TOPへ
August 19 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

NPBを目指し続ける理由とは ~新潟アルビレックスBC・野呂大樹~

「体が動く限り、NPBへの目標は諦めません」

野球独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(BC)の野呂大樹(のろ・だいき)はそう言って、NPBへの強い思いを語った。大学時代、NPBのドラフト候補にも挙がるほどの実力の持ち主である野呂も、今年で28歳となる。年齢を考えれば、NPBへの道は今後、さらに厳しくなることは間違いない。それでも彼は、期限を設けず、目指し続けている。そこには、ある「使命感」があった――。

努力と工夫の積み重ね

野呂は先天性難聴という障がいがある。補聴器の音量を最大にして、ようやくわずかな音が聞こえるほどだという。音のない世界で野球を続けることは、並大抵のことではなかったはずだ。人一倍、いや何十倍もの努力と、そして工夫が必要だったに違いない。野呂はこんな一例を挙げてくれた。

「僕が本格的に外野手としてプレーするようになったのは、高校2年からなんです。その時に、困ったのは打球の判断でした。打球音が聞こえれば、詰まっているのか、バットの芯に当たっているのか、を聞き分けることができます。でも、僕にはそれができない。だから最初は、遠くに飛んでくると思って下がったら、全然前に打球が落ちることもあったんです」

その時、野呂にアドバイスをしてくれたのが、自らも野球の経験がある父親だった。

「お前は誰よりもいい目を持っているんだから、それを使えばいいんだよ」

そのひと言が、打開策を生み出すきっかけとなった。

「お父さんに言われて、なるほど、と思ったんです。それでよく見るようにしたら、詰まった時、芯に当たった時、気持ち良く飛ばす時など、それぞれ打者のフォームが違うことに気づきました」

野呂が常にレギュラーを獲得し、活躍し続けてきたのは、こうした努力と工夫の積み重ねがあり、そして「決して難聴であることを言い訳にしたくない」という強い気持ちだった。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの野呂大樹選手

抜群の視力を生かし、外野手として活躍する野呂大樹。

目標から使命へ

野呂がプロ野球選手を目指すようになったのは、小学生の頃だった。テレビでプロ野球の試合を観て、「こんな世界があるんだ。僕もなりたい」と思った。それは他の子どもと同じ、自分自身の「夢」であり「目標」だった。

それが大学時代からは、「自分だけ」のものではなくなったという。それは、こんなことがきっかけだった。

「大学に入った時に、『あれ?』って思ったんです。自分の大学はもちろん、他の大学と試合をやっても、自分と同じように耳が聞こえないという選手に一人も出会わない。もしかして、自分以外に誰もいないんじゃないかって。多分、野球なんてできるはずがないとか、野球をやっても硬式は危ないからとか、そういう理由で足踏みする人が多いんです。だったら、僕が『ここまでできるんだ』ということを示したいなと。それで、諦めずに野球をやる人が多くなってくれたらいいなって。そう思ったんです」

現在、野呂がNPBを目指し続けるのは、そんな使命感を抱いているからだという。「最後まで諦めない姿勢」を、彼は貫く覚悟だ。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの野呂大樹選手

「難聴を言い訳にしたくない」「ここまでできる」。強い気持ちと使命感が、野呂をNPBへと駆り立てる。

だが、そんな彼にも一度だけ、諦めようとしたことがあった。今から3年前、2013年のことだった。その前年、入団2年目のシーズン、野呂は絶好調だった。打率3割3分5厘、37盗塁。外野手としても申し分なく、まさに「走攻守三拍子そろった」選手として実力を発揮。盗塁王にも輝き、50メートル5秒6という俊足は、NPBのスカウトからも注目された。

残念ながら、その年のドラフトでは指名されなかったものの、野呂は「来シーズンが勝負だ」と考えていた。2年連続で同じような活躍を見せれば、本物の実力として認めてもらえるだろうという思いがあったからだ。

ところが、翌2013年6月、不運にも死球で右手を骨折。全治3カ月という診断を受けた。

「あぁ、終わったな……。これでもうNPBには行けない」

野呂は愕然とし、あまりのショックに野球人生に終止符を打とうとまで考えた。そんな彼を救ったのが、周囲からの温かい支えだったという。

「監督、コーチが『チームには、野呂が必要なんだから、時間がかかってもちゃんと治して戻ってこい。待ってるから』と言ってくれたんです。それに、サポーターからは千羽鶴が届いたんです。本当にうれしかった。こんなに待ってくれる人がいるんだから、リハビリをして、また一から頑張ろう。そう思えたんです。あの時、みんなが支えてくれたからこそ、今の自分がある。だからNPBに行って、みんなに恩返ししたいんです」

野呂にとってNPB入りの目標は、もう自分だけのものではない。

努力することは「当たり前」だった

プロフェッショナルとは当たり前のことを当たり前にやる人

野村克也氏の著書『野村ノート』(小学館)に書かれてある一節で、野呂が好きな言葉だ。

「僕は野球をするにも勉強をするにも、みんなよりも2倍も3倍も努力しなければいけなかった。でも、それを特別なことではなく、僕にとっては当たり前のことだと思っていました。だから『野村ノート』を読んで、その言葉を見た時に、すごく心に響きました。『あ、自分にピッタリだな』って思ったんです」

努力することは、自分にとって当たり前。だから幼少時代から、やり続けてきたことが「努力」だった。そして今、その努力し続けてきたことが、野呂の強みとなっている。劣勢に立たされた場面、ピンチの場面、そんな時、野呂がつぶやくのは「大丈夫」という言葉だ。「自分は誰よりも努力してきた。だから、大丈夫」。そうつぶやくと、気持ちが落ちつき、強くいられる。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの野呂大樹選手

「大丈夫」。努力を積み重ねてきたからこそ、そう信じることができる。

16日現在、野呂の成績は打率2割9分5厘、22打点、31盗塁。もちろん、決して納得した数字ではない。しかし、野呂が今、最も重要視しているのは数字ではなく、ひとつひとつのプレーの質だという。

「自分の一番のセールスポイントは足。だから、四球でも相手のエラーでもいいから、いかに出塁して相手にプレッシャーを与えることができるか。そして、試合の流れを変えることができるかにあると思っています」

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの野呂大樹選手

試合の流れを変える。それが目指すプレースタイルだ。

8月10日の巨人三軍との試合、新潟は1点ビハインドで9回裏を迎えていた。ここで、先頭打者の野呂がフルカウントに追い込まれながらも四球で出塁した。するとその後、相手エラーと四球で1死満塁となり、5番・纐纈隼基(こうけつ・としき)の満塁ホームランで、新潟が逆転サヨナラ勝ちを収めた。

野呂は言う。

「あの四球は、とても価値あるものだったと思っています。自分は先頭打者として、とにかく出塁することが重要だと考えていましたし、何より試合の流れを変えることができた。単なるヒットとかではなく、自分はそういう質の高いプレーをしていきたいと思っています」

50メートル5秒6の俊足、そして幼少時代からやり続けてきた努力から生まれる精神力。彼にしかない強みを武器に、使命を全うすることが、「野呂大樹」の野球人生である。これからも、どんなに厳しい道になろうとチャンスがある限り、NPBへの目標を決して諦めることはない。

新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの野呂大樹選手

決して諦めない。野呂の野球人生はこれからだ。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう