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August 19 2016 By 向 風見也

いい人で、強い人で、いい人。湯原祐希、ワールドカップ後2季目のラグビートップリーグへ何を思うか。

いい人で、強い人で、いい人。湯原祐希、ワールドカップ後2季目のラグビートップリーグへ何を思うか。

おいおい、ここは逆だろう。

湯原裕希がリーチ マイケルに突っ込みを入れたくなったのは、現地時間2015年10月10日のことだった。

ラグビーの日本代表が、アメリカ代表との予選プール最終戦を前日に控えた折だ。過去優勝2回の南アフリカ代表を制すなど歴史的な成果を挙げてきたが、別会場での結果などから準々決勝進出への道が断たれていた。

最後の最後となった選手同士のミーティング。主将のリーチは、2人の選手に試合用のジャージィを手渡すことにした。相手はアメリカ代表戦のメンバーからも外れ、大会中の出番がなくなった2人である。

そのうちのひとりは、廣瀬俊朗だった。リーチの前に重責を担っていた前主将で、当時のエディー・ジョーンズヘッドコーチが4年間率いてきたチームのキーパーソンだった。

現地入り後も、南アフリカ代表戦の前日に日本から集めたメッセージビデオを再生。対戦相手の分析、練習会場でのごみ拾いにも魂を込めた。一部では「影の主将」と謳われ、仲間内での存在感は群を抜いていた。

もし自分と廣瀬にジャージィを渡すなら、その順番は推して然るべきだろうと湯原は思った。

違った。

先にジャージィを受け取ったのは、何と廣瀬の方だった。声を詰まらせながら「ありがとう」とほほ笑んでいて、もらい泣きをする選手もいた。

まったく、この後に自分がお礼のスピーチをするなんて間が悪いじゃないか。

同じ東芝の後輩で獅子奮迅の活躍をするリーチに尊敬と感謝の念を抱きながらも、湯原は心で口を尖らせた。

 

公式サイズは「身長173センチ、体重102キロ」。てっぺんを立たせたベリーショートのヘアにあごひげを生やし、子どもを乗せるかごを付けた自転車でグラウンドへ通う。シーズン中以外は勤務先の作業着を羽織っていて、ここまで住宅街や社宅の似合うトップアスリートはいるのかと思わせる。

どこか人を和ませる風情以上に、スクラムへの深い造詣が信頼を呼ぶ。最前列中央のフッカーに入って両脇のプロップと姿勢を合わせ、高速ヒットで相手の懐へ突き刺さる。ぶつかり合う瞬間の鋭さと低さには、大男もしばし手を焼く。

イングランド大会の南アフリカ代表戦で逆転勝利を呼ぶスクラムを組んだ右プロップの山下裕史は、しばし湯原に「スクラム、どうすか」と意見を求めていた。湯原は安心させるべく「いいんじゃない」と言ってから、「こう変わればもっと…」と建設的な意見を付け加える。

同じく右プロップ、サモア代表戦の好スクラムで魅せた畠山健介は、代表活動中はずっと湯原にくっついていた。2時間以上のバス移動の際は、座席に余裕があっても隣同士になった。大会のメンバーが決まる前などは、湯原が畠山にこう冗談を言ったという。

「ハタケ、お前は絶対メンバーに入る。俺がもしだめなら、お前が俺をメンター(相談役)で雇え」

 

日本代表では、ずっと当落線上に置かれた。ふるいにかけられては意地を示しての繰り返し。代表的なワンシーンは、2013年9月17日にあった。

この午後は、東京都府中市の東芝グラウンドに日本代表の候補選手が集結していた。スクラムの実戦形式セッションをおこなう際、練習相手となったのが東芝のフッカー、湯原だった。

「自分の勝負したいところは、ここなので…。がんばりました」

久しぶりに顔を合わせたばかりで息の合わない日本代表の塊を、なじみ仲間とともにひねり上げた。

組んでも、組んでも後へ引かなかった。

翌10月に組まれた合宿を前に、東芝で監督だった和田賢一から祝福されたのだった。

「カムバック、おめでとう」

以後もその場、その場でナショナルチームの隊列に食らいついた。2011年のニュージーランド大会に続き、2大会連続でのワールドカップメンバーとなったのである。

約1か月半続いたイングランド大会のツアー中は、試合出場者が免除される早朝の体力強化練習にフル参加。別途、スティーブ・ボースヴィックとマンツーマンで、空中戦であるラインアウトのスローイングを繰り返したこともあった。

次の試合に出られないことが決まったら、次の試合に出る選手を支えようと誓った。

加えて、その次の試合に出る準備を陰ながら始めていたのだ。

「試合のメンバーも疲れているとは思うんですけど、(練習前後に)ちゃんと荷物を持ってくれたり…。辛いことも一緒にやってきている仲間ですし、全力でサポートしたいと思えました」

いい人で、強い人で、いい人だった。

 

あのジャージィ授与の時は、「嬉しい。ありがとう。出たかったし悔しさもあるけど、それ以上にサポートをしたい気持ちがある」と白い歯を見せた。

こざっぱりとした話を聞き、「涙が引っ込んだわ!」と皆で笑いあった。グロスターのキングスホルムスタジアムでのアメリカ代表戦は、28―18で制した。

帰国後も、日本最高峰のラグビートップリーグで活躍。列島屈指のスクラム職人として、準優勝した東芝の屋台骨を支えた。

2016年8月、32歳で迎える新しいシーズン。東芝で定位置を争う相手は28歳の森太志だ。今季の森は、国際リーグのスーパーラグビーに日本から加わったサンウルブズに加入。その流れで日本代表デビューも果たしている。

実は、サンウルブズからのラブコールを湯原は断っている。2019年のワールドカップ日本大会を鑑みて、「自分が主ではない。もっと他に経験を積んで欲しい選手がいると思う」と頭を下げたのだ。

結局、ライバルの森は成長して東芝へ戻って来る。湯原はこうだ。

「あいつが強くなってくれたら、チームが強くなる。あいつが良くなって逆転されたら、それはそれ。そこから食らいついたり、後半から出たり…」

起ったことはありのままに受け入れる一方で、胸中の炎を消さない。いい人で、強い人で、いい人。軽い口調で「まぁ、若い時には、こんなこと思わなかったですけど」と言い残した。

撮影:長尾 亜紀

撮影:長尾 亜紀

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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