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December 22 2016 By 横田 泉

高3スタートで女子ラグビー日本代表へ 日向寺亜依が見せたタフネス

リオで初めて五輪種目として採用された、ラグビー女子7人制(セブンズ)。日本は10位という結果に終わったが、リオを機に女子ラグビーへの注目度が高まったことは間違いないだろう。しかし一方で、五輪種目に採用されていない、ラグビー女子15人制の方はまだ認知度は低い。2015年、16年と女子15人制の日本代表「サクラ15」に選ばれ、二度のアジアチャンピオンを経験した日向寺(ひゅうがじ)亜依は、「合宿期間が短い中で連覇もしている15人制に、もっとスポットライトが当たってほしい」と話す。

まだ認知度の低い女子15人制。しかし日向寺という選手をきっかけに、興味をもつことができるかもしれない。女子ラグビーには異色の経歴から注目される選手もいるが、彼女の経験やタフさも、なかなか目を引くものだからだ。

日向寺は現在、アイアルオンズ株式会社の運営する「リハトレ専科」で、高齢者へのトレーニング指導をしながら、女子ラグビーチーム・東京フェニックスに所属している。チームには小学生からラグビーを始めた選手もいるが、そんな中で見ると、彼女が競技を始めた時期は圧倒的に遅い。日向寺がラグビー部に入部したのは、高校3年の8月。それまで主将を務めていたバレー部での最後の試合を終えた、翌日のことだった。

日向寺亜依

22歳の現在、競技歴はわずか4年ほどだ。それでも、15、16年と連続で女子15人制ラグビーの日本代表に選出され、二度のアジアチャンピオンを経験。リオ五輪直後に行われたセブンズの強化合宿にも招集された。女子セブンズのヘッドコーチ代行を務める稲田仁氏からは「(セブンズで)2020年の東京五輪を目指すつもりなら、また(強化合宿に)戻ってきてほしい」と声をかけられるほどの実力だ。競技人口が少ないということを差し引いても、この成長は目覚ましいものといえるだろう。

この急成長の背景には、彼女の強い意志と身体能力、そして高校3年で経験した濃密な練習がある。

日向寺亜依

日向寺がラグビーを始めたきっかけは、2つ年上の兄の影響だった。もとより興味は抱いていたというが、その思いがより強くなったのは、高校ラグビーの聖地・花園での試合を見てからだ。高校ラグビーでは開会式後に、女子の西日本代表と東日本代表が戦う、エキシビションマッチが行われる。花園のピッチを駆け回る女子選手らの姿を見て、日向寺は「自分がこのピッチに立つイメージが浮かんだ」。さらにその思いを決定づけたのが、高校1年の時に見た兄の試合だった。日向寺と兄は、高校ラグビーで花園の常連校・北海道遠軽高校に進学しており、兄はそのラグビー部で花園出場を決めていた。しかし、その年はけがに泣かされ、結果は1回戦敗退。毎日、苦しい練習を重ねてきた兄の姿を見てきた日向寺は「あんなに努力していたのに、けがで力を発揮できなかったのが、本当に悔しい」と、我がことのように悔しがった。そして、こう思った。「私が、代わりにやりたい」。

日向寺亜依

しかし高校1年の時点で、日向寺はバレー部に所属していた。中学時代からバレー部で主将をしていた日向寺は、高校の監督からも「主将をしてほしい」と言われるほどの逸材だった。周囲の声を受けてバレー部に入部し、やがて主将にも抜擢された。しかしバレーに打ち込む一方で、やはりラグビーへの思いを断ち切れなかった。転部も考えたが、主将としての立場を思うと難しい。そこで日向寺は3年の8月、バレー部として引退試合を終えてから、その翌日にラグビー部に入部することにした。

「ラグビーのシーズンは冬だから、あと4カ月くらいできるな」

そう思ったのだという。

遠軽高校には男子のラグビー部しかない。日向寺は男子ラグビー部の、たった一人の女子選手として入部することとなった。実は、男子ラグビー部に女子が入るというのは、決して珍しいことではない。というのも、全国的に女子のラグビー部は圧倒的に少ないため、女子がラグビーをするためには当然、男子部で一緒に練習をする形になるのだ。

それにしても高校3年の夏からという異例の時期の入部だ。普通なら難色を示されてもおかしくはないが、この時、ラグビー部の監督は日向寺に「ずっとラグビー部に入ってもらいたかった」と話したという。実は日向寺は、高校1年の頃から校内の体力テストでは常にトップクラスで、そんな日向寺の身体能力に、監督は注目していたようだった。

日向寺亜依

日向寺の運動能力に関しては、こんなエピソードもある。彼女が幼稚園児の時に、園で縄跳び大会があった。どれだけ多くの回数を跳ぶことができるかを競う大会で、日向寺は年少クラスの時に優勝したのだが、その翌年、年中クラスでは2位になってしまった。年中といえばまだ4歳だが、日向寺はその時の負けが猛烈に悔しかったらしく、その直後から遊ぶ時間の中に必ず「縄跳びの時間」をつくり、自主練に励んだ。そして迎えた翌年、年長での大会では見事優勝を果たすのだが、その跳んだ回数がすごかった。実に、1681回。周りに誰も跳んでいる子がいなくなり、先生から「もう1番だから、やめてもいいんだよ」と声をかけられても、延々と跳び続けていたのだという。

高校時代に常にトップだったという体力テストも、実は1番を取るために、1週間前から練習をしていたのだという。高い身体能力、そして何より「勝つこと」への強い意志を感じさせるエピソードだ。

かくして、そんな身体能力や精神力が評価された日向寺は、監督に歓迎されながらラグビー部入部を果たす。しかしその高い身体能力をもってしても、男子ラグビー部での練習はかなりハードなものだった。

まず、基礎練習がきつかった。例えば、スキー場の坂を利用したダッシュ、25本を3セット。例えば、急な坂をゴムで引っ張られながらダッシュで上る練習。クロスカントリーのゆるやかな坂を延々と走り続けることもあった。地味ながらキツイ練習に、太ももや尻が肉離れを起こすこともままあった。

これに加えて大変だったのは、男子選手を相手にした練習だった。先述したように、男子部で女子が練習することは珍しいことではないのだが、その場合はたいてい複数の女子選手が入ることが多い。複数の女子選手がいれば、コンタクト練習では女子同士で当たることができる。しかし、日向寺はたった一人の女子選手だった。他に女子選手がいなかった日向寺は必ず、男子選手と当たらなければならなかったのだ。

高校生といえども、花園常連のラグビー部員とぶつかり合うのは、かなりタフな練習だったはずだ。何より、力も体格も圧倒的に上の相手に挑むことに恐怖心が先立つだろう。日向寺は「小さいころから兄と殴り合いのケンカをしてたので、大丈夫でした」と笑って当時を振り返るが、あまりにタフな練習に、時には「練習に行きたくないな」と思う日もあったという。

日向寺亜依

だが日向寺にとって、それよりも強かったのが「負けたくない」という気持ちだった。練習量で男子部員に負けるのが嫌だったし、コンタクトで男子部員や、監督にすら力負けするのが嫌だった。朝練で監督と1対1でぶつかった時には、まったく歯がたたず、あまりに悔しくて朝礼の時間まで涙を流していた。

こうした高校での経験がいかに濃密だったかということを、彼女は卒業後に改めて知ることになる。日向寺は卒業後、誘いを受けて社会人チームに所属したのだが、そこで練習に参加した時に、こう思ったという。「高校の練習の方が、キツかった」。同じタックルでも、男子と女子のそれではやはり地力が違う。男子部員とぶつかり合った経験は、大きなアドバンテージとなっていた。

高卒時にすでにそれだけの力を備えていた彼女が、日本代表に選ばれるまではそう時間はかからなかった。社会人2年目から日本代表・サクラ15に選出される。

この日本代表としての練習が、また壮絶だった。高校で男子顔負けの練習をこなしてきた彼女でさえ「ハードでびっくりした」と振り返る。1時間、延々と当たる、走る、当たる、走るを繰り返したり、ピッチの端から端まで、コンタクトバッグに当たりながらダッシュで駆け抜けたり、監督とマンツーマンで組んでハードな練習を課せられることもあった。練習は朝、午前中、午後の3部で、「トレーニングが怖すぎて、食欲がなくなる」ほどだった。

しかしそうした練習のかいもあってか、15年、16年はアジアチャンピオンに輝く。15年にはアジア最強とされていたカザフスタンを撃破。実は当時、日向寺は事前合宿中に足の小指を骨折していた。試合中も「痛い、脳内のアドレナリン、早く効け」と思いながら、ピッチを駆け回ったという。彼女らしいタフなエピソードだ。

日向寺亜依

現在、15人制の女子は「アジアでは敵なし」(日向寺)状態だが、日本女子ラグビーが目指すのは、その先にあるW杯本選だ。だが、この壁が高い。世界を相手にした途端、日本と海外選手のフィジカルの差は圧倒的なものになる。日向寺は「W杯は本選に入ると、一気に強くなる。体の大きさが違う」と話すが、一方で「そういうところと、対戦したい」と前向きな姿勢も見せる。

そのタフな精神や高い身体能力を知ると、彼女が世界で戦う姿を見てみたい気持ちが高まるが、実は現在、彼女は故障と闘っている。もとより故障していた右肩がこの8月の合宿中に悪化。反復性亜脱臼と診断され、9月に手術を受けた。12月からはW杯出場がかかったアジア・オセアニア地区予選があり、手術をすればそれへの出場は絶望的になる。しかし日向寺は「手術しないで30%の実力で評価されるより、手術して100%の状態で評価されたい」と、手術を受けることを即決した。

現在はリハビリとトレーニングに励んでいるが、すでにその視線は次へと向いている。それもかなりタフな方に、だ。

予選を勝ち抜けば、来年8月にはW杯本選が始まる。日向寺はそれを見据えて「3月か4月には練習を開始したい」と話すが、その練習場所に選んだのは、日本代表選手も多数輩出している東海大学ラグビー部。もちろん、男子部だ。かねて交流があったという同大学で、「練習に交ぜてもらう」のだという。「人生で一番のターゲットにしてきた」と話すW杯に向けて、ハードな練習を積む予定だ。

日向寺亜依

さらに、W杯の先のことも考えている。

「W杯が終わったら、ニュージーランドに留学しようと思ってるんです」

ニュージーランドは言わずもがなのラグビー強豪国で、W杯では最多4回の優勝を誇る。友人のニュージーランド出身の選手のつてで、オークランドのチームで練習する予定だという。「ニュージーランドの強いチームで練習がしたい」と言い、さらにこう続ける。

「自分より上のレベルでやった方が、強くなれるので」

これはきっと、日向寺が高校時代や日本代表を経て体感してきたことだろう。だから、彼女は常にタフな方を選んできた。復帰後の練習はもちろん、W杯、そして海外留学を経て、彼女はもっと強くなるはずだ。強くなった彼女はきっと、日本の女子ラグビーを盛り上げてくれることだろう。

日向寺亜依

横田 泉

横田 泉

宮城県出身。編集プロダクション、新聞社ウェブ部門などを経てフリーランスに。スポーツは体操、新体操を中心に、ラグビー、駅伝等、幅広いジャンルを担当。体操はアジア選手権、世界選手権なども取材。

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