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December 09 2016 By 向 風見也

高校3年で日本代表の練習生に。ラグビー「早明戦」に臨む梶村祐介の勤勉さとは。

高校3年で日本代表の練習生に。ラグビー「早明戦」に臨む梶村祐介の勤勉さとは。

2016年12月4日、東京は外苑前駅近くの秩父宮ラグビー場。早大と明大の学生や卒業生にとっての非日常的な空間が発生した。両校のラグビー部員たちによる「早明戦」が開戦されたのだ。

公式入場者数は「21916人」。試合前から外苑前駅から会場へ繋がる歩道はただただ混雑。車道へ回り込んで到着を急ぐファンもいた。

大学選手権15回優勝の早大ラグビー部は、山下大悟新監督のもと焦点を絞った戦い方を提示。低迷脱却を図っている。クラウドファンディングの開設や複数企業とのパートナーシップ締結で、グラウンド内外の環境を整えてもきた。

かたや「前へ」のキャッチフレーズでおなじみの明大は、豊穣な推薦入学枠をベースに高校ラグビー界の名手を結集させる。大らかさがにじむ丹羽政彦監督が就任4年目で、特定の才能に頼らない「メイジのベーシック」の醸成にも時間をかける。

いまはなき旧国立競技場に5万人以上の観衆を集めたこともある、伝統の一戦。勝敗の行方とともに注目されるのが、将来の日本ラグビー界を担う若き才能の活躍だろう。例えば明大には、高校3年時に日本代表の練習生となった梶村祐介がいる。

「頭も使えて、身体も貼れる選手になりたいです」

兵庫県の報徳学園高出身の3年生。攻撃の芯をなすインサイドセンターとして、攻防線上のキーマンとなり得る。

 

「ついていかなきゃ、というなかですが、自分のプレーに集中できるので、かえっていいプレーができているのでは、とも思います」

以上、初めて日本代表候補合宿に加わり、「上手な選手とプレーする時の気持ち」を問われた時の発言である。

それは2013年9月17日、東京都府中市の東芝グラウンドで汗を流したのちのこと。「早くジャパンになりたいという気持ちがわいてきて、いい練習ができています」。明るい未来を信じて疑わぬ風だった。ちなみに招集の話を聞いたのは、いつかの「6時間目の現国の時間」だったらしい。

伊丹市の白ゆり幼稚園で4歳からラグビーを始め、その頃の公式サイズを「身長180センチ、体重86キロ」としていた。

その白眉は、大胆なランだろう。防御のひずみを、シャープな動きの巨躯が切り裂く。「前へ」の明大ファンならずとも、大きな歓声を浴びせたくなるタレントだった。

 

もともと2019年のワールドカップ日本大会出場を目指していたなか、「2015年も狙えるなら狙いたいです」。落ち着いた口調でそう語っていたものの、20歳前後、自分でも予期せぬ停滞期に出くわす。度重なる怪我もあり、ジョーンズのチームからは声がかからなくなったのだ。

求めていない行き止まりに直面する梶村だったが、ランとは異なる資質で這い上がってゆく。それは、勤勉さだ。

明大入学の直前は、20歳以下日本代表に相当するジュニア・ジャパンへ加わった折に左肩を脱臼。入りたての大学での初練習は、夏合宿まで持ち越された。それでも復活までのプロセスにおいて、すでに先輩選手の心を掴む。

同じセンターで1学年上の尾又寛汰は、その合宿をおこなっていた長野県上田市菅平高原でこう証言していた。

「人として、努力する能力を持っている。後輩云々というのは関係なく、プレーヤーとして尊敬できます」

どうやら、仲の良かった2人で逞しくなるための「飯トレ」を自主的におこなうなか、「白飯だけで1日1キロ以上」などの目標値を「余裕っぽく」クリアしていたようだった。俺がこんなに苦しみながらしていることを、なぜこの男は飄々と…。

久しぶりのグラウンド練習の後、梶村自身はこう笑っていた。

 「怪我をして約5ヶ月。皆が練習している時も僕はただ走ったり、肩のリハビリをしていたり…。前以上にラグビーが好きというか、もっとラグビーがしたいと思うようになりました」

2014年にNHKで放送されたジョーンズのドキュメンタリー番組を観て「やっぱりこのチームに入りたい」と改めて決意。その翌春に参加した20歳以下日本代表候補生の練習会では、腰痛のため見学も石にかじりつく態度なら示した。

指導に来ていたジョーンズの話す内容などを、克明にノートに記していた。憧れのボスが「もっともっとハードワークしないと、チャンスはないです。入りたいと思ってもらえるのは嬉しいですが」と応じるなか、当の本人はめげなかった。

「練習に出ている時は見えないものがわかると思って、それをメモるようにしました」

けがの治療時の大幅な減量を経ながら、いまは公式で「身長180センチ、体重92キロ」とサイズアップ。チームでは最上級生を差し置いて、相手反則時のプレー選択を担うゲームリーダーを任される。

 

期待される日本代表に関しては、この春、加わるチャンスがありそうだった。内々に6月のツアーメンバーへの選出を伝えられたと思い、離れて住む家族へも報告した。もっとも、公式発表されたリストに名前を発見できず、選ぶ側と選ばれる側との間にミスコミュニケーションがあったとわかった。

「シーズンでのパフォーマンスで見返してやろう」

丹羽監督にそう勇気づけられた梶村はいま、泰然自若とした態度で世界を見据えている。

「いまは変に早く呼ばれたいと思い過ぎず、しっかり時間をかけて…と考えています。落とされるということは、他の選手よりも必要とされていないということ。いまある弱点を踏まえ、試行錯誤していけたらと思います」

11月5日に秩父宮ラグビー場でおこなわれた日本代表対アルゼンチン代表戦は、公式入場差数を「18235人」と記録していた。

直近の国際試合を上回る観客を集めた一戦は、一進一退の攻防。2点差を追う試合終盤、梶村は自陣から防御を突破する。逆転のチャンスを掴み、前方へ大きくキックを蹴り込もうとした。そいつを皆で追いかければ、スコアをもぎ取れる…。

しかし弾道は伸びず、相手にぶつかってしまう。

「判断自体は悪くなかったのですが、精度は悪かったな…」

場内のため息を呼んだ瞬間を、当の本人は毅然とした態度で述懐した。

「僕自身の力のなさが出てしまったのかな、と思います。まぁでも、これでシーズンが終わったわけではない。落ち込むことなく、しっかりやっていきたいなと思っています」

いつだって「頭を使って身体を張る」を目指す。現実を直視し、着実な歩みを進める。

明治大学 梶村祐介

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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