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February 27 2016 By 向 風見也

サンウルブズの田村優が見据える、ワールドカップの「1点、2点勝負」。

沖縄は残波岬。南国にしては珍しく寒風の吹く日々にあって、やや晴れ間の覗く瞬間があった。2016年2月17日の夕方である。

ここではサンウルブズが強化合宿を張っていた。10日後、世界最高峰のスーパーラグビーへ日本から初参戦するチームだ。

キャンプ4日目の練習を終え、多くの選手が付近の定宿へ戻る。もっとも何人かは、グラウンドから道路を挟んで向こう側にある砂浜へ立ち寄った。ほてった筋肉を冷やすリカバリーという動作を、海水でおこなう。晴天時の沖縄では自然なことだった。

空の群青が濃くなった折、田村優が丘へ上がった。ウェットな短髪。澄んだ瞳。身長181センチ、体重92キロの締まった体躯。一緒にリカバリーをした仲間の後ろで、下半身にタオルを巻いてゆっくりと歩を進める。「いつも入ろう、入ろう、と言っていたのですけど。きょうは暖かいので、皆、入ってくれました」と笑った。

経歴上は「愛知県出身」だが、生まれは沖縄県浦添市。母の真奈美さんの出身地でもある。幼き日々の記憶は、沖縄でのものがほとんどだという。ちなみに、かつてトヨタ自動車などで活躍した父の誠さんは、サンウルブズのゼネラルマネージャーを務めている。

懐かしき土地で、見知った人に囲まれて、田村は新しい挑戦に踏み出していた。

 

「こう」ではなく「こう」。試合中のスペースの探し方について、田村はこんなふうに話したことがある。

「まぁ、あくまで感覚なんですけど…」

前者の「こう」では手のひらを目の前でまっすぐ伸ばし、後者の「こう」では腕を頭の上から視線の先へ振り下ろした。要はグラウンドレベルにいながら、観客席上段から全体を見下ろしているようなものだ。

田村のチームがテンポよく攻め上がる。

相手が前に出てストップを企てる。

刹那、田村がその背後へ鋭いキックを放つ。

2012年から常連となった日本代表にあっては、おもにインサイドセンターの立ち位置からこの動作を繰り返した。世界有数の指導者であるエディー・ジョーンズヘッドコーチにも、その「独特」なさまを評価された。

人が「独特」と定義づける感性の持ち主は、しばし簡潔な宣言をする。

得意のプレースキックを「責任です。フォワードの人がスクラムを組むのと同じように」と捉える田村は、国際試合に臨む姿勢をこう説明した。

「一貫性を持ってプレーする。練習は100パーセント、集中する。終わったら100パーセント、リラックスする。試合だけにフォーカスする。試合で常に100パーセント(の状態)で臨めるよう、メンタルを整える」

 

さて、残波岬のビーチからホテルへの道中である。田村は、ここ4年間の胸中を明かしていた。

「沖縄…。本当は、何度も戻ってきたかったんですけど、この前の4年間は、こっちへ戻ってしまうと、気持ちを、戻せなくなる。だから、あまり戻らなかったです」

楕円球と出会った國學院栃木高、ライバルとのクラシコ「早明戦」などを体感した明大、1年目から定位置を与えられたNECと、行く先々で主軸を張った。そんな田村のキャリアのハイライトは、やはり、2015年のあの大舞台。ワールドカップのイングランド大会だった。

自身初出場となった、4年に1度のステージ。田村は心を躍らせた。

「大きくではないですけど、自分のなかで変化もあった。リラックスする時間があったので、いろんな国でラグビーをするのも楽しいな、とも考えました。単純に海のきれいな場所でプレーできたら…のように」

世界中からラグビー選手とラグビーファンが集まる空間に身を置き、競技生活とプライベートの関わりを見つめ直すことができた。何も、すぐに移籍をしたいというわけではない。単純に、人生観を豊穣にした。

もっとも、そこに至るまでの4年間は、どこまでも自分に張りを持たせていた。お里で心を落ち着かせると、己を追い込むための緊迫感を失ってしまいそうだった。沖縄が大好きだからこそ、大好きな沖縄へ足を向けないようにした。

「ただ、去年の6月は宮崎合宿中に3日間の休みがあって、その時は、もう、無理、と思って帰りましたけど」

――参加者の多くが過酷だったとこぼす、大会直前合宿の時ですね。その時ばかりは、沖縄が命綱だった。

「そうですね。おいしいものもいっぱい食べて、親戚にも会えて、リフレッシュができたと思います」

たった1カ月の祭典でその後の人生の宝を得るべく、以前の4年間、人生の楽しみに目を背けた。人生を懸ける際の心の鼓動はいかなるものか。その一端を、田村はわかりやすく伝えたのだった。

サンウルブズでは、チームの戦略術を他の選手に落とし込む「ストラテジーリーダー」の1人となった。「慣れないことをやっているんですけど」。プレーメーカーでありながら、プレーの方法をゼロから作る過程には携わったことがなかった。未知のやりがいを覚えた。

「いままでは、皆の決めたことに『こうした方がいいよ』と付け加えていく感じ。今回は本当に大事なベースの部分について話し合っている。単純にミーティングの量も増えるので、もちろんストレスはかかりますけど、いい経験かなと。これまで、周りの先輩が同じようにやってきたのを見てもいたので…」

――改めて、どんな姿勢で臨みますか。

「(過去の)代表では強制をされるところもあったのですけど、そのなかでも自分の準備の仕方を見つけた。僕はすぐに筋肉が張っちゃうので、それを張らないように過ごす。それでも張りそうだったら、事前にコーチに伝えて練習量をコントロールしてもらう…。それをちゃんと、マイペースでやっていこうかな、と」

――絶対に、流されない。

「練習で皆と同じことをやってひどくなってしまうのなら、一切やらないか、別のことをする…。変な意味じゃないんです。ただ結局、僕らは試合でのパフォーマンスが評価に直結してしまう。このチームではベストな状態で試合に出たい。もちろん、それが1回しか来ないのはダメ。毎試合がベストになるよう、自分のペースを守る。それが大事です」

27日には、東京は秩父宮ラグビー場でライオンズとの開幕節に挑む。スーパーラグビーでのプレーは、ワールドカップ再挑戦への試金石となるだろう。

田村はイングランド大会で、予選プールの4試合中2試合に出場した。特に9月19日の初戦では、後半32分からブライトンコミュニティースタジアムに登場する。過去優勝2回の南アフリカ代表を34-32で倒した。一方、終盤の2試合ではベンチ入りもできなかった。歓喜と辛苦。それが、ワールドカップでの真の収穫かもしれない…。

違った。

「もちろん出たかったですけど、あそこまで行ったら出ようが出まいが、チームに勝ってほしい、と。そもそも、僕は最初の2試合にピークを置いていた。いま思えば、そのために逆算された準備が成功したな、と」

各カテゴリーで徹底マークに遭ってきた田村は、数多くのけがをしてきた。1つひとつのコンタクトに伴う体の痛みも、日に日に激しくなったと自覚する。

もし万全ではなかったとしても、国内のゲームでは問題なくプレーできる。ただ相手のプレッシャーが高まる国際舞台で活躍するには、万難を排しての出場が必須となる。強がりや嘘は、言いたくない。現状では、こう自認せざるを得ない。

「4年後に出るとしても、また1点集中、2点集中になるかもしれない…」

2019年には、30歳となっている。年下のバックスが台頭するなか、いまのポジションを保ちたい。だからこそ、レベルアップも希求する。

「僕のラグビー人生、いままでは割と順調に来ていた。ここで壁に当たりたい、というか…失敗がしたい。それを経て、またさらに自分がよくなるように」

ハイクラスなゲームが続くスーパーラグビーにあって、繊細な体調管理とトライアンドエラーを繰り返す。その日常の先で、再びの「1点集中、2点集中」の質を高めたい。

島人、口笛を吹くよう誓う。

田村優

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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