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October 08 2016 By 向 風見也

ラグビートップリーグ5連勝で日本代表へ。ヤマハの日野剛志、開幕前から「突き抜ける」の決意。

ラグビートップリーグ5連勝で日本代表へ。ヤマハの日野剛志、開幕前から「突き抜ける」の決意。

黒い土も見え隠れする枯芝の上、スカイブルーのヤマハが異常なこだわりを貫く。貫こうとする。

スクラムに、である。

スクラムは、ラグビーにおける攻防の起点だ。

黒子たち8人が一体となり、同じようにする相手とぶつかり合う。その下を楕円がボールを転がるなか、それぞれが工夫を凝らして押し合ってゆく。

パスを前に投げられないラグビーにあっては、スクラムよりも前の位置でプレーすることはできない。スクラムを押せば押すほど、そのチームは前でプレーできる。

10月1日、東京の秩父宮ラグビー場。

国内最高峰にあたるトップリーグで、開幕5連勝を決める。前年度に優勝したパナソニック、準優勝した東芝と、日本代表選手がスクラムを組むチームを、次々と撃破してきた。この日の第5節でも、リコーを47―14で下した。静岡県磐田市からやって来た地元ファンを、大喜びさせた。

それでもこの人は、反省する。

「圧倒できるスクラムが少なかったです。これからは各チームとも対策をしてくると思うんですけど、それに負けないよう、自分たちヤマハのスクラムを見つめ直していきたいです」

連続使用のため、スタジアムの足場がぬかるんでいた。足を滑らせることには、「故意に崩す反則」を取られるリスクがあった。そのためヤマハは、がっぷり四つに当たってこない相手へプレッシャーをかけ切れなかったという。見た目では優勢に映っても、当事者の意見は違った。

ヤマハは2季前、シーズンを締めくくる日本選手権を制している。人気者の五郎丸歩が移籍する前のことだ。決勝戦の舞台は、2015年2月28日の秩父宮。あの頃も、芝生ではない「芝生」への対策が必要だった。

それをこの人は、思い返す。

「2年前に優勝した時は、グラウンドの一番荒れたところでスクラムを組んだりしていました。その辺の工夫は、これからしていかなきゃいけないかな、と」

 

 

日野剛志。副将就任2シーズン目を迎える26歳だ。

スクラムの最前列中央に入るフッカーを務め、両脇のプロップ、真後ろのロック、その両脇のフランカー、最後列のナンバーエイトの力を束ねる。自分を先頭とした、1本の図太い矢印を象る。元日本代表左プロップの長谷川慎フォワードコーチが唱える、独自のシステムを形にするのだ。

顎ひげをたくわえた丸顔に、柔和な笑みを浮かべる。

「慎さんにイチから教わったことで、全てが劇的に変わりました。いまはチームとして、そこにプライドと自信を持っています」

隣同士でスクラムを組む右プロップの伊藤平一郎曰く、「よく喋ってくれる。僕らとも、レフリーともしっかりコミュニケーションを取ってくれます」。専門誌風に言うところの「スクラムワーク」の背景に、明るい性格をにじませる。前向きな声掛けで味方に「慎さんにイチから教わったこと」の徹底を促し、相手の塊と向き合う。

ボールが動き出せば、スピードでも魅せる。タッチライン際、もしくは右中間や左中間へのスペースを陣取り、持ち前のスピードで守備網を突っ切る。身長172センチ、体重100キロ。丸みを帯びたフォルムながら、クラブ有数の韋駄天で鳴らす。

「本当に、いい経験をさせてもらっています。ヤマハに入れたことが奇跡なのに、そのうえ試合に出させてもらって、日本選手権で優勝もできて…」

 

 

4歳で競技を始め、福岡県立の筑紫高へ進んだ。円陣を作れば当時の西村寛久監督の訓示や問いかけに「ハイ!」「ハイ!」「イイエ!」「ハイ!」と声を揃える、厳格で真面目な集団に身を置いた。

「学んだことは姿勢、感謝の気持ち、当たり前のことを当たり前にやること…。いまもラグビーをやらせてもらっているのは、会社、応援してくれている人たちのおかげだと思っています」

同志社大の商学部に入学したのはスポーツ推薦ではなく、高校に割り当てられた指定校推薦によってだった。1980年代の大学選手権3連覇などで有名なラグビー部には、入らないつもりだった。身体が小さく、通用しないと思ったからだ。

「それが、先輩に誘われて…」

結局は2011年度の副将を任されるなど、主軸を担った。今度は、卒業後もラグビーを続けたくなった。同志社大のヘッドコーチをしていた元日本代表右プロップの中村直人氏を通じ、ヤマハのトライアウトを受けた。この折のヤマハで就任1年目だった清宮克幸監督と長谷川フォワードコーチは、中村にとってサントリー時代の同僚でもあった。

2010年度に強化規模を縮小していたヤマハは、戦力補強に苦しんでいた。

それでも早大監督として社会人撃破を成し遂げた清宮監督は、各々の個性を最大化する。公式で「170センチ」の宮澤正利、国際的実績の薄いマレーシア代表のデューク・クリシュナンら、特徴的な面子を並べる。そして、独創的な戦法の軸には、圧倒的なスクラムの強さを据えた。

2012年に入部が叶った日野は、その現実を受け入れた。

延々と続くスクラム練習を通し、長谷川が求める組み方への理解を深め、実現に必要な身体の使い方を体得していった。

「ヤマハのフッカーとしてのベースがあって、そこへ個性が乗るんだ。ここでは、ベースがないと試合に出られない。個性だけでは、光れない」

物事は繋がっている。筑紫高で「当たり前のことを当たり前に」を知った雑草戦士が、大人になって「個性だけでは、光れない」と誓う。それは、自然なことだった。加入2年目、日野はレギュラーに定着した。

 

 

2016年度の開幕5連勝を前に、ある決心をしていた。

「突き抜けよう」

昨季は副将でありながら、先発の座から遠ざかっていた。ライバルの奮起や起用方針の変質などによる事態を「自分の実力」と耐え、今春、マインドチェンジを試みたのだ。

「ファン会報誌の取材とかでも、超、言っているんですけど…。今年は、ヤマハで突き抜けよう、と。ヤマハのフッカーのなかで突き抜けて試合に出続ければ、必然的にその上のレベルに行けるんじゃないか。そういう、大きな目標を持っています」

長谷川の道場で「突き抜け」た先の、「その上」。それが何かは言わずもがな、だろうか。リコー戦から2日後、初の日本代表候補入りが発表された。メンバーの絞り込みを交えて11月まで活動するこのチームには、何と長谷川フォワードコーチも帯同する。

エリートコースとは異なる道で、ただただ「ベース」の獲得に心血を注いできた。最近はさらに「突き抜けよう」と決意を新たにした。ぬかるみ対策などといったヤマハでの課題解決は、これからも継続するつもりだ。

そんな日野はいま、水色の背に新たな追い風を受けている。

ヘッドギアを着け試合に臨む日野選手

ヘッドギアをつけ試合に臨む日野選手

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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