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February 04 2016 By 佐藤 喬

「晩年」鈴木真理(前篇)

栗村(修)さんも丸くなったよなあ、と鈴木真理は思う。現役時代はあんなにギラギラしていたのになあ。

いや、あるいは僕もそうなのかな? この歳になると、周りを見るようになってしまった。でも選手はやっぱり、キレてないとダメだ。ワガママじゃないと。

こんなことを考えるようになったのも、歳をとった証拠だろうか……。

 

「天才」鈴木真理

鈴木真理(すずき・しんり)は41歳である。

比較的選手生命が長く、30代にピークを迎える選手も多いサイクルロードレースとはいえ、さすがにこの年齢は最長老に近い。しかし鈴木は現役の選手で、宇都宮ブリッツェンのキャプテンである。

温厚なベテラン、鈴木は他の選手や、今はゼネラルマネージャーとなった廣瀬佳正らチームから信頼されている。「真理さん」を慕う若手も多いのは、鈴木の年齢を感じさせない、独特の柔らかい雰囲気によるものだろう。

 

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鈴木は宇都宮ブリッツェンのキャプテンを務めている

そして、今なお強い。昨年も表彰台に上がっているが、誰も驚いたものはいない。

鈴木について回る呼び名は「天才」である。全盛期の鈴木の強さについては、アジア選手権2勝、全日本選手権1勝、Jツアー(現Jプロツアー)3勝などの偉業以上に、逸話がたくさん残っている。もっともこの呼び名は、単に強さだけではなく、鈴木の性格による面も大きいかもしれない。

しかしその鈴木も、選手として、いわば老境に差し掛かっているのは間違いない。すると、「若いころ」には見えなかったことも見えてくる。

 

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2015年の経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップで2位に入った鈴木(左)

 

喘息の小学生

鈴木真理の通っていた小学校は、自宅から徒歩で15分ほどのところにあった。しかし、その道のりに鈴木は、2時間も3時間も費やすことが珍しくなかった。喘息のためである。

発作が起きると喉がひゅうひゅう鳴り、息が出来なくなる。ガードレールにもたれかかって収まるのを待つしかない。

かなり遅れて小学校に着いても、教室ではなく保健室に向かうことになる。発作が起きると自力で頭を支えることが難しくなるから、机に頭を乗せてじっと耐える。もっとも喘息がひどかった小学校4年生のときは、ほぼ毎日を保健室で過ごした。

喘息は夜から午前中にかけて悪化する場合が多かった。午後になり、発作が消えると、鈴木は外で遊びたがった。特に好きだったのが、サイクリングである。

競輪選手を目指している友人と一緒に遠出するのが楽しみだった。鈴木は神奈川県に住んでいたから、箱根や江ノ島まで出かけることもあった。しかし喘息の発作は不意にやってきた。週末のサイクリングの約束が発作のせいで中止になることもあったのは、辛い思い出である。

乗っていたのはスポーツバイクではあったがロードバイクではなく、競技志向はまったくなかったが、小学校6年生の時に父親が鈴木にロードバイクを貰ってきた。

そのロードバイクで、喘息がほぼ治った中学2年生のときに出た「チャレンジロード」が、鈴木のはじめてのレースである。いつもの友人の誘いだった。

特にトレーニングはしていなかったが、そのとき所属していた野球部では脚が速いほうだったので、自信はあった。

結果は、70人強の選手の中で、60位台だった。まったく前に出られない。自転車が壊れているんじゃないかと考えながら、集団の後ろのほうでゴールしたことを、鈴木はよく覚えている。悔しかったのである。(続く

佐藤 喬

佐藤 喬 Twitter

フリーランスの編集者・ライター。1983年生まれ。2013年よりフリーランスとして活動。書籍やムックの企画立案・ディレクション・編集作業・取材・執筆までをひとりで行う。自転車関連に強い。著書に『エスケープ』(辰巳出版)。

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