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September 04 2015 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

米国人が教えてくれた「楽しむこと」 ~ラート・高橋靖彦~

米国人が教えてくれた「楽しむこと」 ~ラート・高橋靖彦~

今、国内で少しずつ普及の輪が広がり始めたスポーツがある。「ラート」という競技だ。ラバーで覆われた2つのリングをつなげた用具を回転させながら、さまざまな技を繰り広げるラートは、大人から子どもまで、さらには障がいの有無に関係なく、誰でも簡単に楽しむことができる。発祥の地であるドイツを中心に、ヨーロッパで人気を博しており、日本でもイベントなどで目にすることが増え始めている。そのリード役のひとりとして活躍しているのが、現世界チャンピオンの高橋靖彦だ。

 

5位発進からの逆転優勝

ラートの世界最高峰の舞台といえば、2年に一度開催される世界選手権だ。「直転」「斜転」「跳躍」という3種目で点数を競い合い、「個人総合」「種目別」「団体戦」という3つのカテゴリーそれぞれで順位が決められる。なかでも個人総合での優勝は「キング・オブ・ラート」と称され、最も輝かしいタイトルとされている。

高橋が初めてそのタイトルを手にしたのは、2013年だ。これは世界のラート界にとって衝撃的な出来事だった。ドイツ人以外での総合優勝は初めてという快挙だったからだ。ラート界ではどちらかというと後進国の日本からチャンピオンが誕生したことで、ラート界の歴史が変わった瞬間でもあった。

高橋靖彦

2015年6月、世界選手権(イタリア)で演技する高橋靖彦。2度目の総合優勝を果たした。(撮影:Bart Treuren)

そして今年6月にイタリアで行われた世界選手権、高橋は再び総合チャンピオンに輝いた。しかし、その道のりは前回とはまったく違ったという。

「2年前は、ただ自分のことだけを考えて勢いでいけましたし、観客も『なかなかやるじゃないか』というふうに温かい目で見てくれていた。だから、すごくやりやすい雰囲気で、それに僕自身が乗せてもらったという部分が少なくありませんでした。でも、今回は前回優勝したという目で見られていましたから、細かいところまで見られているなと感じました。それと初めて見る人たちにとっては、前回優勝の僕の演技を見て『ラートってこういうものなんだ』という基準になると思ったので、勝敗のこと以上に、ラート界を代表していい演技をしなければいけないという気持ちがありました」

実は1種目目の「斜転」で、高橋はトップと1.8点差の5位だった。高橋いわく、これは「かなり大きなミスを2つしたのと同じ」というほどの大差だという。しかし、高橋は逆にこれをプラスの材料とした。

「やっぱり欲を出さない方がいいんだな、と思ったんです。だから、それからは余計なことを考えずに、とにかく自分のパフォーマンスを出し切ることだけに集中しました」

こうした瞬時に発想を転換させることができるのが、高橋の強みである。その後行われた2種目目の「直転」で3位、そして最終種目の「跳躍」で1位となった高橋は、見事総合でトップに立ち、連覇を果たした。

「普通は、表彰の前に既に誰が勝ったかわかるものなんですけど、今回は例年以上に接戦で、はっきりと勝ったかどうかがわからなかったんです。だから、表彰式で名前を呼ばれた瞬間は、ほっとしました。前回は喜びが爆発した感じでしたけど、今回はただただ安堵の気持ちが大きかったですね」

高橋は表彰台で、ようやく真のチャンピオンとして認められた気がしていた。

 

「楽しいからやる」ただそれだけ

高橋は競技のみならず、普及活動にも精力的だ。ラート教室や体験会などでインストラクターとして一般の人たちに教える機会も多い。

「ラートを使えば、まるで空を飛んでいるかのように簡単に自分の体を回転させることができる。日常では絶対にない感覚を味わうことができるので、子どもから大人まで、皆さん本当に楽しそうにしてくれるんです」

そんな高橋にとって、大切なことに気づいた出来事があった。今年8月、初めて日米ラート界の交流会が米国で行われた時のことだ。ゲストコーチとして呼ばれた高橋は、現地の子どもたちにラートを教えた。当初、高橋は「少しでもうまくなれるようなサポートをしなければ」と考えていた。ところが、子どもたちはただラートを使って遊んでいるだけ。必死に練習するような子どもはほとんどいなかった。高橋は「こんなんで大丈夫だろうか」と不安な気持ちでいたという。

高橋靖彦

2015年8月、日米ラート交流会(アメリカ)で子どもたちをサポートする高橋靖彦(撮影:Nancy Behall)

しかし体験会後、子どもたちの親が高橋に言った言葉は意外なものだった。
「うちの子、回るのが面白かったみたいで、すごく楽しそうだったわ。ありがとう」
その言葉に、高橋は大事なことを忘れていた自分に気づかされた。

「日本でスポーツというと、『苦しい練習をして上達すること』を第一目的とするようなところが未だに残っていますよね。でも、米国の人たちは単純に楽しむためにラートをやりに来ていた。そこでハタと気づきました。『そうか、楽しめれば十分なんだな』って。考えてみれば、スポーツって楽しいからやるわけですよね。そのことに改めて気づかされました。上達させるためのサポート役が自分の役割だと考えていましたが、一番大事なのは一緒にその場を楽しむことなんだなと」

そして、最後にこう付け加えた。

「僕、以前はラートをメジャースポーツにしたいと思っていました。でも、今は違います。もちろん広く知ってもらいたいとは思っていますが、メジャーというと、どうしても競技の面だけが重視されがちですよね。でも、ラートは気軽に楽しめるスポーツとして広がってほしいなと。その中で競技として世界を目指す場もある。そんなふうに入り口の広いスポーツとして広めていきたいと思っています」

まだまだ完成されていないスポーツだからこそ、大きな可能性を秘めている。果たして、ラートはどんな色のスポーツへと発展していくのか。世界チャンピオンの高橋の存在は決して小さくはないはずだ。

(文・斎藤寿子)

「直転」…車輪のように前後に回転させながら、輪の中や上でさまざまなポーズをつくったりする。
「斜転」…2つのリングのうち、1つだけを床に接地させて、まるでコインが円を描きながら転がるように回転する。
「跳躍」…転がしたラートに助走をして跳び上がり、ラートの上から宙返りなどして跳び下りる。
(日本ラート協会HP参照)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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