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February 11 2016 By 向 風見也

サンウルブズの叫ぶ人、垣永真之介。代表落選後、南アフリカ代表戦をどう観たか。

サンウルブズの叫ぶ人、垣永真之介。代表落選後、南アフリカ代表戦をどう観たか。

グラウンドに足を踏み入れるや、垣永真之介は「んっしゃぁぁーーーー」と、活字にしづらいような叫び声を放つ。普段、人前では驚くほど大人しいというのに、勝負の最前線では元気印と化す。

6歳の頃に「太り過ぎ」を解消すべくラグビーを始めたと笑う身長180センチ、体重115キロの25歳は、スクラムの最前列で踏ん張る右プロップを務めながら、球を持てば守備網をすいすいと切り裂く。

何より仲間も観客も引きつける生来のチャームが買われ、東福岡高、早大と、全国的な有名校で主将を務めた。「いつもウォー、なんて言っているけど、決してネガティブな言葉は使わない」とは、高校時代の恩師だった谷崎重幸の弁である。

2015年12月21日、都内のイベント会場でサンウルブズの発足会見があった。世界最高峰リーグのスーパーラグビーへ日本から加わる新チームが、参入決定から約1年4か月を経てようやく宣伝の場を持った。

HCにハメット氏就任  サンウルブズの発表記者会見でポーズをとる(左から)垣永、矢富、ハメット・ヘッドコーチら=21日午後、東京

HCにハメット氏就任  サンウルブズの発表記者会見でポーズをとる(左から)垣永、矢富、ハメット・ヘッドコーチら=21日午後、東京

 

出席者の1人は、かねて参戦を決めていた垣永だった。オレンジ色のファーストジャージィをまとって壇上に立つや、突然、シャウト。感嘆の声と拍手を浴びる。

会見中には、人気者の山田章仁から「垣永選手、なぜ吠えたんでしょうか」と質問される。恰幅のよい腕利きのシェフを思わせる表情で、「元気よく、インパクトのあるチームだということを皆様にお伝えしたくて、私事ながらパフォーマンスをさせていただきました」と応じた。実際は、楽屋で他の選手に叫ぶよう促されていたようだ。

直後に設けられた囲み取材の場でも、アナウンサーのリクエストに応じてやや恥じらいを含んだ「んしゃぁぁーーーー」を発した。別の場所で、細い目をさらに細めて話すのだった。

――あの会見、今度のチームメイトからの反響はありましたか。

「いや、まったく触れられず」

――叫んだことをマーク・ハメットヘッドコーチに突っ込まれることは。

「いや、特に…。まったくなかったです」

 

問答を重ねるなかで、「基本的に私生活では(叫ばない)」とも言った。

サンウルブズと契約した2015年の夏頃は、宮崎県での日本代表合宿に参加していた。早大卒業後にサントリーでの闊達ぶりが、当時のエディー・ジョーンズヘッドコーチに認められたのだ。

ナショナルチームのキャンプは過酷を極めた。

秋からのワールドカップイングランド大会に向け、1日3部練習は当たり前である。ホテルと練習場の間を徒歩で行ったり来たりするだけの、単調な日々が続いた。

早大、サントリーの6学年先輩で同じポジションを担う畠山健介など、故障者も多く出た。畠山と同い年の右プロップである山下裕史は「敷地内に温泉があるんですけど、次の日に朝5時から練習だと思ったら…。テレビも2チャンネルしか映らない。夜は9時には寝ていました。どれだけ寝るかに賭けていた」。週末にアジア・ネーションズカップの試合が組まれた春先はまだしも、延々と練習のみを繰り返す6月には、誰もが生気を失いかけた。

かような抑圧が本番で発揮する底力を蓄えてゆくのだが、最後の特別な場所に、垣永は、いられなかった。

8月26日の朝、指揮官にスコッドからの落選を告げられる。昼の選手同士のミーティングでは、リーチ マイケル主将にその日限りでの離脱を発表された。しん、と、静まり返った雰囲気だった。ジャパンでもサンウルブズでもチーム最年長となる37歳の大野は、こう振り返ったものだ。

「それまではセレクション合宿があっても、外れる選手には解散後に電話連絡を…という形だった。それでもこの時は、ずっと厳しい練習を一緒にやってきたメンバーが帰らなくてはならないことを目の前で知った…。複雑でした」

残された31人の代表選手は、9月19日、ブライトンコミュニティースタジアムで大会24年ぶりの勝利を挙げる。過去優勝2回の南アフリカ代表を34-32で下し、「歓喜」「奇跡」と称賛された。ここで名を上げた五郎丸歩の「ラグビーに奇跡はない。必然(の勝利)です」という言葉も、広く報じられた。

――あの日は、どんな心境でしたか。

ジャパンが3勝を挙げてラグビーブームを巻き起こした頃、垣永がつぶやく。

「僕は、やはりあそこには立てないと感じました。ずっとやってきたことを徹底してやり切るスキルと、気持ちと、意識。それが、僕にはなかった」

力を尽くしたうえで絞り出した「あそこには立てない」という一言は、心が叫んだ真実かもしれなかった。

「もちろん、外れた悔しさはありした。ただ、納得できない部分は、ワールドカップを観て納得できました。試合に出た先輩たちは、それまでやってきたことを誰よりも意識してやっていました」

 

この先待ち受ける海外クラブとの激突は、4年後のワールドカップ日本大会挑戦への足掛かりとなりうる。

畠山はイングランドのプレミアリーグのニューカッスル・ファルコンズへ、山下はスーパーラグビーの老舗であるニュージーランドのチーフスへそれぞれ挑戦。イングランド大会のジャパンに選ばれた2人の右プロップは、別な国のチームに成長の場を求めたのだ。

垣永はサンウルブズの右プロップにあって、唯一の代表経験者となった。「若手なので、若手らしく謙虚にやっていきたいとは思っています」と言うが、短い準備期間で最大限のアピールを心掛けていよう。

愛知県内でチームが本格始動した、2016年2月8日。手探りのまま始まった攻撃連携のセッションでも、どうにか持ち味を発揮しようとする。同じサンウルブズの右プロップで拓大3年の具智元には、簡潔に「積極的でした。スピードをつけてボールをもらっていた」と称賛された。

13日に愛知の豊田スタジアムでトップリーグ選抜との壮行試合が、続く27日には東京の秩父宮ラグビー場でライオンズとの開幕節がある。生まれたてのクラブが急ピッチで組織を練り上げるなか、「ラグビーはコミュニケーションが重要なスポーツです。いい雰囲気を作り、戦術も落とし込みながら、自分のできることをやっていきたいです」。叫ぶ人は、静かに牙を研いでいる。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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