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June 07 2016 By 向 風見也

ラグビー日本代表の新生、児玉健太郎。乗り越えた試練と掴んだ幸運を振り返る。

ラグビー日本代表の新生、児玉健太郎。乗り越えた試練と掴んだ幸運を振り返る。

児玉健太郎が、ラグビーの日本代表に選ばれた。本人はただただ「ラッキー」と繰り返した。

加入2年目のパナソニックで公式戦デビューを飾ったのは、前年度中盤のことだった。本来のレギュラーだった山田章仁が故障した際、代役を務めた。日本最高峰トップリーグの3連覇に喜び、そのままアジアラグビーチャンピオンシップのメンバーとなった。

2015年のワールドカップイングランド大会で3勝を挙げた選手は今回、代表入りしなかった。日本協会の方針や当事者の意思が折り重なった格好だ。児玉の務めるウイングのポジションでそれにあたるのは、まず山田、さらには藤田慶和、福岡堅樹といった今季からパナソニックに入る有望株たちだった。

「ラッキー」。それでも身長183センチ、体重85キロの24歳は、黒水晶の瞳で地平の先を見る。心で誓う。

チャンスの掴み方はどうだっていい。

問われるのは、掴んだチャンスをどう活かすかだ。

 

ラグビー日本選手権  パナソニック―帝京大 前半、突進しトライを決めるパナソニック・児玉=秩父宮

ラグビー日本選手権  パナソニック―帝京大 前半、突進しトライを決めるパナソニック・児玉=秩父宮

 

悲運の歴史も、この人にはある。

福岡の鞘ヶ谷ラグビースクールで楕円球を追い、県下有数の進学校である小倉高を卒業した児玉は、2010年春、国内最古豪の慶大ラグビー部の門を叩いた。駆け抜けるスピードと左足でのロングキックを長所に、1年目からレギュラーとなった。しかし学年を重ねるごとに、最前線から退いてゆく。

事の発端は、体制刷新だった。

2年目の春に田中真一監督が就任。系列の慶應高で指揮を執っていた田中は、「花となるより根となろう」の部是に沿った猛練習を計画した。いまは名解説者でおなじみの野澤武史ヘッドコーチが参謀役を務めたが、社業のため練習参加が限られた。

児玉を起用した林雅人監督時代のスタッフは、ひとりも残らなかった。当時の部員は林の徹底した理論武装に慣れていて、新しい指導陣との間にはコミュニケーションミスが生まれた。公式戦のハーフタイム中、一部の選手が林にメールでアドバイスを求めたこともあった。

守備が課題視されてしばし試合のメンバーから外れた児玉は、シーズン終了後、燻った感情を行動に移す。仲間の署名を募り、OB会に環境改善を求めた。

古今東西、選手起用の権限と責任は監督にある。一連のアクションを知った田中は、首謀者とされる児玉ら主力候補に約半年間の謹慎を命じた。チームは加盟する関東大学対抗戦Aにあって、2季連続で8チーム中5位と低迷する。

「彼は左足でキックが蹴れて、足も速いです。非常にポテンシャルが高く、自分自身の型にはまった時のプレーはすごくいい。ただ、それがはまらずチームに悪影響を与える時もある」

田中が雑誌の取材でこう話す一方、児玉は心で反芻した。

「これから同じ状況になっても、同じ行動は取らないです」

 

 

退部も考えた。踏みとどまった背景には、周りの人々の意思と献身があった。

まず、多くのラグビー部員が児玉の翻意を説得した。後に代表入りした本人は、「慶大でも、心から信頼できる仲間がいた」と振り返っている。

謹慎中にも出会いがあった。当時の児玉はクラブハウスの最寄りである日吉駅近くに住んでいたが、部の施設は一切、使えなかった。近所のスポーツジムで汗を流すのだが、そこに、やや見知った顔があった。

同じ大学の野球部員だった。エース格だった白村明弘という青年が、自分と同じように部活動を制限されていたのだ。「復帰したら、一緒に皆を見返そう!」。刺激し合った。

進路選択では、同郷の名選手の世話になった。山田である。児玉にとって山田は、同じラグビースクール、高校、大学の6学年先輩である。この頃すでにパナソニックのエースとなっていた。

他に謹慎した部員とともに、群馬県太田市の先方の本拠地で練習させてもらった。何かと腫れ物に触るような扱いを受けた時期だったが、この地では違った。

「あれ。何で皆、坊主頭なんだっけ」

パナソニックの大人たちの自然な受け入れ方に、児玉は心地よさを覚えた。本気で仲間に入りたいと思った。3年生の時に試合に出ていない大学生が強豪チームに入ることは稀だが、山田たちとの縁で願いが叶った。

あの日のジムにいた白村は、ドラフト6位でプロ野球の日本ハムファイターズに入団した。リリーフとして1軍でも投げ、自分のユニフォームと児玉の試合ジャージィを交換したという。

 

 

4月30日、神奈川のニッパツ三ッ沢球技場。背番号11をつけて日本代表デビューを飾った児玉は、韓国代表から5トライを奪った。

アジアラグビーチャンピオンシップ初戦を85―0で制したこの日は、小学生から大学まで一緒だった石橋拓也も出場していた。センターの位置で先発した1学年後輩の石橋が、あの決断を振り返った。

「あの人が後悔しないのなら、僕が口出しすることじゃない。あの人が帰って来るまで、自分のできることをやろうと思っていました。次に一緒にプレーするのは代表だね。お互いそう言い続けていました。ずっとやってきた絆って、いいな、と」

今度の日本代表で大会中からバックスコーチを務めた栗原徹は、1999年度に大学日本一になった慶大の卒業生だった。過去に何があったかは把握している。それでもパナソニックで揉まれた後輩を観て、その逞しさに感心した。

「メンタル的にもいい成長を遂げているんじゃないかな、と。応援している人にとっても、そうでない人にとっても…良かったんじゃないですかね」

スタンドには、児玉の慶大時代の同級生が駆け付けていた。仮にいびつだった信念でも、そいつが貫かれた先には理解者がいた。

「慶大で試合に出られなかった頃も、弱気だった時期はあまりないです」

自分はただただ支えられたのだと、背番号「11」は言う。

――逆境に出くわした際、むしろ本当の友が誰だかわかる。

「いやぁ。本当にそう思いますね」

このシリーズの4試合を通じ、7トライを奪取。「これから自分の武器にしたい」というハイボールキャッチでも魅せた。6月のツアーメンバーにも名を連ね、イングランドで敗れた相手のスコットランド代表と戦うことになった。

幸運と人の温かみを味方に付けた貴公子は、これからどんな競技生活を描くのだろうか。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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