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June 14 2016 By 向 風見也

ニュージーランド育ちの小野晃征は、なぜ日本ラグビー界のために頑張るのか。

ニュージーランド育ちの小野晃征は、なぜ日本ラグビー界のために頑張るのか。

いずれはニュージーランドへ帰るつもりだ。それでも小野晃征は、ほぼ成り行きで戻って来た日本でできることをする。

まずは、ラグビーの日本代表としてプレーする。

4年に1度あるワールドカップの自国大会を2019年に控えるナショナルチームは2016年6月、本格的なメンバー編成のもとでツアーを敢行中だ。国際間の真剣勝負にあたるテストマッチを3つ、おこなうのだ。

11日に敵地バンクーバーであったカナダ代表戦は26-22で辛くも逃げ切り、18、25日には、愛知と東京でスコットランド代表戦を控える。

スコットランド代表は、前年秋のイングランド大会で唯一敗れた相手だ。あの時のジャパンは、南アフリカ代表などから3勝して認知度を高めた。それもあって、どちらの試合も民放で生中継される。

いまの日本代表は、たった数カ月前に持っていた資源のいくつかを失っている。人気のあるリーチ マイケルや五郎丸歩はケガで招集要請を辞退し、何よりエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチら首脳陣は次の仕事を決めた。

新指揮官のジェイミー・ジョセフが正式に着任するのは秋からで、今回、ヘッドコーチ代行を務めるのはマーク・ハメット。いまは国際リーグのスーパーラグビーで、日本のサンウルブズを率いるニュージーランド人だ。

現実は辛い。それでも小野は、代表チームの明るい未来をつくりたいという。

今回の3試合は、真剣勝負でありスタートライン。イングランド大会の試合など32のテストマッチに出てきた通称「コス」は、頭のなかの英語を日本語に変換して言った。

「去年のようにやれと言われても、いまの段階ではそれだけの準備をしていない。ここをスタートポイントとして、切り替える時期かな、と」

 

 

3歳半の頃に家族とニュージーランドへ渡り、国技に近いラグビーに触れた。地元のクライストチャーチボーイズ高を出たばかりだった2007年の春、帰国した。日本代表に選ばれたためだ。

そのまま、フランスでのワールドカップに出た。20歳だった。「クラブでのラグビーからいきなりインターナショナルのラグビーに…」。司令塔のスタンドオフを任されたが、とっさの場面で日本語の指示が出せなかった。

以後4年間、国際舞台からは遠ざかった。大会後も続投した当時のジョン・カーワンヘッドコーチには、話しかけることさえままならなかった。

福岡県は宗像市のサニックスで独自の展開スタイルを楽しんでいた2012年、ジョーンズに請われ代表に復帰。ここから持ち前の目配り、気配り、心配りを生かすこととなる。

イングランド大会で隣同士のポジションだった立川理道は、「コスさんは本当に凄いんですけど、凄さがわかりにくいんですよね」とつぶやいたことがある。ほめ言葉だ。

身長171センチ、体重83キロ。国際舞台にあって小柄な「コス」は、自軍の陣形を整えながら相手の穴を探し続けた。華麗なパスやステップといった「わかりやすさ」を超越したスキルで、目まぐるしい連続攻撃を滑らかにさせたのである。

多国籍軍が一枚岩で動かねばならない日本代表にあっては、バイリンガルという資質も重宝された。日本語はうまくなっていた。

困難も続いた。苛烈さでも知られるジョーンズからは、毎日のようにメールでプレーのだめを出された。返事を遅らせると余計に叱られた。イングランド大会の1年前には、ワークライフバランスの観点から代表を離れたこともある。

それでも、最後は逃げなかった。

とかく小野は「ラグビー王国仕込みのゲームメーカー」と見られがちだ。ただ実際には、母国で磨かれた人でもあった。

 

 

6月のツアーに臨む日本代表は、4日、都内のホテルに集合した。赤いポロシャツを着て取材に応じた小野は、切れ長の目をさらに細めて意気込みを語っていた。

日本ラグビー協会は、3年後に向けて「世界一ペナルティーの少ないチームを目指す」と唱える。イングランド大会時の日本代表が反則数を全20チーム中最少とし、現地の専門誌から「最もクリーンで規律の取れたチーム」と称されたからだろう。

とはいえその指針は現場にはさほど伝わってはおらず、何よりその具体策は明かされていない。ジョーンズ体制下のジャパンは、レフリーの笛の傾向をチーム総出で分析していた。イングランド大会の直前には、南アフリカ代表との初戦の担当レフリーを合宿地に招いた。

――指針を実現させる具体的な準備。いまも、できますか。

単刀直入な問いに、小野はさらに突っ込んだ答えを掲げた。

「新しいスタッフが新しいものを選手に落としてくれるだろうし、逆に選手もスタッフから新しいものを引き出さないといけない。いままでの勝利につながった要因を理解したうえで、引き出す」

ただ指示を待つのではなく、ただ指示に従わないのではなく、指示を出す側の力を掘り起こすという。それは賢者の知見かもしれなかった。ちなみにハメットとは、ニュージーランド時代からの知り合いのようだ。

 

 

小野が日本のためにしていることは、他にもある。選手会の活動だ。

国際ラグビー選手会と連絡を取り合い、世界の状況を把握。ワールドカップを終えた11月に再びイングランドへ飛んで、同会のミーティングにも参加した。脳振とうやドーピング、八百長などに関する啓もう活動を通し、「選手がピッチで安心してプレーできる環境」を醸成したい。

「1人でもマイナスの方向へ行ってしまうと、ラグビーのブランドはネガティブなものになる。これからは、世界と日本ラグビーが一緒の方向を見ていけたら」

イングランド大会前のジャパンでは、代表選手のサンウルブズとの契約の問題で頭を悩ませていた。そもそも代表選手として拘束される際、必要な書面に自分と違う名前が書かれていて驚いたこともある。

もう、次世代に苦労を持ち越したくはない。

「チームのジャージィは、自分だけのものじゃない。ただ、そのジャージィの意味やプライドは、自分で変えられる。自分が入ってきた時よりいい状態にして、次につなげたいなと」

4月に29歳となった。日本代表とも日本ラグビー界とも、ずいぶんと長く付き合っている。グラウンドの内外で、やりたいことを増やしている。

撮影:長尾 亜紀

撮影:長尾 亜紀

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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