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September 23 2016 By 向 風見也

南アフリカ代表戦勝利から1年。突如現れた「フィジカルモンスター」、アマナキ・レレイ・マフィのいま。

ふるさとのトンガから両親が来ており、妻は長男を出産する前だった。試合を終えると、アマナキ・レレイ・マフィは足早に会場を去ろうとする。

この日は2016年9月3日。所属するNTTコムが、国内最高峰トップリーグでシーズン初勝利を決めていた。試合会場の秩父宮ラグビー場を照らしていた白い電灯は消え、夜空がアスファルトを染める。

国内での戦いを終えるとオーストラリアのレベルズというクラブに期限付き移籍する「マフィ」は、問答無用の突破力もあって人気者だ。出待ちをしていたファンとの写真撮影やサイン対応をスムーズかつ誠実に済ませ、数名の記者が後をついてくるのを受け、道端に立ち止まる。

この日はサイドを刈り上げ、伸びたトップをてっぺんで結わいた髪形をしていた。輪を作るジャーナリストから「お似合いだね」と言われる。からかわれたと思ったのか、口元を緩めてその相手を小突く。

あの、瞬間から、1年が経とうとしていた。

 

 

1990年1月、16人きょうだいの15番目として生まれた。5歳の頃からラグビーを始め、早い段階から自分の才気を認識した。トンガカレッジでは会計士になる勉強もしていたが、スカウトを受けて来日を決めた。

京都の花園大ラグビー部は、思っていたのと違う環境だった。所属するのは関西大学Bリーグという下部組織。人工芝グラウンドが全盛の大学ラグビー界にあって、本拠地は土の運動場だった。

「夢」だったトンガ代表入りのため、自ら母国の協会へアプローチをした。「大学でのプレーを観ていないから…」と敬遠された。

それでも3年時の2012年に出た「関西学生南北対抗戦」で爆発すると、NTTコムのスカウトに発掘される。千葉県船橋市の練習場で、入団テストを受けた。

強烈な突破を繰り出したり、あまり持ったことのなかったベンチプレスを軽々と上下させたりし、目標のひとつだったトップリーグ入りを叶えた。

2014年のプロ1年目。トンガ協会より先に、当時の日本代表のエディー・ジョーンズヘッドコーチからラブコールを受けた。「夢」を変えた。

「9.19 南アフリカ戦」

そう書かれた日本代表のジャージィが病室に届いたのは、国際舞台デビューを果たして間もない頃だった。マフィは12月のトップリーグの試合で、左股関節を脱臼骨折。全治10か月と診断され、絶望感にさいなまれていた。

持ってきたのは、ジョーンズだった。選手ごとに異なる手法で接する指導者として、自軍の秘密兵器に勇気を奮い立たせたのである。

当の本人は、気持ちの揺らぎと戦いながらも驚異的なペースで回復を遂げた。8月に実戦復帰し、4年に1度のワールドカップに間に合ったのだった。

あの、瞬間に立ち会った。

 

 

イングランド大会での初戦は、2015年9月19日。ブライトンコミュニティースタジアムでの南アフリカ代表戦だった。

背番号20をつけたマフィは、後半5分に出番を得る。早速、身長189センチ、体重112キロのボディで一気に駆け上がる。相手の名物選手であるヤニー・デュプレッシーをふっ飛ばした。

「相手と当たる時には、負けない」

振り返って前半は、フォワード同士が塊を作るモールというプレーで後手を踏んでいた。しかしマフィが出ると、そのパワーで相手のモールを崩しにかかった。過去2回優勝の強豪を相手に、追いつけ追い越せの接戦を演じる。

「皆も、すごいハードワークしてくれた。すばらしかった」

ラストワンプレーの、あの、瞬間は、3点ビハインドを背負って迎えた。

「ボールが欲しいと、思っていました」

敵陣ゴール前左。最後尾に入ったスクラムから、反対方向へパスが回る。

日和佐篤、立川理道と順に、再び左方向へとバトンを繋ぐ。

左中間で、マフィが、躍り出た。

目の前のタックラーを掌ではじき、さらに左のカーン・ヘスケスへ楕円球を繋ぐ。

トライ。

得点板には「34-32」の数字が光るなか、マフィは大喜びでヘスケスに飛びついた。「息ができない」と、その腕を解かれた。

間もなく芝に突っ伏した。「泣きながら」。クリスチャンとしてのルーティーンとして、祈りを捧げた。

「夢かな、と。死ぬまで忘れないと思う」

 

 

イングランド大会では途中に再び故障しながら、全4試合に出場した。帰国したら、「人生が変わりました」と笑顔で口にした。

テレビ番組やイベントのゲストとして重宝され、イングランドのプレミアシップでのプレーも叶った。あの、瞬間から、それまでラグビーを観てこなかった国民にも知られた顔となった。

2016年の6月には、久しぶりに日本代表のジャージィを着た。スコットランド代表との2連戦を伝えるテレビの生中継には、キックオフを心待ちにして白い歯を見せる姿が映されていた。

もっとも、18日に愛知の豊田スタジアムでプレーする直前には、練習後に「きょうは、調子、よくない」と言葉少なにバスに乗り込むこともあった。ずっと「スターになりたい」と言っていたが、本当のスターでいるのは楽ではあるまい。

NTTコムの大久保直弥フォワードコーチには、間接的に厳しくも優しいエールを送られた。

「1人だけ特別な扱いを求めるのもおかしな話です。あくまでも1人ひとりのパフォーマンスを観て、いい選手であれば、(試合に)出します」

家族への思いが強い。「永遠はない。とにかく自分の夢に向かって努力し続ける」。母から電話で聞いた言葉は、いまでも胸に秘めている。

「いまでもホームシックです。とにかく両親に会いたいという気持ちが強いです」

ワールドカップ前にはこう口にしていたが、いまは「スターになりたい」との論法から、ただただ明るく振る舞う。振る舞おうとする。

「本当は帰りたいよ。でも、しょうがない。ラグビーやってるから」

そのプレースタイルから、「フィジカルモンスター」と謳われている。あの、瞬間から、いまに至るまでだ。しかし実像は、1人の親思いの運動選手である。

秩父宮を後にしてから11日後、父親になった。

撮影:長尾 亜紀

撮影:長尾 亜紀

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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