11月23日の「勤労感謝の日」は、東京の地下鉄外苑前駅あたりが混雑する。東京ヤクルトスワローズがファン感謝デーを開催する神宮球場の隣には、秩父宮ラグビー場がある。ここでは「早慶戦」がおこなわれる。
もはや年中行事か。大学選手権15回優勝の伝統校である早大ラグビー部は、晩夏から冬にかけてビッグマッチを続ける。最古豪の慶大、「前へ」のキャッチフレーズでおなじみの明大が相手だ。いずれも卒業生などから高い支持を集める人気校である。
この期間はモスグリーンや黒やグレーの上着をまとった高年齢層の男性など、普段ラグビーを観に来ない層が薄いパステルカラーの座席を埋める。2016年度の慶大との「早慶戦」の公式入場者数は、「18226人」。5日に同じ場所でおこなわれた日本代表とアルゼンチン代表との試合を集めた「18235人」と、そう変わらなかった。
キックオフ予定の14時が近づく。選手、入場。「都の西北」から始まる校歌に合わせ、起立したファンがエンジと黒の旗を上下に振る。大一番を前に高揚してか、その先に広がる緑の芝では、早大のキャプテンである桑野詠真が瞳を濡らしていた。
関東大学対抗戦Aに組み込まれた「早慶戦」は、通算93回目を迎えた。時間の堆積によって格を保たれてきたこのクラシコにあって、山下大悟新監督が率いる早大はメンバー23人中6人を新人にしていた。
2018年の創部100周年を見据えてか、指揮官はかねて新人を重用。着任前年度からリクルーティングに携わっており、例年以上に高校楕円球界の有望株を入学させていた。「昨年まで上手く回っていなかったS&C(身体作り)のプログラムを見直して、その成果が最も出たのが1年生」と説明するのも、自然な流れだった。
特に試合を象る司令塔役には、綺羅星のルーキーを並べる。まず接点に近いスクラムハーフには、桐蔭学園高前主将の齋藤直人が屹立する。
そして、攻撃の大枠をデザインするスタンドオフには、岸岡智樹が入った。
岸岡は東海大仰星高にいた前年度、全国高校ラグビー大会で王者になっている。身長173センチ、体重80キロと小柄でも、背中の上には細くない首を通す。
山下監督は事あるごとに、このプレーメーカーの気質と成長ぶりを褒めた。8月のとある練習試合の直後には「空気を読める。賢いです。きょうはボールが動き出した時のコールの出しかたが…でしたけど、それをグラウンドで話したら、すでによくわかっていた」と述懐していた。
では、先輩方の印象はどうか。2年生フルバックの桑山聖生が、微笑みながら寮生活などの情景を思い返した。
「飄々としているので。普段から、先輩に気負うこともなく。割と、踏み込んでいる人の部屋に行くと、まぁ…仲良くしているようで。これは1年生全般に言えることですけど」
浮かんでくるのは、ほどよく脱力した従順な10代の運動部員である。
前半4分。岸岡は早速、用意された連続攻撃の見取り図をなぞる。
敵陣ゴール前右でのラインアウトから出たボールを一度も触らぬまま経緯を見定め、味方が左隅で接点を作ったら、初めて、岸岡がパスを受け取る。右端に相手がいないのを確認し、その場で待ち構えていた4年生ウイングの本田宗詩にキックパスを放つ。トライ。5―0。
5―10と勝ち越されて迎えた前半28分には、両手によるパスが冴えた。
相手のキックを捕球した1年生ウイングの梅津友喜が、敵陣10メートル線付近左で密集を形成。続けて1年生の齋藤が起点となり、右へ、右へとフェーズを重ねる。
22メートル線を越えると、今度は左へ進路を変える。しばし齋藤から球を預かったランナーが鋭く縦に駆け込むなか、左中間に回り込んだ岸岡が、一転、左端へ長いパスを繰り出す。手前に立つ複数人の選手の前を通過させる、通称「カットパス」だ。ほぼ無人の左タッチライン際に立っていた貝塚隼一郎が、その「カットパス」を受け取りインゴールへなだれ込む。10―10。同点に追いついた。
岸岡は前半38分にも似たような場所でチャンスを得て、今度は守備網の裏へキックを転がす。その弾道を追った梅津が15―10と勝ち越し、スタンドを沸かせた。
試合は現体制の掲げる「チームディフェンス」にやや綻びを覗かせながらも、早大が慶大を25―23で制した。このカードにあっては、引き分けを挟んで5連勝をマークしたのだった。
曇り空がさらに暗くなった試合後。ブレザーに着がえた岸岡は、いったん、グラウンドの前に停車していたバスに荷物を置き、交歓会の会場へ出向く。
――貝塚選手の得点場面などで、しばし「カットパス」を放っていましたが。
「本当はその手前に並ぶ選手にポン、ポンと渡すというプランだったのですが、外側が空いているという…まぁ、僕の勝手な判断です。スペースにボールを運びたかったんで、そこに誰がいるというのではなく、そこに『(誰かが)行けっ!』って感じで。まぁ、そこに選手がいるのというのは、(システム上)頭ではわかっていたので」
緊迫感や悲壮感とは無縁の声色を、ひとつ、ひとつと残していった。
涙を浮かべたキャプテンら、上級生がサムシングを感じる「早慶戦」。そんな非日常的な舞台にあって、岸岡はまるで緊張をしていないようだった。
ところが当の本人は、こんな風にも吐露していた。
――緊張、していたのですか。
「します。足、ガクガクでした。緊張をしないわけはないので」
実は岸岡は、5本あったゴールキックの機会をすべて失敗。10得点分をふいにした格好だった。山下監督から「フィールド中のキックは悪くなかった」とされながら、後半34分には退いていた。
「僕がキックを決めていればもっと楽な展開になったな、と。野次を飛ばされると、メンタル的にはいかれる(苦しむ)ので…。その時に周りから『次,行こう』と言ってもらえて…」
12月3日には同じ競技場で、明治大学との「早明戦」を控える。さらに全国の覇権を争う大学選手権では、対抗戦中に3―75と屈した7連覇中の帝京大との再戦を見据える。
山下監督から「悪くはなかったです。ただ、もっとランプレーを観たかった」と評されたこの人、試合当日と試合当日までの様子をこんな風にも振り返っていた。
「伝統の早慶戦。重みとかについては、監督にも言われていました。ただ、それは体験しないとわからないことも多かった。そこで1、2点で勝敗が決まった試合を経験できて、よかったと思いますね。先輩の意地、4年生が作り上げてきたものも見せてもらった。いつもよりリーダーシップを取ってもらって、後輩のやりやすい環境を作っていただいて…」
競技上の「偏差値」が高いとされる新人が、その「偏差値」の高低とは無縁の「意地」という境地を知った。歴史は、こうして紡がれてゆく。

撮影:井田新輔