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December 15 2016 By 小林 香織

「私は舞台で生きていたい」声が出なくなるほどの試練を乗り越えつかんだバレリーナへの夢-米沢唯(前編)

華麗な衣装に身を包み、舞台上を優雅に舞う……女性の憧れの象徴ともいえるバレリーナ。だが、トップに上り詰めるまでには一筋縄ではいかない高い高い壁が待ち受けている。

今回のヒロインは3年間の渡米経験を経て、新国立劇場バレエ団で最上位ランクのプリンシパルとして活躍する米沢唯。彼女は、今でこそ国内のトップダンサーとして主役を踊っているものの、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

前編ではバレエを始めた幼少期から、声を失うほどに追い詰められた壮絶な渡米体験のエピソードまでを綴る。「人生を捧げたい」と思わせるほどのバレエの奥深さ、そして米沢唯のバレリーナ魂を感じてほしい。

4年連続でコンクールは予選落ち、自分の甘さに気づいたら評価が一変した

米沢唯

小学校6年生当時の米沢

東京で生まれ、3歳で名古屋へ移り住んだ米沢。当時から音楽をかけて体を動かすことが好きだった彼女を、両親はバレエスクールに連れて行った。米沢がバレエの基礎を学んだ「塚本洋子バレエスタジオ」だ。コンクールでは必ず入賞するような優秀なレッスン生ばかりのなかで、意外にも米沢は劣等生だったという。

「右手を出して左足を上げて、というような振り付けを覚えるのが苦手でした。でも、スキップが大好きでスキップだけを目当てにレッスンに通っていたんです」

とはいえ、入所して5カ月のとき「足が強いから」という理由で、最年少で特別クラスへ昇格。その後、米沢は小学校1年生で初めてコンクールに出場する。「きっと先輩たちみたいに1位をとれるはず」と思って臨んだコンクールは、あえなく予選敗退。結局それから4年間、一度も予選通過できなかった。

「4年生でコンクールに落ちたときにすごくショックで、自分では一生懸命練習したつもりだったのに、どうしてダメだったんだろう、先輩たちと何が違うんだろうと考えました。そこで気づいたのは自分の練習の甘さ。たとえば1つステップを注意されたら、そこだけを直すんじゃなくて全部のステップを意識しなきゃいけないんですよね。そこからは練習へ取り組む姿勢が変わりました」

意識を変えたことで生まれ変わったかのように予選を突破できるようになり、将来の夢はバレリーナに固まった。高校1年生のときには、若手バレエダンサーの登竜門の一つといわれる「ローザンヌ国際バレエコンクール」の決勝に進出。惜しくも入賞は逃したものの、高い評価を得る。

米沢唯

高校1年生当時の米沢

19歳で単身渡米、レッスンと現実生活のはざまで「踊る目的」を見失っていく

大学生になった米沢は、海外のバレエ団への入団を熱望しやみくもに国際コンクールへ出場する。そこで審査員をしているディレクターに自分を売り込むためだ。

2006年、USAジャクソン国際バレエコンクールで銅メダルを獲得した米沢は、同時に運命の切符も手にすることになる。アメリカ・サンノゼバレエ団のディレクターにスカウトされ、プロダンサーとして入団契約を結んだのだ。大学を中退し、意気揚々とアメリカへ。しかし、19歳の米沢に待ち受けていたのはあまりにも過酷な現実だった。

「親元を離れたことがなかった私が、海外で独り暮らしをするのは並大抵のことじゃありませんでした。英語もあまりしゃべれないなかで、アパートを探して契約して引っ越しをして。そんないっぱいいっぱいな状況で、入団してすぐに『くるみ割り人形』の主役を与えられたんです。仕方なく寝ないでビデオを見て振りを覚えました。そうしたら『君、覚えるの早いね』って、別の役も与えられて…」

そんなキャパオーバーな状態で必死に食らいついた米沢。本番直前にケガによりパートナーが交代するトラブルに見舞われるも、なんとか初演を演じきる。

「もっとバレエに集中したい、もっと自分のすべてを捧げて踊りたい」。そう願う米沢だったが、現実はそう甘くなかった。家賃の支払いに社会保障の手続き、加えて家事と、やってもやっても終わらない雑用に阻まれ、思うようにバレエに全力を注げない。

だがアメリカではプロのダンサーは、「仕事」として割り切って踊ることが良しとされていた。徐々に周囲と同じように、バレエに一線を引いている自分に気づく。「私は何のために踊っているんだろう」そんな疑問が頭をかすめる。ストレスだけが募る日々のなかで、渡米して3年目には、もう何のために生きているのかさえわからなくなっていた。そしてついに、米沢に悲劇が起きる。

声が出ない…ついに体が悲鳴をあげ帰国「私はバレリーナに向いていない」

米沢唯

2014年舞台「シンデレラ」にて

ある日バレエ団へ向かう道中で、米沢は突然、頭に強い衝撃を感じ意識を失った。「誰かに頭を殴られたと思いました」。当時のことを彼女はそう語る。

「でも実はそうではなく、あまりのストレスで殴られたような衝撃を感じたみたいです。そのまま倒れて、救急車で病院に運ばれました。これまでは、とにかく『バレエが好き、踊ることが楽しい』っていう純粋な気持ちでやってこれたんですが、それがうまくいかなくなり、心が暗闇で覆われてしまって。英語を自由に話せないのでその苦しさを伝えることもできなくて、溜め込んだ結果、限界を超えてしまったんだと思います」

過度のストレスが降りかかったことで、米沢の体には難聴の症状が現れ、そのうえ数日間にわたり声が出なくなった。「一生声が出なくなったらどうしよう」、そんな不安にも襲われたという。親元を離れ一人奮闘していた米沢にとって、あまりにも辛すぎる試練だっただろう。

その後、声は回復したものの「このままだと自分はどうなってしまうかわからない」、そんな恐怖を感じた米沢は3年間在籍したサンノゼバレエ団を退団し、帰国を決めた。2009年のことだった。同時に、バレリーナの夢を断念しようと決意を固める。

「私はプロに向いていない、だから他の仕事を見つけてバレエは趣味として続けよう、そう思って帰国したんです」

しかし、しばらく静養し元気を取り戻すと、どうしても夢を捨てきれていない自分がいた。そんな彼女をもう一度プロの道へ引き戻したのは、2010年から4年間にわたり新国立劇場の舞踊芸術監督を務めた、デヴィッド・ビントレー氏だった。

 

米沢 唯(よねざわ ゆい)
新国立劇場公式ホームページ:https://www.nntt.jac.go.jp/

 

(取材・文:小林 香織)

小林 香織

小林 香織 Facebook Twitter Blog

1981年、埼玉県生まれ。2014年ライターデビュー。本名とペンネーム「恋する旅ライターかおり」を使い分けながら、WEBメディアを中心に、【働き方、ライフスタイル、旅、恋愛、スポーツ】など幅広く執筆。東京を拠点に、ときどき国内外を旅しながら旅と仕事を両立している。ライターとして叶えたい夢は、人生の選択肢を提供することで、誇れる人生を選びとれる人を増やすこと。地球上にあふれるトキメキをありのまま届けること。

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