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April 14 2016 By 向 風見也

サンウルブズの相撲出身ラグビー選手、木津武士 日本代表も支えた「ストレート」の魅力とは

強豪国主体のプロクラブリーグであるスーパーラグビーに、2016年から初参戦しているのがサンウルブズだ。初代主将の堀江翔太は「意見を言い合えるようにしたい」と、風通しの良いチームづくりを目指している。

第7節を終え、試合のなかった第2節を挟んで開幕6連敗中。気分の沈みそうないま、互いを尊重しつつ忌憚なく初勝利のために「意見を言い合える」かが問われている。こういう時は、はなから素直な人の出番かもしれない。例えば、木津武士。大阪府出身の27歳である。

 

当世風かつ巨躯を強調するファッションをまといながらも、口を開けば虚飾とは無縁になる。人々が感動したあのゲームについても、しゃがれた関西弁で言い放つ。

「僕は、カッコつけずに『勝つことはないと思っていた』と言います。ただ、前半が終わった時に、『あるかな』と」

ワールドカップイングランド大会の日本代表として、予選プールBの初戦に出た時のことだ。2015年9月19日、ブライトンコミュニティースタジアム。あの日は後半29分から芝を駆け、過去優勝2回の南アフリカ代表から大会24年ぶりの白星をもぎ取っている。

ノーサイド直前に劇的な逆転勝利を収めたのだ。どう振り返っても許される当事者の1人なのに、「カッコつけずに」と言い切った。

さらにイングランドでの話は続く。10月9日には、現地でこんなこともあった。

場所は、滞在先であるウォリックのホテルである。大会参加チームには1日あたり複数選手の取材対応が義務付けられていたのだが、この日は木津が指名されていた。

指示に従い大広間へ入ると、視線の先に五郎丸歩副将を確認した。

すっかり国民的英雄となっていた五郎丸は、他の選手の自由時間にも取材を受けることが多かった。この日も大勢のメディアに囲まれていた。

アメリカ代表との予選最終戦を間近に控える頃だ。自由を制限されていた副将は、繰り返される質問に淡々と応じるのがやっとである。部屋の入り口付近の椅子に座った木津は、まず5メートルほど先の五郎丸の様子を目視。次に自分の周りに立つ2、3人の記者を見回した。そして、絶妙としか言いようのない間合いで、「暇なんで、何でも聞いてください」と、笑った。

 

リーチ マイケル主将ともよく語った。2人は東海大の同級生で、お互いに込み入った話をしやすい関係だった。代表チームの主将が無形の圧力や緊張から逃れるには、嫌味のない友は格好の相談相手だった。

ラグビーは多様性のスポーツだ。ヘッドコーチだったエディー・ジョーンズは、その特性に見合った準備に取り掛かっていた。大会前の国内合宿では、日本生まれの選手に1日3部練習は当たり前の管理体制を打ち出す。その一方で、一部の海外出身の主力には個別調整を許した。オーダーメイドの指導も躍進を支えた一端ではあるが、必死なアスリートがそうと気付くのはまだ先のことだった。

チーフスでスーパーラグビーを戦ったリーチは、宮崎での代表キャンプへ7月に合流。ニュージーランド生まれの日本人として、舵を取る船頭役として、率直な疑問が頭に浮かんだようだ。とはいえ、おいそれとは口にできない。

ぶつけた相手は、木津だった。

「あの…たまに外国人の選手が、合宿に途中から来て途中で帰ったりするじゃん。ああいうの、日本人はどう思うの?」

塹壕の会話に、嘘はいらない。ここでも「カッコつけずに」を貫いた木津は、後にこう振り返るのだった。

「あぁ、こいつ、こんなことまで気にかけていて大変やな、と」

当のリーチからは、「木津は面白いし、何でもストレートに言ってくれる」と感謝された。大会後の代表強化を支えうるサンウルブズでも、代表時代から親交のある選手のブログやSNSにしばし登場。改めて、ラグビーは多様性のスポーツだ。戦法の確認やクラブ文化の醸成に際しては、愚直な人も、聡明な人も、木津のようにただただ「ストレート」な人も重責を担いうる。

ラグビーW杯1次リーグ リーチと木津  日本―米国 後半、相手選手の突進を阻むリーチ(中央)と木津=グロスター(共同)

ラグビーW杯1次リーグ リーチと木津  日本―米国 後半、相手選手の突進を阻むリーチ(中央)と木津=グロスター(共同)

 

祖父の代から続く相撲一家に生まれた。千代の富士に憧れ、腕立て伏せを繰り返した。小学校1年生から中学3年までは、東大阪相撲クラブに在籍。角界の現役力士の名を挙げ、隠語の含みは持たせずに「いま人気の遠藤は後輩で、かわいがっていました」と話す。

小坂中時代には土俵とグラウンドの両方へ通い、15歳の頃には9つの相撲部屋、18の相撲強豪高校、11のラグビー強豪高校から声がかかった。自宅から通える東海大仰星高校ラグビー部の門を叩いたのは、「部屋とか寮に入ったら、遊べんやないですか」。3年時、全国高校ラグビー大会で日本一に輝いた。

東海大学に進むと、もともとやっていたロックやナンバーエイトなどの突破役から、スクラム最前列中央のフッカーへ転向。同じ最前列でも左右を固めるプロップにならなかったのは、フッカーの方が「オシャレ」に感じたからだ。

その頃からジャパンに選ばれ始め、リーチと一緒に代表合宿へ出かけることも増えた。優勝候補の筆頭格とされた4年時の大学選手権では、しかし、準決勝で帝京大に屈した。2011年1月2日、東京は国立競技場。ノーサイドの瞬間、リーチは芝に突っ伏した。スクラムで反則を重ねた木津は「フッカーとして経験も浅くて…。どうしたらいいかわからなくて…」と下を向いた。

「やることも多くて、選んだポジションを間違えたと思った時もありましたけど…」

険しくもあったはずの競技生活をどこかユーモラスに振り返る身長183センチ、体重114キロの突進役は、真っ向勝負を重ね、時に辛酸をなめ、スポーツ史に残るバトルを演じ、いま、ブルームフォンティンはフリーステイト・スタジアムでのチーターズ戦を見据えている。

「もめた日があってもいい。次の日からはちゃんとしようという感じです。それを次の日もずるする引きずっているのなら問題ですけど」

これが木津の考える、戦闘集団の理想像だ。本物の「ストレート」は、最後の最後には組織の前進を導く。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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