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July 10 2016 By 向 風見也

サンウルブズのリアン・フィルヨーン、スーパーラグビーという日常に生きる。

亜熱帯化した東京の秩父宮ラグビー場で、蛍光色のキックティーに白い楕円の球を置く。ハーフ線の手前から、約50メートル超のゴールキックを蹴る。蹴る。蹴る。

2016年7月2日、国内ホームゲーム最終戦に臨むリアン・フィルヨーンは、直前練習を淡々とこなしていた。33歳のプロアスリートで、記録には「185センチ、90キロ」と記す。その体躯は、公式サイズとは裏腹にシャープな印象を与える。

舞台は南半球主体のプロリーグ、スーパーラグビーだ。日本から初参戦するサンウルブズにあって、フィルヨーンはここまで試合のおこなわれなかった週を除く全12節で出場中だった。そのうち11回はスターターだ。文句なしの主力である。

初来日のマーク・ハメットヘッドコーチには、開幕前の時点で「フィルヨーンのロングキックは収穫」と称えられていた。12度目の先発出場を直前に控えたこの刹那、職務を遂行すべく、集中力を高めていた。

 

 

つくづくラグビー選手は、言うは易し、おこなうは難しの格言を放つ。南アフリカはクラークスドーブ高卒業後に自活を始めたフィルヨーンもまた、こんな人生訓を掲げている。

「いまの状況を当たり前だと思わない。日々、感謝する」

2013年、足腰の強い長身のキッカーとしてNTTドコモ入りした。当時加盟していた日本のトップリーグで、2季プレーして帰国。本人の記憶によれば2015年の「11月頃」に、2016年の再来日を決めた。サンウルブズへ参加するためだ。

ラグビーはチームスポーツだ。ひとつの個性が、所属する組織の風土との相関関係でどんな色にも映る。

勝ち星に恵まれぬクラブのセルフィッシュかもしれぬ若者が、常勝集団の歯車と化す。統率の乱れたグループで孤軍奮闘する控えのベテランが、捲土重来を期す群れの精神的支柱となる。きっと世界中の楕円球界には、かようなストーリーがいくつも転がっている。

下位に低迷したNTTドコモを2シーズンで離れたフィルヨーンは、サンウルブズの希少な主軸に昇華した。

「ただ、自分のラグビーをやっているだけです」

当事者は、置かれた立場の変化をこう捉えるのみだった。

サンウルブズは、発足決定から1年強の間で契約選手を集められないなど、発足そのものが危ぶまれていた。無事に2月26日の開幕を迎えてからも、専用のクラブハウスがないなか手探りでのキャンペーンを強いられている。

シーズン中、デスメタルバンド「インファーナル・リバルジョン(悪魔的憎悪)」のボーカルでもある佐藤秀典通訳を介し、フィルヨーンが即席インタビューに応じた。

「(契約の段階で)準備期間が短いことは知っていましたが、スーパーラグビーに参戦したチームがいきなりなくなるなんて、ありえないと思っていた。そのあたりの心配はしていなかったです。サンウルブズでは、コーチたちが自分の判断に任せてプレーをしろと言ってくれている。その意味では、自由度が高いです」

東京は辰巳の森海浜公園ラグビー練習場の脇にある、プレハブのトレーニングルームの入り口付近でのことだ。

曇り空の下でも、タフであり続けたかった。

 

 

家族が応援に来た春の南アフリカ遠征では、辛苦に見舞われた。

4月15日、ブルームフォンティンはフリーステイト・スタジアムで、チーターズに17―92で敗れた。堀江翔太キャプテンは「一番(苦労した点)は、ご飯じゃないですか。お腹、下しましたもん」と、表に出づらい問題点を顕在化させた。田邉淳アシスタントコーチは「このチームは100パーセントを出し切って初めて勝てる」と、どうにか前向きな反省点を導き出した。

フィルヨーンはどうか。

「残念な結果ですが、スーパーラグビーではそういうこともある。受け入れなければ」

来日前の2009年から2011年はチーターズ、2013、2014年はシャークスの一員としてこの舞台に参加していた。「スーパーラグビー経験は長い。その経験が長いほど、冷静さが養われます」と話したこともあった。

国際クラスのゲームに完敗した事実をありのまま認め、次の国際クラスのゲームのための分析、練習を始める。それが、スーパーラグビーの選手の日常だった。

悲劇のノーサイドから約1週間後の4月23日、東京は秩父宮ラグビー場。背番号15をつけたフィルヨーンは、いつものようにただただ職務を遂行する。

自陣から高く蹴り上げたボールを追いかけ、捕球する。

ラインアウトからの用意された連続攻撃へ加わり、着実に守備網を破る。

せり上がって来る相手の群れへ突っ込み、ジャンプ一番でハイボールを掴む。

リードされた試合終盤に、ハーフ線の手前からドロップゴールを狙う。

36-28。フィルヨーンはこのクラブの歴史的勝利を、最も印象深い出来事として語っている。「名誉を挽回しなければという思いもあって、いい準備ができた」と振り返った。

 

 

この国の楕円球ファンがいま望むことは、「チョッピー」の愛称を持つフィルヨーンの日本代表入りだろうか。

2019年のワールドカップ日本大会の頃には36歳となっている本人だが、「まだ、若い!」。老いに抗う態度を表明し、ジャパン入りへの思いを聞かれれば「チャンスがあれば光栄」と続ける。

統括団体のワールドラグビーが定める代表資格は、「その国や地域に3年以上住み続けた、他国代表選出経験のない選手」となっている。

日本代表のフルバックにあっては、昨秋のワールドカップイングランド大会で活躍した五郎丸歩が故障中。好ランナーの松島幸太朗や帝京大4年の松田力也ら20代の若手が、定位置奪取に名乗りを上げている。敵のキックに備えた位置取りやゲーム理解度に妙味を覗かせるキャリア組がもう1人加われば、よりハイレベルな争いが演じられよう。

もっともフィルヨーンは、南アフリカ代表に選ばれたことがある。

ガイドブック上では代表歴ゼロとされているが、国際間の真剣勝負にあたるテストマッチに出ていないだけのこと。南アフリカラグビー協会は、フィルヨーンを2009年の遠征に参加した代表選出経験者と位置付けている。

もちろん、これでジャパンになる方法の一切が閉ざされたわけではない。何より、これからの代表資格の取得可否とこれまでのパフォーマンスは分けて考えられるべきものだ。

 

 

2日、秩父宮。4点差を追う前半22分、自陣10メートルエリアでペナルティーキックを獲得する。

オーストラリア代表メンバーを複数揃えるワラターズに食らいつくべく、サンウルブズはペナルティーゴールでの加点をもくろむ。ゴールポストまで57メートルも距離があるが…。

「チョッピー、蹴れる?」

ゲーム主将の立川理道が聞けば、フィルヨーンは即答する。

「もちろんだ」

弾道は練習通り、ポストの間を通過した。6-7と差を詰め、「18147人」の熱狂を誘った。

――あなたは、落ち着いてプレーしているように映ります。

「そうあるべきだし、そうであることを願うね」

最終スコアは、12―57。

その日のうちに、チーム2度目の南アフリカ遠征へ旅立った。

スーパーラグビーという曲がりくねったあぜ道は、まだ、続く。現地時間7月16日、ダーバンはグロースポイント・キングスパークで開かれる最終節では、フィルヨーンの古巣であるシャークスが待つ。

撮影:長尾 亜紀

撮影:長尾 亜紀

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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