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December 09 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

「自分を変えるべき」と気づいたリオ ~車椅子バスケットボール・香西宏昭~

「このチームなら、きっとやれる」

3度目の出場となった2016年リオデジャネイロパラリンピック。香西宏昭(こうざい・ひろあき)に、心のブレは一切なかった。本気で「過去最高の6位以内」を狙いに行った大会だった。しかし、予選リーグは1勝4敗。決勝トーナメントに進出することはできず、4年前のロンドンと同じ9位に終わった。もちろん、この結果は重く受け止めている。それでも、香西は下を向いてはいない。

「日本がやっているバスケが正しいということを、確認することができました」

スコアや順位の数字だけではわからない、勝敗の裏に隠された、「リオの真実」に迫る――。

3度目にして初めて感じた「パラリンピック」

「もしかしたら、初めて本当の意味で、パラリンピックというものに挑んだと言えるのかもしれません」

香西にとってリオは、過去2大会とは自らの立場も、求められているものも、まるで違う大会だった。

「1度目の北京は何も知らずに、先輩たちに連れて行ってもらっただけでした。2度目のロンドンは、ようやく自分のバスケというものが確立されてきて、『4年間でどれくらいレベルアップしているかな』という感じだったんです。でも、リオはエースとして、副キャプテンとしての責任があった。だから開幕前から、北京やロンドンの時にはなかった『怖さ』を感じていました」

車椅子バスケットボール・香西宏昭選手

今や日本のエース的存在の香西。卓越したテクニックとスピードでチームを牽引する。(三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉大会)

さらに、香西にはもうひとつ、特別な思いがあった。それは、及川晋平(おいかわ・しんぺい)ヘッドコーチ(HC)の存在だ。及川HCは、香西が小学生の時から目をかけてきてくれた恩師のひとり。「晋平さんなくして、今の自分はない」と言うほどの恩義を感じている。だからこそ、及川HCの下、どうしても勝ちたいという思いがあった。

しかし、リオでの戦いは、予想以上に厳しいものとなった――。

敗戦の中にあった確かな手応え

決勝トーナメント進出を最低条件と考えていた日本にとって、それは「まさか」の出来事だったに違いない。9月7日に開幕したリオデジャネイロパラリンピック。翌日から予選リーグを戦った車椅子バスケットボール男子日本代表は、トルコ、スペイン、オランダの欧州勢に3連敗を喫し、2試合を残して早くも予選敗退が決定した。

香西は、自らの責任を強く感じていた。

「他の選手には『うぬぼれるな』と怒られるかもしれませんが、僕自身は特に最初の1、2戦、トルコとスペインに負けたのは自分のせいだと思っています」

香西は、チームが劣勢に立たされている時こそ、エースである自分が多少無理やりにでも攻めていくことが必要だと考えていた。それは及川HCから求められていたことでもあった。だが、いつもならここぞという時にこそ決めるシュートがなかなか入らず、逆に相手にリバウンドを奪われて得点のチャンスを与えるシーンが生まれていた。

車椅子バスケットボール・香西宏昭選手

敵の攻撃をかわし、いつもは鮮やかにシュートを決める。その「いつものこと」が、リオの予選リーグ序盤では、ままならなかった。(三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉大会)

 

その後、日本はカナダに勝利を収め、リオでの初白星を挙げたが、予選最後のオーストラリア戦に敗れた。1勝4敗でグループ5位となり、9、10位決定戦へ。同じアジアのイランに勝利し、4年前と同じ9位という結果でリオの戦いに終止符を打った。

順位だけを見れば、「停滞」ということになる。「ロンドンから成長したのだろうか」という疑問がわいても致し方ないことだろう。しかし、日本はリオの地に、しっかりと「成長の跡」を残してきていた。

「今回のリオで、スペインは銀メダル、トルコはベスト4という成績を挙げました。そういうパラリンピックで上位に入るようなチームが、今までのように『日本か』と見下すことなく、本気でぶつかってきていた。それだけ日本の力を認めていたのだと思います。その中で、トルコにもスペインにも、前半は肉薄するゲームができた。北京、ロンドンではなかったことです」

実際、トルコ戦では第3クオーターまでは、離されても僅差まで追い上げており、逆転する可能性は十分にあった。さらにスペイン戦では、第1クオーターでリードしていたのは日本だった。第2クオーターで逆転を許したものの、わずか3点差で試合を折り返している。勝敗がどちらに転んでも、まったくおかしくない緊迫した試合を演じていたのだ。

「自分たちがやってきたことは、間違いではなかった」

香西には、過去2大会には感じられなかった、確かな手応えがあった。

4年後、「やり切った」と言える舞台に

とはいえ、掲げていた「6位以内」という目標に対して、結果を残すことができなかったことは事実だ。香西自身、思い描いていたようなエースとしての役割を果たすことができなかった責任の大きさを誰よりも感じている。

予選敗退が決定したオランダ戦後、香西はひとり、自らに問いかけていた。

「自分では、リオまで100%で準備をしてきたつもりだったけれど、本当に全てをやり切って、ここに来たのだろうか……。自分を追い込む練習ができていたのだろうか……」

考えれば考えるほど、「このままではダメだ、変わらなければ……」、そんな思いが募った。

「今、振り返ると、トレーニングにおいても、もちろんきちんとやってはきたけれど、ストイックさが足りなかったのかなって。例えば、パーソナルトレーナーをつけなかったことひとつとっても、『車椅子バスケのトレーニングについては科学的に解明されていない部分が多い。だから間違ったものは取り入れたくない』というふうに言ってきたけれど、自分に合ったトレーナーを探そうともしなかった。それって、ただの甘えだったのかもしれないと思ったんです」

香西は、一度だけ、自分自身を誇りに思ったことがある。それは、米国のイリノイ大学を卒業したことだった。特に表彰されるような優秀な成績を修めたわけではない。むしろ卒業するのに人よりも時間を要した。それでも、まさか自分が本当に米国の大学を卒業するなどとは、高校時代までは考えられなかったことだった。

「オレ、ついにやり遂げたんだなぁ」

卒業式の日、香西は誇りと自信を胸に、達成感に酔いしれた。

一方、バスケットボールプレーヤーとしては自らを誇りに思うまでに至ったことは、これまでに一度もない。だからこそ、思う。「4年後には」と。

「2020年東京パラリンピックには、自分に自信を持って臨みたいなと思うんです。もし、それで負けても、『やり切った』と感じられるんじゃないかなって。逆に言えば、そう感じられるくらいのことを、この4年間でやっていこうと思っています」

11月25日、2020年東京パラリンピックに向けて、及川HCの続投が正式に発表された。それを受けて、香西からはこんな言葉が返ってきた。

「4年がまた、始まります」

香西の気持ちがすべて集約されているような気がした。

リオの地で抱いた、「悔しさ」のひと言では片づけることのできない、さまざまな感情。だからこそ得られた気づき。それこそが、さらなる成長へとつながるに違いない。

日本のエースは、まだまだ進化する。

車椅子バスケットボール・香西宏昭選手

現在、ドイツのブンデスリーガでプレーしている香西。2020年に向けて、心新たにスタートを切った―。(撮影:斎藤寿子)

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄・斎藤寿子)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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