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June 24 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

「自分」への雪辱を果たした末につかんだ切符 ~パラカヌー・瀬立モニカ~

2016年5月17~19日の3日間にわたって、ドイツ・デュイスブルグでは、パラカヌーの世界選手権が行われた。それは、リオデジャネイロパラリンピックの切符をかけた最後の戦いでもあった。

「自分に負けたレースだけは、絶対にしない」

そう心に誓い、瀬立モニカ(せりゅう・もにか)はスタートの位置についた。それは1年前、無意識にも勝負から逃げてしまった自分との約束だった。

 「気持ちが曲がれば、艇も曲がる」

2015年8月、瀬立は初めて出場した世界選手権で、一次予選、準決勝を突破し、決勝進出を果たした。6位以内に入れば、リオへの出場が決まる。決勝は、そんな大事なレースだった。準決勝までのタイムを見ても、瀬立は十分に6位以内に入れると考えていた。

ところが、その決勝で瀬立の艇はスタートで右方向に曲がり、大きく後れをとってしまった。結局、最下位でゴール。リオへの切符はお預けとなった。

なぜ、艇が曲がったのか。それは、戦闘放棄を意味していた、と瀬立は語る。

「はじめは技術的なミスだと思ったんです。でも、よくよくビデオを観てみると、そうではなく、心の問題だったということに気づきました。あの時、私は無意識にも勝負から逃げてしまった。気持ちが曲がれば、艇も曲がるのは当然です」

パラカヌー・瀬立モニカ選手

無意識にも勝負から逃げた昨年の世界選手権。その悔しさは今も忘れてはいない。

 

この時の後悔の念を、瀬立は一日たりとも忘れることはなかった。

「次こそは、逃げずに勝負する」

最低のレースをしてしまった自分への雪辱を果たすため、1年間、メンタル面を鍛えてきたのだ。

そして、2016年5月18日、“その時”がやってきた。

強気で切った最高のスタート

一次予選を突破した瀬立はこの日、準決勝を迎えていた。実は、彼女にとってこの日が正念場だった。一次予選で好タイムを出した2選手にリオへの出場枠が与えられたことにより、この時点で残る切符は2枚となっていたのだ。準決勝同組でリオ出場が決まっていない選手のうち、一次予選で瀬立を上回るタイムを出していたのは、中国とオーストラリアの2選手。瀬立を含めた3人のうち、1選手のみが決勝進出を逃した場合、その選手は落選となる。そのため、瀬立は少なくとも2人のどちらかに勝つことが重要と考えられていた。

レース前夜、瀬立には大きなプレッシャーが襲い掛かっていた。目をつぶると、心臓の鼓動が体全体に響きわたり、なかなか寝付くことができなかった。それでもコーチやスタッフの「大丈夫だから」という言葉でなんとか落ち着き、いつの間にか眠りについていた。

レース当日、瀬立は朝から緊張していたが、それでも「覚悟」は決まっていた。

「昨年のようなレースはしないこと。自分のできることをやる。それだけを考えていました」

ブーッ。

スタートの合図が鳴った瞬間、瀬立は勢いよく漕ぎ出した。艇は曲がることなく、彼女の気持ちと共に、ゴールへと一直線に進んでいった。

「よし、いける!」

瀬立は前半で3、4位争いに加わる好位置につけていた。このままいけば、決勝に進出することができる。そんな期待が膨らむレース展開だった。

ところが、中間地点の100mを過ぎたあたりから、瀬立の艇は徐々にスピードダウンしていった。疲労により、勢いを失ってしまったのだ。結果は5位。ライバル2人は1、2位で決勝進出を決めていた。瀬立はただ1人、準決勝敗退となった。

「負けたんだ……。これでリオには行けないんだな……」

そう思うと、涙は次から次へと流れ落ちてきた。周囲からの「お疲れさま」という激励の言葉が、勝負が終わった現実を突きつけ、逆に辛かったという。ずっと隣にいてくれた西明美(にし・あけみ)コーチだけが、何も言わなかった。それが瀬立には、何よりありがたかった。

パラカヌー

最高のスタートを切ったが、準決勝敗退。リオへの道は閉ざされたと思われた。

 

大会の全日程が終了した夜、瀬立を元気づけようとしたのだろう、ホテルではスタッフによるピザパーティーが行われた。そこでは、2020年に向けての話し合いが行われたという。

「4年後までには、この部分のフィジカルを鍛えないとな」

「こういう技術も身につけないとね」

「シートも改良しないと」

信頼を寄せているコーチ、トレーナー、メカニックと話をするうちに、瀬立の心も徐々に整理されていった。

一度は諦めかけた夢が現実に

「モニカ! リオに出られるって!」

そんな思いも寄らない知らせが届いたのは、世界選手権から帰国した日の夜のことだった。突然、西コーチからテレビ電話がかかってきたのだ。聞けば、決勝に進出した中国人選手が失格処分を受けたことにより、繰り上げで瀬立にリオの出場枠が与えられることとなったというのだ。

「嘘でしょう? 本当なんですか? 信じられない……!」

一度は諦めかけた夢が現実のものとなったのだ。あまりの突然の出来事に、瀬立はただただ驚くばかりだった。そして、画面の向こうの西コーチと一緒に喜びの涙を流した。

パラカヌー・瀬立モニカ選手

突然の朗報に「人生何が起こるかわからない」と瀬立選手。驚きと喜びが一気に押し寄せた。

 

あれから1カ月が過ぎた今、瀬立はリオに向けて練習に励んでいる。西コーチいわく、5月の世界選手権で露呈した「後半の伸び」が課題のひとつとして挙げられている。パワーのある外国人選手に対して、粘って粘って、最後にもうひと伸びある漕ぎができれば、勝機は見えてくるはずだ。

「目標は6位入賞」と語る瀬立。一方、西コーチには勝負以上に「楽しんでほしい」という気持ちがある。

「彼女にとって、一番の目標は4年後の東京。その東京のためにもリオに出場するかしないかは、雲泥の差です。だから本当に貴重な機会をいただいたと思っています。世界トップの世界で戦うことは、こういうことなんだと肌で感じてほしい。そして、レースを楽しんでほしいと思います。考えてみれば、モニカは繰り上がりですから、出場選手10人中10番目の選手。気負わずに、納得のいくレースをして、東京につなげてほしいと思っています」

約2カ月後に待ち受ける世界最高峰の大会で、瀬立はどんなレースを見せてくれるのか。トレードマークの笑顔に似合う、思い切りのいいレースを期待したい。

パラカヌー・瀬立モニカ選手と西明美コーチ

西コーチ(右)の支えあって掴んだリオの切符。世界最高峰の舞台でのレースは「恩返し」でもある。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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