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October 02 2015 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

プロ野球球団初主催で、海外にも広がる普及の輪 ~ライオンズカップ 車椅子ソフトボール大会~

9月5、6の両日、「第1回ライオンズカップ 車椅子ソフトボール大会」が、西武プリンスドームの駐車場で行われた。大会には北海道、東京、埼玉、神奈川(横浜)の4チームが出場。会場には2日間で延べ150人が来場し、大方が初めて目にする車椅子ソフトボールを楽しんでいる様子がうかがえた。今大会、特筆すべきはプロ野球球団が主催したこと、そして障がいの有無に限らず誰でも参加可能型の大会だったという2点だ。今回は、日本スポーツ界に新しいスポーツの在り方を提唱したといっても過言ではないライオンズカップから見えた競技の魅力と開催意義について触れてみたい。

堀江航選手

米国でのプレー経験をもつ、埼玉西武A.S.ライオンズの堀江航選手

元プロ、元球児も感じる難しさ。だからこその魅力

栄えある初代王者に輝いたのは、今大会の開催を機に埼玉西武ライオンズがユニホーム提供などバックアップして誕生した埼玉A.S.(Adapted Sports)ライオンズ。日本で同競技が普及する前から米国でプレー経験をもつ堀江航(ほりえ・わたる)を中心に結成されたチームで、優勝決定戦では今年7月の第3回日本選手権で初優勝したTOKYO LEGEND FELLOWSを、延長戦の末に11-10で破って優勝を達成した。

埼玉A.S.ライオンズ

TOKYO LEGEND FELLOWSを延長戦の末に破って優勝した、埼玉A.S.ライオンズの選手たち

実はこの2チームには、元プロ野球選手や元甲子園球児も加わっている。日本車椅子ソフトボール協会は、障がい者と健常者が一緒に楽しむスポーツを目指しているため、国内大会はいずれも健常者との混成チームが可能となっている。そこで今回優勝したA.S.ライオンズには元横浜の古木克明(ふるき・かつあき)、元ヤクルトの副島孔太(そえじま・こうた)が参戦。

一方、FELLOWSには今でも甲子園の名勝負として語り継がれる2006年夏の決勝「早稲田実業vs.駒大苫小牧」のメンバー2人が加わった。早実の優勝メンバーである神田雄二(かんだ・ゆうじ)と、駒大苫小牧でクリーンアップを張った鷲谷修也(わしや・なおや)だ。

とはいえ、彼らが大活躍したかといえば、決してそうではない。車椅子に乗った状態で打つこと、車椅子操作をしながら投げる、守る(捕る)というプレーに、誰もが苦戦していた。例えば、外野に鋭い当たりを飛ばしたとしても、打席から一塁まで車椅子を漕ぐスピードが遅かったり、守備では打球への一歩が車椅子では出せなかったり……。しかし、この難しさが競技への興味を膨らませ、さらには障がいの壁を取り払っていた。

試合後、神田はこう語っている。

「車椅子の操作が、めちゃくちゃ難しかったですね。いい当たりを飛ばしても、アウトになっちゃいますし。逆にハンディキャップを負っているはずの彼らの方がすごくうまくて、どうすればいいプレーができるのかを熟知している。だから健常者が上に立つなんてことは全然なくて、障がいのある、なし関係なく、単純にうまい人を尊敬してしまうっていうのが、すごくいいなぁと思いましたね。今回は自分のプレーが悔しくて悔しくて、どんどんむきになっちゃいました」

一方、7月の日本選手権を経験している鷲谷からは、2カ月前にはなかった自信がうかがえた。車椅子操作に不慣れな様子は消え、軽快な動きを見せる彼は、すっかりチームの主力となっていた。「結構、練習してきたのでは?」という問いに「そうなんですよ」と笑みをこぼした。彼もまた、日本選手権で難しさを感じ、だからこそ車椅子ソフトボールに魅かれたひとりだ。

「今朝、決勝のメンバー発表の時に監督が『今日は外野をかためるから』って言ったんです。だから僕は内野を守るのかなぁって思っていたら、外野のメンバーのひとりが自分だったのでビックリしました。でも、打つ方では4番だったのに3打数1安打だったので、ダメでしたね。でも、やっていて楽しくて仕方なかったです」

鷲谷がすっかりチームメイトとも溶け込んでいる様子が印象的だった。

車椅子ソフトボールにおいて、元プロ、元甲子園球児などという過去の経歴は通用しない。だからこそ彼らは競技に熱中し、そして「健常者」と「障がい者」ではなく、「仲間」として楽しむことができる。それがライオンズカップで改めて感じた車椅子ソフトボールの魅力である。

鷲谷修也選手

TOKYO LEGEND FELLOWSの鷲谷修也選手

3年前から支援する西武。野球振興への思いをかたちに

また、今大会が画期的だったのは、プロ野球球団である西武が、大会を主催したことだ。車椅子ソフトボールが米国から伝えられ、日本で行われるようになったのは2012年。翌年からは毎年7月に北海道で日本選手権が開催されている。西武は、その第1回大会からスペシャルサポーターとして支援してきた。きっかけは、西武の事業部マネージャー市川徹氏が偶然見つけた車椅子ソフトボール協会のホームページだった。

「私が偶然、インターネットで車椅子ソフトボールのことを知ったのが始まりでした。(2013年)4月に協会を設立して、7月には第1回日本選手権を開催するとあって、関心を抱いたんです。というのも、ちょうど同じ4月に、私たちの会社でコミュニティーグループという担当部署ができて、野球振興のために何ができるかと考えていたところでした。ソフトボールとはいえ、“野球型”のスポーツであることは変わりはないですし、健常者も障がい者も一緒になって盛り上げられたら野球界にとってもすごくいいことだなと思ったんです」

そして、西武の野球振興への強い思いがさらにかたちとなって実現したのが、今回のライオンズカップだった。国内野球界の頂点にあるプロ野球球団が、車椅子ソフトボールの大会を主催したことで、「世間に与えるインパクトは大きかったことは間違いない」と車椅子ソフトボール協会の山田憲治事務局長は語る。

「1ページを割いて大きく取り上げてくれたスポーツ紙もありましたし、当日ほかの球団関係者も視察に来ていただきました。とてもいいアピールの場になったと思います」

TOKYO LEGEND FELLOWS

盛り上がった決勝戦の様子。得点が入り喜ぶTOKYO LEGEND FELLOWSの選手とスタッフたち

影響は国内だけにとどまらなかった。山田事務局長によれば、韓国からは脊髄障がい者協会の総長やスタッフ、交通事故で障がいを負った元韓国プロ野球選手も会場に視察に訪れていたという。

「総長さんは、『本当にやれるのか』と半信半疑で来日したそうです。でも、実際に見てみたら、競技としての可能性を感じたそうで、『帰国したら、すぐに普及に取り組みたい』とおっしゃっていました。もしかしたら来年のワールドシリーズ(※)に韓国代表が出場してくるかもしれません。そうなれば、世界への普及の大きな一歩になるはずです」

 

一方、主催した西武側は、大会自体は成功と手応えを得たものの、今後への課題も感じている。事業部の石野紀子氏はこう語っている。

「告知という点に関しては、反省点も多いですね。今回は球団ホームページやフェイスブックでの告知、球場内にチラシを置いたり、西武線の主要8駅にポスターを貼ったりしたのですが、まだまだやれることはあったと思っています」

来年は、鉄道、バス、タクシーなど西武グループの交通機関を利用した告知展開も考えているという。

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定後、障がい者スポーツは徐々に広がりを見せている。以前よりは身近に感じ始めている人も少なくないだろう。しかし、その親近感は言葉によるものであることが多いのではないだろうか。つまり、「パラリンピック」「障がい者スポーツ」という言葉を聞いたことはあっても、実際に見て感じた経験をもつ人は決して多くはない。障がい者スポーツの普及における課題のひとつは「いかに会場に足を運んでもらうか」だ。

日本人にとって身近であるプロ野球球団がパートナーシップを図り、健常者も参加できるライオンズカップは、その打開策としていいモデルケースとなるのではないだろうか。

車椅子ソフトボール

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

 

※米国では約40年前から全米選手権を開催。2014年、国際大会へと発展させるため、ワールドシリーズと改称した。日本は2012年から代表チームを結成し出場している。

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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