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April 07 2016 By 向 風見也

微笑の刺客。「死線」を越えた南アフリカのスカルク・バーガー、再び日本のチームに挑む。

微笑の刺客。「死線」を越えた南アフリカのスカルク・バーガー、再び日本のチームに挑む。

その微笑の奥には何があるのか。

行列を作るファンにサインをする時も、意地悪かもしれぬ取材に応える時も、物静かな同僚にちょっかいを出す時も、ラグビー選手のスカルク・バーガーは、いつだって目じりにかすかなしわを作り、口角を上げ、野太くゆったりとした声を放つ。

4年に1度のワールドカップで過去2回優勝した南アフリカ代表には、2003年に初選出された。弱冠21歳で、ワールドラグビーの年間最優秀選手賞に輝いた。国際間の真剣勝負にあたるテストマッチは、86試合も経験してきた。大国の期待を背負ってきた競技生活が、何事にも動じない仏の顔を作ったのだろうか。

骨惜しみなく動き続ける身長193センチ、体重110キロのラグビー選手がこんな様子なのだ。初めて一緒にプレーした味方が第一印象を「…かっこよかったです」としか言えないのも無理はない。

 

2016年の花見の季節。日本のスポーツファンはいよいよやきもきし始めているだろうか。

世界最高クラスのスーパーラグビーへ極東から初参戦のサンウルブズが、試合のなかった第2節を挟んでここまで開幕5連敗中なのだ。直近にあった、キングスとの未勝利チーム同士の一戦も28-33で落とした。

現地時間で4月2日の夜。敵地ポートエリザベスにあるネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアムのロッカールームは、通夜の雰囲気が洋楽のBGMでごまかされていた。

「ここで大敗とかしたら、悪い方へ転がっていく。勝ちを目指していく」とは、会見室に現れた堀江翔太主将である。そう。次から次へと激戦が重なるいばらの道にあって、「気持ちの切り替え」というありふれた言葉は金言となりうる。

次の第7節は、やはり現地時間の4月8日におこなわれる。場所はケープタウンのDHLニューランズスタジアムで、相手は問答無用のパワープレーが得意なストーマーズだ。

いまのところ南アフリカカンファレンスを首位で走るストーマーズに屹立するのが、間もなく33歳のバーガーである。文句なしの中心選手として、体をぶつけ合うフォワード第3列のポジションを担っている。

 

あの日の歓喜は、この人にとっては悲劇だった。

9月19日、ブライトンコミュニティースタジアム。自身4度目の出場となったワールドカップイングランド大会の予選プールBの初戦で、南アフリカ代表は日本代表に大会24年ぶりの白星を献上した。

――正直、負けるはずがないと思っていたのでは。

この午後、敗軍の背番号「8」をつけたバーガーは、例の笑みを絶やさず即答した。

「…はい」

過去2シーズン、スーパーラグビーと並行して日本のサントリーでプレーしてきた。相手のエディー・ジョーンズヘッドコーチとは、2007年のフランス大会の代表では選手とアドバイザーの仲だった。同じくサントリーにいたフーリー・デュプレアとともに、相手の特徴は把握していた。把握していたつもりだった。

しかし、本当の意味で「この試合はタフになる」と再確認したのは、12―10と2点リードで迎えたハーフタイムのことだった。仕切り直しを図った後半も、度重なる反則とガス欠で劣勢を強いられた。攻守両面で足元へ迷いなく突き刺さる赤と白のジャージィに、ずっと、ずっと手を焼いた。

「エディーが南アフリカ代表をターゲットにすると言っていたことは、認識していました。

日本代表は、僕たちに対して6ヵ月もの準備をしてきた。ただ僕たちは、日本に対してそれほどのことはしていなかった。自分たちは完璧ではありませんでした。ただそれ以上に、日本の選手が信じられないくらいの働きをしていました」

そしてノーサイド直前、逆転トライを奪われたのだった。

32-34。

極端な暴力や貧困とも無縁ではない南アフリカにとって、「スプリングボクス」と名の付くラグビーの代表チームは希望であり象徴であった。その羨望の対象に裏切られたと感じた国民は、どこまでも厳しかった。バーガーは述懐した。

「南アフリカではそこらじゅうの人がラグビーをしている。スプリングボクスは経済効果も含めて重要な位置づけだった。皆、スプリングボクスを愛している。だから、負けには本当に失望したんです。特に、日本代表に…と。選手も、監督も、辞めろ、と言われていました。次のゲームに向けて良い方向に進むのは、難しかったです」

それでも「スプリングボクス」は覚醒した。スマッシュ、またスマッシュ。この国の伝統的な強みに即してゲームプランを簡潔にし、球を持てば真っ直ぐぶち当たり、固まりを作るよう心を込めた。

バーガーはその象徴の1人だった。

「日本代表戦の最終スコアボードを見た後に、メンタリティーを変えたのです。気持ちの準備が変わったのです」

そう。「いい方向に進むのは難しかった」としても、「メンタリティーを変えたのです」。言うは易しおこなうは難しのドラマの脚本を、途中から主将代行を務めたデュプレアらとともに描き、演じきったのである。大会出場者のなかで、もっとも多く守備網を突破したプレーヤーとなった。

準決勝では、優勝国となるニュージーランド代表に18-20と肉薄。大会3位に終わった。

ラグビーW杯3位決定戦  南アフリカ―アルゼンチン 前半、ラインアウトのボールをはたいてパスする南アフリカのバーガー(中央上)=ロンドン(共同)

ラグビーW杯3位決定戦  南アフリカ―アルゼンチン 前半、ラインアウトのボールをはたいてパスする南アフリカのバーガー(中央上)=ロンドン(共同)

 

激しいプレーの連続で、首や肋骨に重傷を負ってきた。さらに2013年には、メスを入れた箇所から細菌性髄膜炎を発症させてしまう。神経中枢の感染症で、現場復帰も困難とされた。

だから2014年にスーパーラグビーへ復帰した際は、周囲からより尊敬されるようになった。玉砕覚悟のチャレンジャーに敗れても、母国からおびただしい数の苦言が届いても、ナショナルチームの崩壊は防ぎ切った。アスリートとしての死線を乗り越えたからこそ、であろう。

微笑の背景には、恐怖を克己した信念があった。イングランドでの戦いを終えた頃、バーガーはこんなふうに言っていた。

「ストーマーズとしてもサンウルブズに、日本ラグビーに挑戦できる。いいチャンスです」

グラウンドに出られるありがたみを真に知ったうえで、愚直に走り回る。グラウンドを出るために必死に命を繋いだうえで、他者に優しさを示せる。サンウルブズにとっては尊敬すべき、やっかいなライバルだ。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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