けたくない。誰が相手でも全力で頑張るのですけれど、相手が強い方が燃えるというのは、あると思います」

チャンピオンチームの主将も、自然な流れで任された。

 

シーズン開始前から絶対王者と目されていたなか、行き止まりに出くわした。

2015年11月29日、学生相手には4季ぶりとなる黒星を喫した。

タックルした選手が起き上がりながら、その場で帝京大の選手にぶつかる…。相手の筑波大は、ルールの解釈方法によっては際どいとされる動きにかけていた。かようなプレーさえもさせずに圧倒するのが帝京大のブランドだったはずだが、その意識設定があいまいだったか。坂手らはやや面食らい、試合終了直前に17-20と逆転された。

ノーサイドの笛が鳴った直後こそ、主将は平然としていた。黒星を受けてのチームビルディングを、頭のなかで整理し始めていたのだ。

しかし、八王子市は上柚木陸上競技場のスタンドを見上げると、整理しきれぬ感情があふれ出した。試合に出られない100人超の部員が、試合に出た自分よりもはるかに悔しそうだったからだ。泣くつもりはないのに、泣いてしまった。

ゲーム直前のウォーミングアップに緊張感が足らなかったような…。その場で気付いて、何かを言っていれば…。冷静になってみれば、いくつもの反省点が頭をもたげた。

翌日のことだったか。他のチームリーダーとともに、岩出雅之監督のもとへ集まった。すべてを見透かされたように、こう、言われたようだ。

「これで、わかっただろう」

以後、本当の意味で全力を誓った。具体的には、接点で相手を引きはがす際の強度と質にこだわった。転んでもすぐに起き上がる。小さな積み重ねで大きな成果を得る。それをチームの、自分自身のモットーとしていた。

大学選手権のさなかに左腕を脱臼し、準決勝の欠場を余儀なくされた。それでも周りの仲間の全力は変わらず、本人も個別調整で汗を流した。

2016年の元日は、学校に併設されたジムでバイクを漕いだ。クラブへの誠意を示すため、己の信念を貫くため。無機質なモーター音を鳴らすその脇では、駅伝競走部がストレッチをしていた。翌日から箱根を舞台に大舞台に挑む予定だった。坂手は、自分だけ汗だくになっているのが何ともおかしかった。

坂手は万全ではないなか、信頼の証したる赤いジャージィをまとった。東海大を破った10日の大学選手権決勝に続き、日本選手権でもリザーブに登録された。背番号は控えのフッカーがつける「17」だった。

来るべき勝負を控えた、秩父宮の入場ゲート。汗にまみれて掴んだ自信によって、夢の時間を控えた高揚感によって、坂手は、笑った。

「あまり意識はしていないのですが…。やっとグラウンドに立てるという思い、これから始まるというわくわく感、チームへの期待、自分への期待、それが表情に出たのだと思います」

 帝京大、日本一へ挑戦 監督の話を聞く選手ら  岩出監督(手前)の話を聞く坂手主将(中央)ら帝京大の選手たち=東京都日野市

帝京大、日本一へ挑戦 監督の話を聞く選手ら  岩出監督(手前)の話を聞く坂手主将(中央)ら帝京大の選手たち=東京都日野市

 

後半開始から出場も、望んだ結果は得られなかった。こだわってきたぶつかり合いの局面で、パナソニックのうまさを感じた。

相手は国代表選出経験者を15人も揃えていた。帝京大の束での好タックルに押し込まれても、そう簡単には倒れなかった。うまく身をよじらせ、球だけは守った。その延長線上で、かすかなスペースを一気にえぐった。

「よくやれたかなという思いと、悔しかったなという思いと…。負けてはいないんですけど、前に出られる。その難しさはありました」

坂手はこう述懐する。誇りは失わずして、具体的な課題を口にする。大学のクラブ活動のエピローグを、こうした態度でまとめ上げたのだった。

「いつもは違う土俵でやっているのですが、きょうは同じ土俵でやらせていただく。同格の敵と見ていました。胸を借りるというより、勝ちに行く、と」

卒業後もボールを追う。今回ぶつかったパナソニックに入る。目指すは日本代表への定着、さらには海外挑戦の実現だ。

肩書はプロ選手となる。穏やかな風が吹く季節からは、自分の生活と信念を自分で守らねばならなくなる。選手としての所属先こそあれ、社会人としての所属先を持たぬ立場だ。

いざ、変化の春へ。

「リスク、先の見えない怖さはありますけど、プロになることで見えてくるものもあると思ったので。ラグビーを、目いっぱいやれる。そのメリットの部分を見ていきたいです」

迷わない。迷うそぶりを見せない。だから主将を務めきれたのだ。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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