漆黒の空に白い星の輝く北海道は芦別市で、22年前、ラグビー界のスター候補が生まれていた。
その名を小山大輝という。
背番号「9」のモスグリーンのジャージィで、当世風のツーブロックヘアに白い肌で、切れ長の目で、いや、勝負に直結するパフォーマンスで、かねて愛好家に注目されてきた。
新体制での日本代表ツアーは、2016年11月に終わったばかり。12月11日からは、学生王者を決める大学選手権が本格化する。2019年のワールドカップ日本大会に向け、若者たちが競い合う。大東大の4年生スクラムハーフである小山も、その大一番を見据える。
肉弾戦の周りを突破する、サイドアタックというプレーが得意だ。タックラーが居並ぶ箇所を、持ち前の加速力で突っ切る。
守ってもピンチになりそうな箇所へ先回りし、魚雷のタックルを繰り出す。攻撃時と同様、そのスピードと気骨を発揮する。
身長171センチ、体重71キロ。フィジカルスポーツの競技者としては、やや線が細いか。故障などを理由とし、年代別代表などにもあまり加わってこなかった。それでも、20歳以下日本代表の候補合宿で出会ったあるコーチには、こんな印象を残している。
「異次元。ラグビーの頭もいいし、常に先を見ている。心臓、強いのかも」
最初から、痛快な物語を紡いできた。
兄の雄也さんを指導する芦別高ラグビー部の成田正人監督に誘われ、野球からの転向を決断。まだ素人だった芦別中時代、北海道ラグビースクール選抜のセレクションを受けると合格してしまった。
高校では走り込み中心の厳格な練習で鍛えられ、休みになれば監督主催の海水浴ツアーや焼肉パーティーで英気を養う。高校3年時の南北海道大会で1回戦敗退と、全国大会とは無縁だった。それでも、その才能に惚れた人がいた。
日本協会のコーチングディレクターである中竹竜二は、職務上チェックに訪れた地域別選抜の選考合宿で「誰より本気」に映る道産子を見抜いた。
2012年度高校日本代表のセレクター陣へ、「もし、もう2人が決まっているのなら、3番手以降は…」と「冒険」を勧めた。スクラムハーフの2枠は、強豪校のエリートが埋めそうな雰囲気があった。
説得された当時の横田典之監督は、しかし、間もなく中竹の真意を知る。2月の最終チェック時に試合形式のセッションをすると、自分の知らなかった選手が別格の動きをしていたのだ。「もう1本、見てみよっか」と繰り返すうち、事前の構想を覆して小山を選んだ。
だからこそ、小山が大東大で入学間もなくレギュラーを獲得したこと、試合をするたびに対戦校から「コヤマ! コヤマ!」と徹底マークされていることを、「ぜーんぜん、不思議じゃない」と言い切るのである。
日本代表入りへの準備は、3年時あたりから本格化した。
小山は埼玉県東松山市にある選手寮のテレビで、国際リーグであるスーパーラグビーのゲームを注視。列強国のスクラムハーフが突破よりも試合制御を重視していると思い、自らもスタイルに手を加えた。
ナイフの走りはここぞの時に温存し、普段はただただ攻撃陣形を整えてパスを繋ぐ。大東大には留学生ランナーなど自分以外の突破役が多いことを踏まえ、「周りにキャラクターがいるうちに、そういうことをやっておきたい」。今後、行く先々で求められる仕事をこなせるよう、プレーの幅を広げたいという。
2016年11月27日、東京・秩父宮ラグビー場。加盟する関東大学リーグ戦1部の最終節では、前半33分にその意志を示す。
敵陣22メートルエリア右でのラインアウトから仲間が前進すると、接点の近くへ駆け寄った小山がいったん、走りを止める。周囲の選手の立ち位置を調整し、球を捌く。次の局面へ駆け寄り、慌てずにまた同じ動作をする…。
「次があることを意識しながら、ボールキープ。ゲイン(突破)したら、ハイテンポ」
最後はエースのホセア・サウマキがインゴールを破るなどし、24―14とリードを広げる。中大を64―21で制したこのゲームで、小山がサイドアタックを多く試みたのは終盤からだった。
遡って19日、日本代表はカーディフのミレニアムスタジアムでウェールズ代表と激突。経験者を多く欠くなか、欧州6強の一角に30-33と肉薄した。多くのファンが高揚したが、小山はその一戦を「勝てた試合という印象もありました」と振り返る。
ゲームの内容や出場選手の働きに対し何かを言ったのではない。いずれ自分もその舞台に立つのだという当事者意識を持って観戦し、敗北を悔しがったのだ。
「あそこに立ちたいというのが率直な意見で、あそこに立つためにはもっと努力をしなきゃいけない。2019年に向けて…とも思うので、焦らず経験を積んでいきたいです」
大学選手権では12月11日、地方大のトーナメントを勝ち上がった福岡工大と秩父宮で対戦する。順当に勝ち上がれば、またも秩父宮で7連覇中の帝京大とぶつかる。
帝京大とは4強に入った昨季、1月2日の準決勝で33―68と屈している。もっとも小山は、相手に確かなインパクトを残してもいる。
ある程度勝負の決まった試合終盤、タッチライン際のスペースを駆けようとしたのは帝京大の竹山晃暉だった。トライ量産でスポーツ番組にも注目される貴公子候補だ。目の前に誰もいないと感じ、どう止めを刺すかをしばし考察する。
大東大、追加点を許すか。否、小山が諦めなかった。自陣22メートルエリアへ猛スピードでカバーに回り、タックル。竹山をタッチラインの外へ出した。
得点機を逃した注目選手は、礼節を保ちつつも驚いていた。
「失礼な話なのですが、僕、大東大の選手のことをそれほど詳しくは…。あんな必死に追ってくるなんて、もう、絶対に4年だと思っていたら、まだあと1年やられるんですね。いやぁ、速かったですよ」
今回、小山はその「4年」として帝京大を見据える。いまのクラブでプレーする最後の季節。新しい伝説を創るか。