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March 10 2016 By 向 風見也

畠山健介がイングランド・プレミアシップに挑戦できたのは、自分で「いい道」にしているから?

ラグビー発祥の地とされるイングランドのプレミアシップに、日本の畠山健介が挑戦している。少年時代は納豆ご飯をおやつにしていた宮城県気仙沼市出身の30歳は、国内シーズン終了後、ニューカッスル・ファルコンズへ加入。骨太揃いの環境にあって、公式戦出場を重ねている。

数年来、あまり海外志向をにおわせなかった。身長178センチ、体重118キロと、右プロップとしては小柄だからでもあろう。背番号3の右プロップは、ひたすら耐え抜くポジションだ。巨躯が8対8で組み合うスクラムでは最前列に入り、両肩で相手の重さを受けなければならない。

世界基準にあっては小柄な畠山が、なぜ、イングランドへ渡ったのか。渡ることができたのか。チームと本人にしかわからないであろうその答えのヒントは、ここまでのキャリアに見え隠れする。
「いい道を歩んでいる、では語弊がある。自分でいい道にしているんじゃないですかね」

 

同い年で同じプロラグビー選手の山田章仁は、畠山についてこう語ったことがある。敷かれた「いい道」を受動的に歩くのではなく、主体的に「いい道」をつかみ取っていった、との分析だ。

清宮克幸監督が黄金期を築いた早大ラグビー部に入って、2年時の日本選手権で社会人のトヨタ自動車を撃破。通算3度の学生王者を経験し、卒業後も清宮監督が就任したサントリーで国内最高峰トップリーグの新人賞に輝いた。日本代表にも選ばれ、ここまで現役選手歴代2位の72キャップ(国際間の真剣勝負への出場数)を獲得する。

中学時代のバスケットボール経験も手伝ってか、器用で身軽なプロップとして台頭した。何よりも、よく、喋った。「言葉は大事。説明を求められたときに説明できる方が、コミュニケーションにもなるし、相手も納得するじゃないですか」。特異な存在であり続けたことで、どんなステージからも声がかかった。

主体的に「いい道」をつかみ取るなかで、縁にも恵まれた。

2010年から2季続けてサントリーを指導したエディー・ジョーンズは、12年から日本代表のヘッドコーチとなった。元オーストラリア代表監督の指揮官は、サントリーでも用いた攻撃システムを「JAPAN WAY」というスローガンのもと打ち出す。そのサントリーで主力だった畠山をリーダー格の1人とし、戦術理解や連携強化、筋力アップを期待した。

慶大出身の山田や早大の五郎丸歩など、同学年に多くの有力株が揃っていたことも立派な縁だ。その隊列でいち早く代表のレギュラーをつかんだ畠山は、若手時代からライバル過多の状況を「刺激になる」と語っている。いわば「1985年世代」の1人である堀江翔太は、国際舞台でともにプレーする愛称「ハタケ」をこのように見る。

「角度的にレフェリーの視野に入っている時、入っていない時でスクラムの組み方を変えたり…。いろいろと考えている。それに筋力もどんどんつけていて、まだまだ成長しようとしている」

 

主体的に「いい道」をつかみ取る畠山の現役生活にあって、華となるのはあの瞬間だ。

2015年秋にイングランドで行われた、自身2度目のワールドカップである。4年に1度のビッグイベントで、日本代表が大会24年ぶりの白星を奪ったのは9月19日。ブライトンコミュニティースタジアムで、過去優勝2回の南アフリカ代表を34-32で破った。狂喜乱舞のスタンドから、畠山は知人らしき人に声をかけられる。

「すごいよ」

「いや、周りの皆がすごいんです」

続く10月3日には、ミルトンキーンズのスタジアムmkでサモア代表に26-5で勝った。ハーフタイム直前には、敵陣ゴール前右でボールを受けるやすぐその右へ球をさばく。のちに「忍者トライ」と称賛される、山田のスコアをアシストしたのだ。

帰国後、山田の母校のラグビー部を交えたチャリティーイベントに参加した折、トークコーナーで冗談めかして振り返る。

「あそこでプロップがパスをするって、どういうことなのか。ケイオーの学生だったらわかってくれるよね?」

日本にラグビーブームが巻き起こったことで、饒舌な畠山は各種テレビ番組に引っ張りだことなった。ヒーローとなった五郎丸に嫉妬するという端的な構図をカメラの前で示し、その活動を「ラグビー普及のためのお仕事」と表現する。もっとも恩師の清宮には「ふざけているところを、演じているっぽいところもある」と評されたことがある。事実、当の本人は、場所によってはかなり言葉を慎重に選ぶ傾向がある。

主体的に「いい道」をつかみ取った人物の懊悩や葛藤は、キャッチーなプログラムでは表現しきれまい。明瞭な「説明」で他者を納得させるスキルは、人に見せたくない心のひだをきれいに隠すことができる。

 

南半球主体のスーパーラグビーには、日本から新規参入したサンウルブズというチームがある。開幕半年前に所属選手が揃わないなど発足の遅れが指摘されていたこの集団に、畠山はしかし、加わらなかった。記者団を前に「濁すような言い方で申し訳ありませんが、今回はご縁がなかったということです」と状況を明かした。家族との生活環境などの条件に問題があったのかと聞かれ、「ここで、はいそうです、とは言いませんが、今回は、ご縁がなかった」と重ねた。もともと海外への思いが薄かったから、当然の選択ではある。

それでも、1月にオファーを受けることとなる。ニューカッスルでプロップにけが人が続出していたこと、ワールドカップで鮮烈な印象を残した日本代表プロップの2月以降のスケジュールが空いていたことなどが、契約を導いたのだ。

主体的に「いい道」をつかみ取った。主体的に「いい道」をつかみ取るために必要な資質や技能を、グラウンドの内外でかき集めてきた。そんな畠山のラグビー人生の向こう側に、結果的に、プレミアシップがあったのである。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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