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August 25 2016 By 横田 泉

2年半の「不安との闘い」乗り越え北米大会優勝 ZENが示すパルクールの「可能性」

建物からひらりと身をひるがえし、宙返りをし、見上げる高さの壁をも軽々と登ってみせる――体一つで高いパフォーマンスを披露、人々を魅了するスポーツ「パルクール」。日本での認知はまだ高くはなく、国際大会で活躍するのも欧米の選手がほとんどだ。そんな中、ひとりの日本人が昨年、北米大会で優勝を果たした。“ZEN”の名前で活動する彼は若干23歳。赤い髪で、いかにも若者受けしそうなファッションが印象的だ。そんな彼の活動の背景には、一見すると想像できないほど、深く強いパルクールへの思いがあった。

パルクールはフランス発祥のカルチャー。公園や街中、岩場や森などのさまざまな地形を利用して、走る・跳ぶ・登るなどの動作を行い、心身を鍛えることを目的としている。近年は国際大会なども行われているが、上位を占めるのはほとんどが欧米の選手。海外ではプロのパルクールチームが活躍しており、競技の背景はあまりに日本と違う。日本人が国際大会で活躍するのは難しいのが現状だ。

そうした状況を考えると、ZENの残した「北米大会優勝」という実績の大きさが改めてわかる。加えて言うなら、彼は15歳でパルクールに出会ってから、ほぼ自己流で練習を続けてきた。16歳からは何度かアメリカに渡り、現地のチームとともに練習をしたが、それ以外は現在に至るまで、コーチを付けることなく独自の方法で練習を重ねてきた。それを聞くと、彼は類いまれなる身体能力の持ち主なのかと想像してしまう。恐らくは、それもある。彼自身もその著書で運動神経が良い方だったということを明かしている。だがそれ以上に大きいのは、彼の高い分析力だろう。

ZEN

ZENは自身の練習について、次のように話す。

「練習は自分の体を毎日知っていく感覚です。繰り返すことで効率的な体の動かし方や動きのポイント、抜きどころがわかってくる。そうすることで、できなかった動きができたり、跳べなかった高さから安全に跳べるようになったりする。他の選手の動きを見てまねようとするときも、何が違うかということを、自分自身がコーチになってかみ砕いて体に教えるようにしています」

自身や他人の動きを分析する力と、それを反映する身体能力が、彼の高いパフォーマンスを支えていた。だが、それが打ち砕かれる場面が早々にやってくる。

ZENの国際大会デビュー戦は2011年、世界大会「Red Bull Art of Motion」の横浜大会だった。ZENは当時18歳、パルクールを始めてわずか3年ながら、予選をトップ通過。ファイナリストに残り、初出場の世界大会で5位に入るという快挙を成し遂げた。上出来すぎるデビュー戦だったが、その後が続かなかった。同年のデトロイト大会、その翌年のギリシャ大会で立て続けに予選敗退の憂き目にあう。

当時のことをこう振り返る。

「あの時は自分自身も疑いましたし、強い選手にはどれだけやってもかなわないんじゃないかと思ったりもしました。でも何よりも不安だったのは、これまで自己流でやってきて、実績を残せてきたことへの自負や自信を、ぶち壊されてしまったこと」

その不安は、すぐに次の行動に直結した。

「でも、だからこそ全部を見直そうと思ったんです。自分がやってきたことを一回全部壊そうと」

2012年のギリシャ大会以降、彼は本当にすべての動き、技を見直し始めた。例えばジャンプひとつとっても、腕の振りはどの位置で、膝の屈伸はどの深さから跳ぶのが良いのか、ゼロに立ち返ってやり方を考えた。

それまでの動きも、自分と真摯に向き合い、自身や他の選手の動きを十分に分析したうえで作り上げてきたものだった。それだけに、変えることは恐ろしくもあった。

「やり方を変えると、今までできていたことが、できなくなってしまうので、見直して、変えた結果が合っているのかわからないし、変えて悪くなることもある。不安との闘いでした」

彼はその不安との闘いを、2年半続けた。

ZEN

そうして迎えたのが2015年の北米大会だった。ZENはデビュー戦での好成績を「ビギナーズラック」だったと振り返るが、この時の優勝はそれとはまったく感触が違っていたという。「狙って」取れた優勝だった。

ZENは苦しかった2年半を、「パルクールを通じてひとりになった時期」だと話す。それまではアメリカのチームの仲間と練習したり、日本のコミュニティで練習する機会もあった。それが「とにかく自分と向き合う」「ひたすら自分との練習」になった。それによって得られたのは新しい体の使い方と、「自分のパルクール」だった。

「自分の強みは、パルクールに対しての認識が人と違うところ。あの2年半を経て改めて、自分の中でのパルクールというものを作り上げることができた。ワールドベーシックのパルクールはもちろん理解しているつもりなんですが、それとは違うところに自分の目的があるんです」

その目的は、大会の結果でもなければ、知名度を上げることでもなかった。

「パルクールは派手でアクロバティックに見えるので、かっこいい、すごいっていう感情を引き出すことはそんなに難しいことじゃない。でも、自分はもっとほかの感情を引き出したい。感動するとか、怖いとか、冷や冷やしたとか。面白い、楽しい、美しいとか。そして、こうなりたい、こういう感情を与えたいというイメージを実現できる身体と精神を手に入れたいんです。それが『自分のパルクール』の、次のステップだと思っています」

北米大会では「彼の目指すパルクール」が評価されて、見事優勝を勝ち取った。しかしそれが今後どうなるかわからないということは、本人が一番理解しているところだった。

「北米大会では『自分のパルクール』が評価してもらえた結果なのかなと思います。でも、それは王道ではないのかなとも思う。これからも(王道との間の)溝は広がっていくかもしれない」

それでも、彼は自身のパルクールを追う。さまざまな経験を経て、それが自分のやりたいことだと気付いたからだ。そして今は、そのパルクールを通じて人の力になれればと思っている。目下の願いは、ふたつ。

「自分に変わるきっかけをくれたパルクールに、恩返しがしたい。日本にはパルクールのコーチやコミュニティはあったんですが、メディアに出て広める役割の人がいなかった。なので、自分がそれを担うことで、正しいパルクールの認知を広め、恩返しをしたい。そして、自分がパルクールを通じて自身の“可能性”を感じられたように、多くの人にも、パルクールや自分の活動を通じて“可能性”を感じてほしいんです」

 

彼は現在、パルクールを広めるために多彩な活動を行っている。アーティストのPVやCMに出演、さらにダンスの公演に参加するなどして、パルクールを知ってもらう機会を増やしている。この夏には映画「HiGH & LOW THE MOVIE」への出演も果たした。7月末には自身のこれまでを綴った書籍を出版。出版記念イベントには、そうした活動を通じて彼を知った、多くのファンが詰めかけた。

ZEN

出版イベントに訪れていた彼のファンだという母娘は、ZENのことをダンス公演をきっかけに知った。入り口はダンスだったが、今では「彼のパルクールをもっと見る機会が欲しい」と言う。書籍を読んだ別の女性ファンは、彼の価値観や生き方を見て「就活をがんばろうと思った」と話していた。

ZEN

「僕自身、パルクールを通してたくさんのことを学ぶことができた。それまでの自分がどうしようもない自分だったんですが、パルクールに出会えたことで人生が大きく変わったんです。いまはパルクールを広めるために普及活動をしていますが、理想は、自分にとってパルクールが変わるきっかけだったように、僕のパルクールを見て何かに挑戦してみようと思ったり、僕という人間を見て、こういう生き方があるんだと前に踏み出すきっかけになってくれればと思うんです。もし自分がそういう後押しをする存在になれれば、パフォーマー冥利に尽きるな、と」

日本におけるパルクールの認知も、彼のパフォーマーとしての認知も、まだまだ発展途上だ。パルクールやZENを知る人の数は、決して多くはないかもしれない。だが彼を知った人には確実に、その思いが届き始めている。

 

横田 泉

横田 泉

宮城県出身。編集プロダクション、新聞社ウェブ部門などを経てフリーランスに。スポーツは体操、新体操を中心に、ラグビー、駅伝等、幅広いジャンルを担当。体操はアジア選手権、世界選手権なども取材。

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