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August 31 2015 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

4年前の雪辱を果たす時 ~ブラインドサッカー日本代表・黒田智成~

4年前の雪辱を果たす時 ~ブラインドサッカー日本代表・黒田智成~

黒田智成

いよいよ決戦の幕が上がる――9月2日、ブラインドサッカーのアジア選手権が東京・国立代々木競技場で開幕する。同大会は2016年リオデジャネイロパラリンピックの予選を兼ねて行われ、決勝に進出した上位2カ国に出場権が与えられる。いまだ一度もパラリンピックの舞台に足を踏み入れていない日本は初出場をかけて臨む。エースとしてチームを率いるのは、背番号5の黒田智成(くろだ・ともなり)。現役選手では代表歴が最も長い36歳のベテランだが、その巧みな足技は世界でもトップクラス。チーム一の得点力を持つ黒田が勝敗のカギを握るキーマンだ。

 

エースとしての責任を感じた4年前

ブラインドサッカー日本代表は4年前、ロンドンパラリンピックを射程圏内に入れながら、あと一歩のところで悔し涙をのんだ。現キャプテンである落合啓士(おちあい・ひろし)をはじめ、当時のメンバーにとっては忘れられない敗戦だ。その悔しさを知るメンバーが多く残る現在のチームにとって、今大会は4年前の雪辱を果たす意味ももつ。

もちろん、黒田も4年前の悔しさは決して忘れてはいない。だが、彼にはチームが予選敗退をしたこと以外に、もうひとつの悔しさがあった。実はその予選の2カ月前に、右足をケガしてしまっていたのだ。診断の結果は、前十字靭帯損傷という重傷。「予選を突破すること以前に、自分が予選に出場できるかどうかという厳しい状況だった」と黒田は振り返る。

手術をすれば、復帰には約1年を要する。それでは予選には到底間に合わない。悩んだ末に黒田が出した結論は、手術はせずにトレーニングで筋力アップを図ることで、できるだけ足の負担を抑えながら予選に強行出場することだった。

しかし、結果は予選敗退。引き分けでもパラリンピック出場が決定するという最終戦で、黒田はゴールを挙げることができず、イランに0-2で完封負け。日本は最大のチャンスを逃したのだった。

「自分が万全な状態で臨んでいたら……」

4年前、ケガで実力をすべて出し切ることができなかった自分に、黒田はエースとしての責任を重く感じていた。だからこそ今大会、4年前の分もエースとしての働きをして、今度こそチームをパラリンピックへと導くつもりだ。

 

【ケガの功名となった左足】

しかし、ケガをしたことで得たこともあったという。ひとつはそれまで苦手としていた左足のレベルアップだ。4年前のロンドンパラリンピックの予選後、黒田はすぐに手術をした。リハビリは約1年間にも及んだという。その間、トレーニングはもっぱら上半身と左足のみ。そのため、自然と左足でのボールコントロール力やシュート力が上がっていったのだという。

「手術する前、僕は右足でしかシュートを打っていなかったんです。でも、リハビリ期間中、左足でずっとボールを触っている間に、いつのまにか右足よりも使えるようになっていった。それでどちらも使えるようになって、プレーの幅が広がったんです。今ではどちらかというと左足の方が得意。ほとんどのゴールが左足で決めているくらいなんです」

そして、もうひとつ黒田にはプラスになったことがあった。それは、サッカーができる喜びを改めて感じたことだった。

「手術後、最初は歩くことからリハビリを始めました。ようやく両足でボールを蹴られるようになったのは、約1年後。久々にドリブルをしながら走った時、『走ってボールを蹴るって、こんなにも楽しいことだったんだ』と思えたんです。だから今、プレーできることがすごく幸せだと感じていますし、サッカーが楽しくて仕方ないんです」

自身の心・技・体すべてが4年前よりもレベルアップしたと感じている今、「プレッシャーよりも、早く試合をしたいという楽しみな気持ちの方が大きい」と語る黒田。抜きん出たゴールへの嗅覚と巧みな足技で、再びアジアの強豪に挑む。

 

(文/写真・斎藤寿子)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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