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July 08 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

米韓参加で、踏み出した大きな一歩  ~車椅子ソフトボール~

米韓参加で、踏み出した大きな一歩  ~車椅子ソフトボール~

 

7月1~3日の3日間にわたり、北海道千歳市では「第4回全日本車椅子ソフトボール選手権大会」が行われた。今年は米国、韓国からも代表チームが特別参加し、北は北海道から南は福岡まで全国から集まった国内10チームと共にしのぎを削った。さらに日米韓の代表チームによる「第1回ワールドチャンピオンカップ」も同時開催され、車椅子ソフトボール界にとって史上初の「代表戦」が行われた。

米オールスターを苦しめた日本代表

40年前から全米選手権(2014年からは「ワールドシリーズ」に名称変更)が行われ、世界に先駆けて車椅子ソフトボールを普及・発展させてきた米国。そのオールスターで結成されたチームは、やはり強かった。全日本選手権では決勝までの全4試合で2ケタ安打・得点をマーク。昨年初優勝し連覇を目指した東京レジェンドフェローズとの決勝でも、21-1と攻守にわたって圧倒した。

しかし、その米国代表と互角に渡り合ったのが、全国の各チームから選抜されて結成された日本代表だった。「ワールドチャンピオンカップ」で行われた日米戦は、3回までゼロ行進という投手戦の展開。常に猛打をふるってきた米国にとっては、予想外だったに違いない。

待望の先取点も日本だった。4回表、1死一塁から3番・源貴晴(みなもと・たかはる)が右中間を抜ける二塁打を放ち、一塁走者の松田瑶平(まつだ・ようへい)が一気に駆け抜け、先制のホームを踏んだ。米国にとっては、今大会初めて許したリードだった。

車椅子ソフトボール

日米戦では、先制タイムリーを放った源貴晴選手

その裏、米国は先頭打者が左前安打で出塁すると、続く打者の打球は内野ゴロとなり、日本にとっては併殺に仕留めるチャンスだった。しかし、ここで守備のミスが出て、結果的には一、二塁ともにアウトにすることができなかった。これが後に大きく響くことになる。この後、米国は一挙4点を挙げて、逆転に成功した。

5回表、日本は先頭打者の6番・石井康二(いしい・こうじ)が左前安打で出塁すると、7番・飛島大輔(とびしま・だいすけ)の打球を米国の右翼手が後逸。石井が一気に生還し、飛島も二塁へ進んだ。続く8番・米田正人(よねだ・まさと)も安打で続き、一、二塁とすると、9番・平田真一(ひらた・しんいち)が犠打を決めて1死二、三塁に。10番・髙木裕太(たかぎ・ゆうた)の内野ゴロの間に飛島がかえり、1点差。さらに2死三塁から、1番・篠田匡世(しのだ・まさつぐ)が同点打となる適時打を放ち、試合を振り出しに戻した。

車椅子ソフトボール

米国から2安打を放った篠田匡世選手。2本目は貴重な同点打となった。

しかしその裏、すぐさま米国は2死無走者から三者連続安打で1点を追加し、再び勝ち越しに成功。6、7回は日本打線を三者凡退に切って取り、米国が1点差で逃げ切った。

米国を本気にさせた飛島の投球

結果的に負けはしたものの、車椅子ソフトボールの普及活動が行われてわずか4年の日本が、40年の歴史を持つ米国を苦しめたことは間違いない。数年前までは「雲の上の存在」だった米国だが、その距離は確実に縮まっていることを示した試合となった。

日本は、2012年から毎年、代表チームを全米選手権に送りこんでいる。その1年目からチームに帯同している日本代表の斎藤雄大コーチにとって、いまだに忘れられないのが2年目の2013年だという。

「1年目は、まだ車椅子ソフトボールの存在を知ったばかりで、とにかく出場してどういう競技かを知ることが目的でした。でも、2年目からは国内でも全日本選手権が始まり、本気で勝ちに全米選手権に臨んだんです。ところが、結果は全敗。しかも6試合中5試合がコールド負け。まさに叩きのめされたという感じでした。その時、思ったんです。代表として出場するなら、ちゃんと勝負できるチームを作らなければ話にならないし、それこそ米国にも失礼だと。今回、その時のことが思い出されて、『よくぞ、ここまで戦えるチームになってくれたな』と感慨深いものがありました」

その斎藤コーチが、好試合の要因に挙げたのが、飛島のピッチングだ。飛島は、毎試合2ケタ得点の米国打線を5失点に封じてみせた。山なりのボールが、米国の打者たちのタイミングを狂わせたのだ。飛島は、こう戦略を明かしてくれた。

「一発だけは、絶対に避けたいと思っていました。(スローピッチからの)真っすぐの軌道ではスピードがない分、全部持っていかれてしまう。そこで、高めの山なりのボールを投げようと考えたんです。山なりのボールは、打者の手元でゆっくりと落ちてくる。そこで落差が生じるわけですが、打ち気にはやる米国の打者たちは、ボールが落ちるのを待ち切れずに打ってしまうんです。そうすると芯から外れて、平凡なフライになる。それを狙ったのですが、うまくはまりましたね。でも、これもバックがしっかりと守ってくれると信頼できたからやれたこと。実際、『やばい』と思った打球を、外野のシノ(篠田)やミナ(源)が捕ってくれて助かった、というのが何度かあったんです」

実は前日のレセプションパーティーで、飛島は米国代表の主砲ブレント・ラスムッセンにこう約束したという。

「明日、もし自分が投げることになったら、ウォーク(故意四球)はせずに、全打席勝負しに行くから」

その宣言通り、飛島は一度もウォークすることなく、真っ向勝負で挑んだ。打席に立つラスムッセンにはオーラを感じたという。「少しでも甘く入れば、柵の向こうに持って行かれる」。そんな緊張感が、かえって飛島のピッチングに好影響を与えた。安打は打たれたものの、狙い通り本塁打は1本も打たれず、最後まで米国打線を乗せなかった。

車椅子ソフトボール

戦略的なピッチングで米国打線を苦しめた飛島選手。

「米国も本気になっているのが伝わってきて、あの緊張感の中で投げることができたのは、本当に楽しかったです」と飛島。19歳の時に交通事故で車椅子生活となり、「また野球がやりたい」という思いで、北海高校野球部時代の恩師である大西昌美(おおにし・まさみ)監督(現北翔大学野球部監督)と2人でキャッチボールをしたのが8年前。それが日本の車椅子ソフトボールの始まりだった。その後、車椅子ソフトボールの存在を知り、中心選手の一人として日本の車椅子ソフトボールを牽引してきた。「米国に追いつきたい」という思いは、誰よりも強かったはずだ。その飛島にとって、今回の日米戦は大きな手応えとなったに違いない。

米韓を驚かせた日本の広がり

飛島にはもう一つ、感慨深く感じていたことがある。予想以上のスピードで、国内で普及が進んでいることだった。3年前に行われた第1回全日本選手権に出場したのは、わずか2チーム。それが第2回には6チームとなり、第3回には8チームに。そして今回は10チームに増え、さらに米国と韓国が参加するというグローバルな大会へと発展した。

総勢200人が一堂に会した開会式で、ひとり一点を見つめ、じっとしている飛島の姿があった。声をかけると、彼はこう気持ちを明かしてくれた。

「こんなに大勢の人が集まるような大会になったんだなぁと改めて思っていたんです。しかも、米国や韓国からも参加してくれて……。最初は僕ひとりで壁当てをやっていたんですよ。そこから始まったんだなぁと思い返していたんです」

普及の早さには、米国代表も驚きを隠せなかったようだ。全米選手権で何度もMVPに輝き、2年前には全米車椅子ソフトボール連盟の殿堂入りを果たしたラスムッセンは、こう語っている。

「40年の歴史を持つ米国にも勝るとも劣らないほどの素晴らしい大会が開かれていることに、驚きました。正直、4年でここまでになっているとは、想像もしていませんでした」

車椅子ソフトボール

2冠を達成した米国代表。ダイナミックなプレーで会場を沸かせた。

一方、昨年9月に行われた埼玉西武ライオンズ主催の「ライオンズカップ」に視察に訪れ、その後普及活動が始まった韓国は、日本の組織の在り方や発展の仕方に驚いていた。スタッフの一人、大学生のキム・ユンギは、こう語る。

「韓国では、障がい者スポーツというと、パラリンピック競技のようなエリートスポーツは行われているけれど、底辺が広く、誰もが楽しむことのできる広がりというのがありません。だから、日本ではそういうことが行われていることに驚きました。また、韓国ではまず組織があって、それが中心となって物事が動くというのが普通です。ところが、日本では人のつながりによって、これだけ広がっているということを知って、すごいなと思いました。この大会で見たこと、学んだことを、韓国に持ち帰り、これから普及活動を行っていきたいと思っています」

現在、韓国で実際にチームとして活動しているのは、1チームだという。しかし、国内で野球は人気スポーツの一つ。だからこそ、「車椅子でも野球をやりたい」と思っている人は決して少なくないと見ている。この競技を知りさえすれば、『やりたい』と思うはずだ、とキムは語る。

今回参加したソン・イホは、その代表例だろう。韓国の養護学校の体育教師というソンは、これまで車椅子バスケットボール、シッティングバレーボール、車椅子卓球など、さまざまな競技を行ってきた。しかし、車椅子ソフトボールにすっかりはまってしまったという。

「この競技の魅力は、自分のような障がいの重い選手から、障がいの軽い選手まで、一緒になって楽しむことができるというところ。予想以上に運動量も豊富で、自分にとっては最高の競技です。学校の生徒たちにも、ビデオを見せたら喜んでいました。今回、日本の大会に出場することも伝えていて、応援してくれているんです」

今後は車椅子ソフトボール1本に絞り、韓国国内での普及・発展に注力していくという。

こうした世界的な広がりは、2024年のパラリンピックでの正式種目を目指す車椅子ソフトボール界にとって、大きな一歩となる。日本車椅子ソフトボール協会の山田憲治事務局長はこう語る。

「国際車椅子ソフトボール連盟のような組織ができれば、我々が目標としているパラリンピックの正式種目への大きな一歩となると思うんです。その意味でも、今回全米連盟が初めて代表チームを結成して日本に送り込んできてくれたのは大きい。それほど、全米連盟も本気になってきている証拠ですからね。そして、韓国でもきちんとした組織を作ってもらって、ぜひ一緒にやっていきたいと思っています」

車椅子ソフトボールの歴史に新たな1ページを刻んだ今大会が、どのようにして生かされていくのか。日米韓の協力体制の構築が、大きなカギとなりそうだ。

車椅子ソフトボール

世界的な普及・発展へ、今後の動きが注目される。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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