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October 07 2015 By 向 風見也

サモア代表戦で劇的トライ ラグビー日本代表・山田章仁の「孤独」と「コミュニケーション」

生涯、語り継がれるだろう。

10月3日、イングランドはミルトンキーンズのスタジアムmk。サモア代表とのゲームがハーフタイムに近づいた時のことだ。

敵陣ゴール前、右タッチライン際である。パスをもらったラグビー日本代表のウイング山田章仁は、それまでの歩みをぴたりと、止めた。公式サイズ上で自分よりも「4センチ、21キロ」も大きなアレサナ・ツイランギと、ウイング同士の勝負に挑む。

ツイランギ、突進する。

山田、前傾姿勢をとる。

刹那、相手に背中を向ける。

1回転。

かわされたツイランギ、芝に倒れ込む。

山田、インゴールに飛ぶ。

貴重で、華のある追加点が歓喜を呼んだ。

30歳で初経験となる、4年に1度のワールドカップ。山田は出場2試合目にして、自身にとっての大会初トライを挙げたのだった。その中身には、山田の「孤独」と「コミュニケーション」の歴史が詰まっている。

 ラグビーW杯1次リーグ 突進する山田  日本―サモア 前半、突進する山田=3日、ミルトンキーンズ(共同)

ラグビーW杯1次リーグ 突進する山田  日本―サモア 前半、突進する山田=3日、ミルトンキーンズ(共同)

 

「他の人は違うかもしれないですが、少なくとも僕は…」

前置きを忘れず、山田は「積極的に孤独になった方がいい」と胸を張る。

慶應義塾大学ラグビー部時代、単身でオーストラリアへ留学した。所属したイースタンサバーブスの練習は週に2回で、別の日は見知らぬ地で「孤独」な鍛錬に励むほかなかった。国内下部リーグでの自己研さん、社会人アメリカンフットボールXリーグへの参戦と、プロ生活を始めてからも、いわば「孤独」なキャリアを重ねてきた。

何人かの人からは誤解されてきた。ジャパンの候補合宿では「本番で相手を抜くイメージ」を繊細に考えすぎたところ、指揮官のエディー・ジョーンズヘッドコーチに「なぜ、ダイナミックにやらないのだ」とメンバー落ちを告げられたこともあった。

もっとも最終的には、ボスは山田を認める。

「1人だと怠けちゃうって感覚が、もともとない。例えば9時から10時がトレーニングの時間だったとします。それを『他の皆がいるからグラウンドへ向かう』と捉えちゃうと、もしその時に皆の予定が合わなくて来られなくなったら、僕もグラウンドへ身体が向かないと思うんですよね。でも、『自分が』9時に向かおうと思っていれば、そこに誰もいなくても大丈夫だと思うんですよね。だって、自分がトレーニングをやりたいんだから」

これは、代表定着前の本人の弁である。山田にとっての「孤独」は、世界的なアスリートに必要な自律心の現れだった。ジョーンズの求める「アグレッシブ」なプレーも採り入れたことで、ワールドカップでのレギュラーメンバーとなった。あの、場所に立ったのである。

ツイランギをかわしたスキルの礎も、「孤独」が導いたものだった。

遡るが山田は大学4年生の頃、個人トレーナーの竹田和正氏と「皆が面白いと思うプレー」のために身体の芯を鍛えていた。

つま先だけで薄い板の上に乗って腰を落としたり、その体勢でバランスボールを両手で抱えたり。片足だけで高さ数センチのハードルを飛び越えたり、そのフォームのまま元の位置にジャンプして戻ったり…。

体内にしなやかなばねを仕込むなかで、「相手に背中を向けて前に行く感じ」の「ロール」を提案された。

以後の章仁青年は、大型選手に間合いを詰められたときにどんどん「ロール」を使う。徐々に発動をスムーズにさせる。「孤独」の訓練の延長線上に、サモア代表戦があったのだ。

 

一方、山田はトライの過程を「コミュニケーション」の産物だとも言った。

「それまでの間でチャンスが来そうな匂いはあった。ずっと、コミュニケーションを取っていました」

ここでの「コミュニケーション」は、単なる言葉の交信を超えた真の「コミュニケーション」を指していた。

「孤独」を愛し世界を旅する山田は、「コミュニケーション」の必然性を肌で感じてきている。例えば23歳の頃、プロサッカー選手だった昔の仲間と出会うべくアルゼンチンに赴いた折。スペイン語圏では、勉強してきた英語が使い物にならなかった。

「何を言ったって通じない。中学生でもハロー、ハウアーユーぐらいは言えるのに、そのレベルのことすらわかってもらえない。言葉というより、コミュニケーションって、大事かなと」

そうしてたどり着いた、2015年のミルトンキーンズ。いまの国内所属先であるパナソニックのチームメイトで、判断力に長ける堀江翔太副将、田中史朗らと綿密な「コミュニケーション」を取っていた。スタンドからは大歓声が響く。遠くから長々と喋っても、相手には伝わりづらい。それでも必要最低限の単語と積み重ねた信頼関係で、互いのビジョンを伝達し合った。

田中、畠山健介と順に山田へのパスを繋げていた際、球の出どころとなる接点では、堀江が目の前の相手を斜め左方向に押し込んでいた。山田の立つ右サイドへ、守備の追手が回らないようにするためだ。結果的にとはいえ、「コミュニケーション」が「孤独」のトライを下支えしたのである。

 

山田は感傷には浸らない。「例えば、プロ1年目の気持ちを教えてくださいと聞かれても、その時の本当の気持ちはその時しかわからないじゃないですか」と言ったこともあるし、インタビューで話したことは数日も経たぬうちに忘れてしまう。これからの人生でサモア代表戦のトライのことを聞かれるたびに、違った話をすることもあろう。この人にとって、過去とはそういうものだ。

だから1つのトライの背景を過去の言葉に求めること自体に、無理はあるのかもしれない。しかし、これまでの「孤独」と「コミュニケーション」の堆積が大仕事に結びついたことも、また事実ではあった。

「いままで、ああいうトライをしたいと準備、練習してきた。こういう発表会で出せて嬉しいですね」

26-5。日本代表史上初のワールドカップでの1大会2勝目が記録された夕刻時だ。取材エリアで立つ山田は、トライの感想をこう残すのだった。

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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