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March 04 2016 By 向 風見也

日本人初のスーパーラグビーコーチ。サンウルブズ、田邉淳の秘めた野心。

日本人初のスーパーラグビーコーチ。サンウルブズ、田邉淳の秘めた野心。

世界最高クラスのプロリーグ戦であるスーパーラグビーへの初参戦を直前に控え、日本を拠点とするサンウルブズは沖縄合宿を張った。2016年2月中旬のことだった。

全体練習を終えると、ゴールキックの居残り練習が始まる。田村優や立川理道ら、その役割を担う人たちがポールの向こう側へ楕円球を飛ばす。

味方がトライした直後や相手が反則した際に蹴られるゴールキックは、一度に入る得点こそ2、3点とトライの5点よりも少ないものの、接戦では成否が勝敗に直結する。チームが手堅く勝ち続けるには、優れたゴールキッカーが必要とされる。

前年秋のワールドカップイングランド大会では、日本代表の五郎丸歩副将がその役割を全うした。歴史的な3勝を挙げたことと相まって、スポーツ界の枠を超えたスターになった。キックを蹴る際の一定の動作である「ルーティーン」が、そのままラグビーの代名詞に近い扱いを受けたほどだ。

日本代表の強化を下支えするサンウルブズには、いま、五郎丸はいない。田村や立川といった別なキッカー候補が、サモア代表のトゥシ・ピシとともにその座を争う。

 

「ルーティーン。僕も大事にしていました。かぶっていたヘッドキャップを横において、自分のなかで決めていた3つの言葉を声に出して唱えて…」

こう語るのは田邉淳。サンウルブズのアシスタントコーチである。個人練習の付き添いを終え、グラウンドからホテルへ引き揚げる細身の37歳は、現役時代は名キッカーとして鳴らした。日本最高峰のトップリーグでも、流行語となる前の「ルーティーン」を貫いた。2009年度は、いまのパナソニックにあたる三洋電機の一員としてベストキッカー賞と得点王に輝いた。

15歳の頃に単身でニュージーランドへ留学し、9年間、楕円球に触ってきた。帰国後は海外文化に親しい三洋電機で「ラグビーは頭を使うスポーツ」と学び、選手を辞める間際には「日本人初のスーパーラグビーコーチになる」と宣言していた。このほど、突貫工事で準備を進めるサンウルブズからのオファーを快諾する。有言実行した格好だ。そして沖縄では、オーダーメイドのアプローチで1人ひとりのキッカーを見つめていた。

「テクニックの問題なのか、メンタルの問題なのか。そのどちらに迷いが出ているのかを見ます。テクニックに問題があるならキックの映像を見て、メンタルに問題があるならその選手にとってどの言葉が有効なのかを考える。必ずしも僕が答えを持っているわけではないし、その選手のなかでこれだ、と思うものにしてほしい」

2011年ラグビー日本選手権決勝  三洋電機―サントリー 後半、突進する三洋電機・田辺(左)=秩父宮

2011年ラグビー日本選手権決勝  三洋電機―サントリー 後半、突進する三洋電機・田邉(左)=秩父宮

 

サンウルブズで成し遂げたいことがひとつ、あるという。それは文化の融合だ。日本、ニュージーランド、オーストラリア、サモアなど、サンウルブズの選手やスタッフの出身地はさまざまである。スーパーラグビーの他のクラブには地元の選手を主軸とする傾向があるなか、田邉は「どこにもないミックスカルチャーのチームができると思っている」という。ニュージーランドで選手を、日本では選手とコーチをしてきたバイリンガルとして、新たな化学変化の触媒役を務めたいという。

「また別な新しいチームができた時に、そのチームへ行って対応できる…。コーチとして、そんなふうになれたらなと」

 

現役時代は、煮え湯を飲まされた日もあった。最たるものは、2011年の日本代表の活動でのことだ。

ワールドカップニュージーランド大会があったこの年、田邉は4月の候補合宿から2カ月ほど代表に参画も、6月の2次候補合宿には呼ばれなかった。もともと当時のジョン・カーワンヘッドコーチは、4月の合宿にいた全選手を6月にも再招集すると公言していた。

落選が公表される数時間前、田邉はワールドカップに関する書籍の取材を受けていた。「せっかく、こんなお話をいただいたのですが…」とインタビュアーを気使い、「外れたからといって悪い選手ではない。そう証明する」「僕は最後まで諦めてないです。大どんでん返しを期待している」と言葉を絞った。未勝利に終わったニュージーランドでのジャパンには、帯同できなかった。

もっともその後は「次のワールドカップを狙う」と語り、エディー・ジョーンズヘッドコーチにどうすれば代表入りできるかを質問。2012年秋のヨーロッパ遠征のメンバーに選ばれるに至った。

37歳で迎えた2015年のイングランド大会の頃にはスパイクを脱いでいたが、後にサンウルブズの主将となる代表の堀江翔太副将に守備理論をレクチャーした。大会中に機能した守備システム完成を、陰から支えたのである。時の指揮官であるジョーンズのもとでプレーした経験から、堀江にどの案配で伝えるべきかを認識していた。

転んでもただでは起きない。常に新しい目標を探す。それがこのコーチの真骨頂だった。

 

いま、コーチになった田邉の実務内容に、かつて辛酸をなめた悔しさは反映されているのだろうか。

2月27日、東京の秩父宮ラグビー場でのライオンズとの開幕戦の直後、「そういうものはないですけど…」と、「悔しさ」に関する新たな動機を明かしたのだった。

「今回、サンウルブズ入りに手を挙げなかった選手、コーチに悔しいと思ってもらいたい。あなたたちの夢は、スーパーラグビーだったのではないですか、と」

多様な文化が混ざり合う異質なチームを作り、皆が驚く結果を残せたら、きっと海外でプレーする日本代表組も「あぁ、あの時からサンウルブズでやっておけばよかったな」と思ってくれるかもしれない。もしそうならなくても、入団に興味を持つ外国人選手が増えてくるかもしれない。

一部で「泥船」と揶揄されたサンウルブズの仕事に、田邉は壮大なロマンがあると確信している。「どう豪華客船にするか。その手腕が問われる」と息巻いている。この日は13―26で敗れたが、視界は良好のようだった。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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