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April 21 2016 By 向 風見也

日本代表に負けた南アフリカ代表が選んだ新ヘッドコーチは、神戸製鋼のアリスター・クッツェー。知られざる懐に迫る。

2015年9月19日、ブライトンコミュニティースタジアム。4年に1度あるラグビーワールドカップのイングランド大会は予選プールBの初戦を迎えた。

南アフリカ代表が、日本代表に大会24年ぶりの白星を献上する。

過去優勝2回の強豪が、一敗地にまみれた。以後はキャリア組を中心に立ち直って3位に入ったものの、国民が絶望した史実は残った。2019年の日本大会に向け、万人の納得する新体制発足が不可欠となった。

新ヘッドコーチに指名されたのは、アリスター・クッツェー。2010年から世界最高リーグであるスーパーラグビーのストーマーズを指揮し、2012年には南アフリカ協会が選ぶ年間最優秀コーチ賞を獲得した52歳だ。

朗らかな笑みで丸顔をくしゃくしゃにさせるこの人は、ついこの間まで日本にいた。国内最高峰トップリーグの強豪、神戸製鋼のヘッドコーチだった。当時の一挙手一投足に、確かなチームづくりの哲学と実務能力を示していた。

クッツェー新HCが合流 視察するクッツェー氏  平尾誠二ゼネラルマネジャー(左)と練習を視察する、神戸製鋼のアリスター・クッツェー新ヘッドコーチ=9日、神戸市の神戸製鋼グラウンド

神戸製鋼ヘッドコーチ時代のアリスター・クッツェー氏(右)

 

リーグ戦1位に引き上げたギャリー・ゴールド前ヘッドコーチが1季限りで辞任すると、神戸製鋼は慌てて南アフリカ出身の指導者を調査し始めた。チームコーディネーター兼通訳の井上聖人が、教師経験もある人格者としてクッツェーを推薦。就任が決まると、在籍する南アフリカ代表選手は一斉に喜んだ。

クッツェーはたくさんのミーティングを開いた。確かにラグビーは、ぶつかり合いながら限られた言葉数で連携を図る集団競技だ。事前の意思疎通は不可欠で、ヘッドコーチが就任1年目ならばなおさらだろう。当の本人も、白い歯を見せてこう話していた。

「ゲームプランを明確に共有するためです。また、ミーティングを通して、リーダーを育てられます。ここで日本人選手にたくさん喋ってもらって、リーダーシップを持ってもらいたい。試合中、フィールドでのプレッシャーをコントロールできるのは選手だけですから」

開幕節を迎えると、ベンチワークでアドリブを利かせる。ホームの神戸総合運動公園ユニバー記念競技場にキヤノンを迎えた、2015年11月15日のことだ。

クッツェーはこの日、2つある外国人枠で元南アフリカ代表ロックのアンドリース・ベッカー、元ニュージーランド代表スクラムハーフのアンドリュー・エリスを先発起用した。

ベッカーはかのジャイアント馬場より1センチ低いだけの身長208センチ、体重121キロという巨躯。攻防の起点となるスクラムやラインアウトでの核だった。かたやエリスは密集の背後から精度の高いキックを蹴り上げ、フィジカル自慢の味方を前に走らせる。何よりクッツェー自身が現役時代にスクラムハーフをしていて、パスやキックの源となるこの位置には熟練者を置きたがっていた。試合では2人とも持ち味を発揮し、陣地獲得合戦とボール保持に成功する。いくら粘られても勝ち越しは許さなかった。

リザーブに入っていたのは、元南アフリカのアウトサイドセンター、ジャック・フーリーだった。2013年度のトップリーグでは最多トライゲッター賞に輝いた点取り屋である。

20―11。23―11。徐々にリードを広げる後半20分台に、クッツェーはフーリーの起用を考える。神戸製鋼が加点したらエリスに代えて、だめ押しを狙ったのだ。

まもなく敵陣ゴール前でチャンスを迎え、ベッカーがインゴールへ突っ込む。

「ここでフーリーを…」

脳内のプランは、間もなく、消去した。ベッカーがトライセービングタックルを食らい、追加点を奪えなかったからだ。相手の南アフリカ代表フルバック、ウィリー・ルルーは途中出場から恐るべき危機管理力を発揮。27分には自ら得点まで奪った。23―18。クッツェーは最後まで、エリスを代えなかった。逃げ切った。

采配の妙といえば、とかく途中出場した選手の活躍がフォーカスされがちではある。しかし、その場で活躍する人間を「予定通り」にベンチへ下げないことも、立派な采配かもしれなかった。

 

故障者が続いた影響でチーム成績は3位に終わったが、クッツェーの評価は上々だった。ゴールド前ヘッドコーチがわずか1シーズンで離職していただけに、複数年をかけての指導が望まれていた。

しかしクッツェーもまた、1シーズンで母国へ戻ることとなる。

スプリングボクスの愛称でも知られる南アフリカ代表は、かねて白人ではない指導者を求めていた。

白人とそれ以外の人種を隔離するアパルトヘイトという政策は、1994年に廃止されていた。それでも差別は、制度ではなく人の心に潜む。ラグビーの代表チームが白人主体に映ったことには、かねて批判が集まっていた。

南アフリカ政府は自国のラグビー協会と、ある目標に関して合意に至っているようだ。日本大会でのスプリングボクスにおける黒人選手の割合を、全体の半分程度にするというものである。世論に即したチームづくりには、黒人またはカラードの指導者が不可欠だった。優勝した2007年のフランス大会代表のアシスタントコーチもしていたクッツェーは、あらゆる意味で最適な人材だった。

ストーマーズでもクッツェーのもとでプレーしたベッカーは、日本での取材にこう応じたことがある。

――クッツェーさん、いかがですか。

「彼がスプリングボクスに行くことなく神戸製鋼にいたら、チームはもっとよくなります」

――スプリングボクス。その噂はありますね。

「神戸製鋼にとってはあるべきことではない。ただ、彼の望む環境がすべて整えば、そういった話がある、かも、しれません。南アフリカでは、どんなことでも起こりえます」

イングランドでジャパンがスプリングボクスを倒す直前まで、南アフリカには2019年の開催権を日本から奪うもくろみがあったとされる。

 

今度の職場では、選手選考に他者の意見が入るかもしれない。ボスに求められるのは、万人と触れ合える懐の広さと意志を貫く頑固さのバランスだろう。

ベッカーによれば、史上2人目の黒人系指揮官となるクッツェーは「言葉、ミーティングを通し、選手に自信を持たせます。時々、怒りますが、その怒る理由は明確です」。選手とスタッフを大らかに包みつつ、時にはあえて激昂する。その人心掌握術の裏には、確かな知性と大らかさがある。

関係者が漏らした逸話によれば、ストーマーズ時代にこんなことがあった。

当時、ストーマーズの主将だったスカルク・バーガーに、折り合いの悪いレフリーがいた。クッツェーは2人の関係を改善させるべく、一席、設けた。

どれほどルールに厳格なレフリーも人間である。試合中にコミュニケーションを取る主将との関係が冷え切っていれば、勝敗を左右しうる。クッツェーはその真理を踏まえ、例の笑顔で2人を引き寄せたのだ。言いたいことを言わせた。

この手のエピソードは、事実よりも大きく伝わりがちだ。後にサントリー入りするバーガーも、「レフリーとは常にいい関係でしたよ」と肯定も否定もしない。ここは、当事者に確認するほかない。

――本当ですか。

「お客様にお金を払って観てもらうプロダクトとしての試合を、皆でよくするんです。選手にとってレフリーは、脅威でもなければコントロールの対象でもありません。フィールドで一緒になって試合をする、仕事仲間です」

後のスプリングボクスのヘッドコーチは、日本の兵庫県の競技場で否定せずに肯定した。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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