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April 30 2016 By 向 風見也

サンウルブズの歴史的初勝利をスクラムで支えた。三上正貴の「78センチ」の歴史。

スクラムこそ、俺の見せ場だ。青森県出身の三上正貴が、東京の秩父宮ラグビー場で静かに燃えていた。4日前には長女が生まれたばかりだった。

2016年4月23日、観客席のボルテージは上がっていた。国際プロリーグのスーパーラグビーに今季から加わった日本のサンウルブズが、ジャガーズと一進一退の攻防を繰り広げていた。

ここまで開幕7連敗中だ。特に現地時間の15日、南アフリカのブルームフォンティンでの第8節は、チーターズに17-92と沈められていた。

何せ、開幕4週間前に初顔合わせをしたばかりだ。大男同士が8対8で組み合うスクラムは、十分な反復練習ができずにいる。仲間同士の密着度合いとメソッドの確立が成否を分けるのに、専門コーチ不在のなかで試行錯誤を繰り返していた。試合では、しばし大きな相手の剛力に気圧されていた。

故障者も相次いでおり、三上は左プロップを本職とする出場可能な唯一の選手となっていた。丸刈りが伸びたショートカットに切れ長の目が特徴の27歳は、しかし、この日のスクラムに確かな手応えを感じていた。

「チーターズほどじゃない。イケる」

 

 

78センチ。三上の太もも周りの推定サイズである。ちなみに、サンウルブズを応援するグラビアアイドルの吉木りささんのウエストは、公式で「59センチ」だ。立派な下半身は三上の天性の素質かもしれず、青森工高でいまのスポーツを始めた時代は、「脚の力だけ」でスクラムを制していたと本人は言う。

東海大の工学部材料科学科へ「鉛フリーはんだ付け部の強度評価」という卒業論文を納め、日本の強豪である東芝へ入ると、レギュラーポジションを確保する前の2013年春、日本代表となった。当時のエディー・ジョーンズヘッドコーチに、その「レッグパワー」を見込まれた。

「身長178センチ、体重115キロ」の「まーやん」は、ここから名刺代わりとなるスクラムを何本も組んでゆく。ジャパンの背番号1を担い、2013年のウェールズ代表戦、2014年のイタリア代表戦と、蒸し暑い6月の秩父宮でのヨーロッパ勢撃破を支えた。体格に劣る東洋人でも、欧米人とのスクラムを押し込めると証明した。

元フランス代表のマルク・ダルマゾスクラムコーチは、変更されて間もないルールを先んじて解釈。相手と触れ合った際のプレッシャーのかけ具合や足の並べ方、後方から押し込む味方との密着の仕方を落とし込んでいた。その教えを受けた三上は、2015年秋、4年に1度あるワールドカップのイングランド大会に挑んだ。

 

 

好発進した。9月19日のブライトン・コミュニティースタジアムにおける初戦では、過去優勝2回の南アフリカ代表から大会24年ぶりの白星を奪った。

もっともツアー終盤には、災難に見舞われる。

10月3日のサモア代表戦には先発する予定も、練習中に左足首を故障。環太平洋の相手を倒すために訓練していた、2人がかりでのタックルを食らった瞬間だった。骨折はしなかったが、確かに「バキッ」と鳴らした。歩けなかった。

イングランド大会の日本代表は、人数構成の関係から左プロップを2人しか登録しなかった。消耗の激しい働き場に、先発要員とリザーブ以外のメンバーを置かなかったのだ。誰かが大けがをしたら、離脱させて追加招集選手を募るつもりだった。しかしこの折、日本から10時間以上もかけて移動してきた選手をベンチに置けるような時間はなかった。

リザーブ入りを強いられた三上は、試合前日の最終調整時もホテルにいた。対外的には、万全を期して本番を見据えると伝えた。試合当日、スターターの稲垣啓太らが敵陣ゴール前のスクラムでペナルティートライを獲得するのを、ベンチで見守った。26-5で勝った。

「出たいです。行けます」

続く11日のアメリカ代表戦を前に、三上はジョーンズに直訴した。ボスは、苛烈な猛練習を通して選手の気迫を促す向きがあった。グロスターはキングスホルムスタジアムでの決戦当日。痛み止めの注射を打った背番号「17」が、後半19分から登場した。28-18のスコアで、ジャパンにとっての大会ラストゲームを制した。

帰国後、東京都府中市にある東芝の工場敷地内で取材を受ける。

――春先からの長期合宿を経て、夢の大会で結果を残しました。グラウンド内外を問わず、記憶に残っていることはありますか。

「うーん、記憶…消しているかもしれないです。しんどいことをひとつ挙げろと言われても、あの期間の全部がしんどいので」

結果を出すために必要だった辛苦を、滋味のある一言で表現したのだった。

 

 

春の秩父宮。ジャガーズは、イングランド大会で4強入りしたアルゼンチン代表とリンクしていた。もっとも来日前に約4週間のニュージーランドツアーをおこなっていて、サンウルブズ戦には控え主体で臨んできた。

ぴくりとも動かない試合序盤のスクラムに顔をうずめ、三上は「イケる」と確信した。開幕前の組閣が遅れたことも、試合ごとの準備期間が限られていることも、マーク・ハメットヘッドコーチとの初対面の際に「自分が活躍することで、青森県のラグビー人気を盛り上げたい」と言ったことも、クロスゲームの最中には頭にない。

23―25と食らいついて迎えた後半19分頃、自陣中盤左で相手ボールのスクラムが始まる。ジャガーズのフッカーとして最前列中央に入ったアグスティン・クレービー主将が、地面の球を後ろへかき出す際に足を滑らせる。フッキングミスだ。

三上は、冷静だった。

「我慢して、我慢して、我慢して…」

下手にボール欲しさに足を上げると、とたんに塊が崩れる。とにかく「我慢」して、皆でまとまって耐えよう。一緒に組む7人の同志と、言葉ではなく体で語り合った。推定78センチの太ももを、低く沈めた。「我慢」できなかったのは、ジャガーズだった。サンウルブズは、押そうとせずに自然と押し返す。ボール奪取。歓声が沸いた。

ミルトンキーンズでのサモア代表戦には1分も出られなかった三上は、結局この日、フル出場を果たす。36-28。スクラムを起点としたトライを2つもお膳立てし、クラブ史上初の白星を掴むのだった。朴訥とした口調の一児の父は、穏やかに笑った。

プロップ三上らが先発  ストーマーズ戦に向けて練習するサンウルブズの三上(手前)ら=6日、ケープタウン(共同)

プロップ三上らが先発  ストーマーズ戦に向けて練習するサンウルブズの三上(手前)ら=2016年4月6日、ケープタウン(共同)

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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