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December 02 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

リオで得た「悔しさ」と「4年後の手本」 ~パラカヌー・瀬立モニカ~

今年9月に行われたリオデジャネイロパラリンピック。同大会で初めて正式種目となったパラカヌーで、唯一の日本人選手として挑んだのが、18歳(当時)の瀬立モニカ(せりゅう・もにか)だ。結果は、彼女が目標としていた決勝進出を果たし、「8位入賞」。だが、「入賞」という言葉を耳にする度に、瀬立には悔しさが募る。レース直後は、パラリンピックの舞台で予選、準決勝、決勝と3レースに臨めたことへの「うれしさ」と、世界との距離を感じた「悔しさ」とが入り混じっていた。しかし、2カ月半経った今は「悔しさしかない」と語る。世界最高峰の舞台で、18歳の心に刻まれたものとは――。

「入賞」ではなく「最下位」

「リオの出場が決まった時は、それだけでうれしかったし、レースを楽しもうと思っていたんです。でも、だんだんと欲が出てきて、やはり楽しむだけではなく、いいレースをしたいと考えるようになり、『決勝進出』を目標に臨みました」

 

パラカヌー・瀬立モニカ

パラカヌー唯一の日本人選手としてリオへ。大会前は決勝進出を目標に、厳しい練習を積んでいた。

リオでのレースは、5人1組での予選が行われ、各組上位2人ずつ計4人が決勝に進出。残り6人で準決勝を行い、上位4人が決勝へと進むことができることになっていた。瀬立は予選で4位となり、準決勝へ。準決勝では4位に入り、ギリギリではあったものの、目標であった「決勝進出」を決めてみせた。

その決勝で、瀬立は最高のスタートを切った。それは遠いメディアゾーンから見ていてもわかるほど、スタートの合図であるブザー音と、艇の動き出すタイミングとがピタリと合っていた。瀬立自身も、これまでにないほどの手応えを感じていたという。

前半は、「決勝では暴れます」と語った前日のインタビューでの宣言通り、瀬立の漕ぎには勢いがあった。しかし、後半になるにつれて、一人取り残されるようにして、大きく後れを取った。ゴール後、電光掲示板を見ると、あまりの差にショックは大きかった。1位との差は10秒以上。7位の選手にも約5秒差と大きく離されていた。

「リオの最終予選だった5月の世界選手権では、トップとの差は7秒ほどだったんです。だから、リオまでには競り合えるくらいになっていようと思って、トレーニングをしてきました。ところが、近づくどころか、逆に引き離されてしまった。それが、悔しくて悔しくて……」

込み上げてくる涙を、瀬立はどうすることもできなかった。

実力からすれば、本来瀬立は、リオに出場した選手の中では10人中10番目。上位8人で行われる決勝に進出すれば、現在の彼女にとっては快挙といえた。ところが、開幕前に起こったドーピング問題によるロシア人選手の不参加、そして本番直前にはウクライナ人選手がケガで棄権という予期せぬ出来事が相次ぎ、格下の選手2人が繰り上げというかたちで入っていた。つまり、瀬立は10人中8番目に位置し、その時点で決勝進出は「目標」ではなく、「必須」とされていた。

そうした状況下での「決勝進出」は彼女にしてみれば当然でしかなく、「8位入賞」は「最下位」を意味するものだった。

「もし、ロシア人とウクライナ人の選手が予定通りに出場していれば、私は10人中10番目で、決勝にも行くことができなかったと思います。実際、決勝ではダントツの最下位。それなのに『入賞』なんて言われると、恥ずかしさとともに、悔しさが込み上げてくるんです」

「あの日」、掲示板を見た瞬間に込み上げてきた感情は、今も鮮明に残っている。

「東京では、絶対にこんな思いはしたくない……」

瀬立は、そう心に誓い、リオを後にした。

リオで見た「4年後の自分」

初めてのパラリンピッで得たのは「悔しさ」だけではない。「財産」ともいえるある選手との「出会い」があった。それはパラカヌー男子ブラジル代表のリベイロ・デ・ カルバーリョ・カイオ。地元開催となった今大会で、銅メダルを獲得したトップアスリートだ。

開幕前、選手村から競技会場への移動のバスの中で知り合ったという彼は、ふだんはとても紳士的で優しい人柄だった。しかし、レースのこととなると、誰よりも緊張感をあらわにし、「もうダメだ。プレッシャーに押しつぶされそうだよ」と弱音を吐いていた。「これが開催国の選手が受けるプレッシャーなんだな」。瀬立は自然と4年後の自分に重ね合わせるようにして見ていた。

ところが、レース当日の彼はまるで違っていた。

「決勝の日、きっと緊張しているだろうと思って、私はカイオに話しかけないようにしていたんです。そしたら、私がレースを終えて他の選手と写真を撮っていると、これから自分のレースだというのに、カイオが『モニカ、一緒に撮ろう』とにっこり笑いながら言ってくれたんです。でも、その後すぐにアップに入った彼の表情は、既にレースに集中しているように見えました。そして、『モニカ、行ってくるよ!』と言った時のカイオからは、プレッシャーを感じていたなんて想像できないほど、研ぎ澄まされたオーラを感じたんです。『あぁ、これが世界のトップアスリートなんだな』と思いました」

カイオは見事、決勝で3着に入り、銅メダルを獲得。メダルセレモニーで、彼が表彰台に立った瞬間、会場からは地響きのような大歓声と拍手が鳴り響いた。その時の身震いするほどの感覚を、瀬立はいまだにはっきりと覚えている。

表彰台でメダルを首に下げ、誇らしげなカイオの雄姿を見ながら、瀬立は4年後の自分が追い求めるべき姿がそこにあると確信していた。

リオのキリスト像

リオのキリスト像。パラカヌーはキリスト像が見守る、このすぐ下の湖で開催された。

「満足感」と「安心感」で追いやられた「緊張感」

さらにリオ後、現地ではわからなかった“気づき”があった。それは「もしかして自分は、緊張感が足りなかったのではないか」ということだった。きっかけは、大学の講義で「緊張によるパフォーマンスへの影響」について学んだことだった。

これまで瀬立にとって、課題の一つとされていたのが、いかに緊張感をなくすかにあった。レース前日から緊張感が走り、本番のスタート時には、それがピークとなって襲い掛かる。瀬立はいつも逃げ出したくなるほどの恐怖心と戦ってきた。だからこそ、いかに緊張を和らげ、リラックスした状態で本番に臨むことができるかが、いいパフォーマンスを生み出すカギと考えていた。そこで、1カ月早く開催されたオリンピックを見ては、イメージトレーニングを繰り返すなど、対策を図ってきた。

実際、リオではほとんど緊張することなくレースに臨むことができた。当初、それは自らの「成長」と瀬立は考えていた。しかし、今思えば、それは「勝負への希薄さ」だった、と彼女は言う。

「これまでは、緊張しないことがいいことだとばかり思っていました。だから、緊張しないためにはどうすればいいかを考えてきたんです。でも、大学の授業で『緊張感にはマイナスの面だけでなく、プラスに働くこともある』ということを学んだんです。それで改めてリオの時の自分を振り返ってみると、緊張ではなく、変に余裕があったなと。その場ではわからなかったのですが、パラリンピック予選の時とはまるで違う精神状態でした」

パラカヌー・瀬立モニカ

緊張は、必ずしもマイナスじゃない。パラカヌー男子ブラジル代表のリベイロ・デ・ カルバーリョ・カイオに出会い、学んだ。

それは、パラリンピックに出場することで既に得ていた「満足感」、さらには強豪選手2人の欠場によって、順当に行けば決勝にも進出することができるという「安心感」から生まれた「気の緩み」だったのではないか。今思えば、自分は最初から勝負には行っていなかった――リオで見た、プレッシャーに押しつぶされそうになっていたカイオの姿を思い出してみても、やはり自分には緊張感が足りなかったと、瀬立は感じている。緊張感をなくすのではなく、いかにうまく高い集中力に変えていくことができるか。それが、これからの課題だ。

4年後の東京パラリンピックに、瀬立はパラカヌーでは男女合わせて日本人で唯一のパラリンピック経験者として臨むことになる。注目度の高さは今回の比でないことはわかっている。だからこそ、「あの日」リオで目にしたカイオの姿が東京での自分だと信じて、4年間、心技体すべてにおいて鍛え上げていくつもりだ。

パラカヌー・瀬立モニカ

4年後、目標をしっかりと、この手でつかみ取りたい。力強く両手を掲げた瀬立モニカ。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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