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December 28 2016 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

「真剣勝負」に魅せられて、ついに押し開けた NPBへの扉 ~巨人育成1位・高井俊~

「うそだろ……」。自らの名前を呼ばれた瞬間、思わずそうつぶやいてしまうほど、驚きの気持ちしかなかった――。野球独立リーグ・BCリーグの新潟アルビレックスBCに入団して2年目の今季、高井俊(たかい・すぐる)の成績は振るわなかった。34試合に登板し、0勝3敗6セーブ。特に防御率5.11は、抑えとしては致命的だと考えていた。それでも一縷の望みをかけて、見守っていたプロ野球ドラフト会議。最も目をかけてもらっていると考えていた球団が育成1位で同じ独立リーグの別投手を指名した瞬間、「終わった……」と思った。ところが、その数分後、耳に届いてきたのは自分の名前だった。

2016年10月21日、高井は巨人に育成1位で指名され、NPBへの扉を開いた。

2度にわたって諦めかけたプロへの道

彼の野球人生は、一風変わっている。

新潟県で生まれ育った高井は、小学2年の時に野球を始め、中学校では軟式野球部に所属した。何かの事情がない限り、そのまま高校でも野球を続けるという流れになりそうなものだが、高井の中には野球から離れるという選択肢があったという。

「中学の時に全国大会で優勝するという目標が達成できず、『こんなところでつまずいているんだったら、もうプロは無理だな』と一気に冷めてしまったんです。加えて、県内には行きたいと思える高校がなかった。だったら、このまま野球をやめて、普通の高校生活をしようかなと考えていたんです」

そんな高井に、「県外の高校で野球をしてみたらどうだ?」と勧めてくれたのが両親だった。その提案に、高井の胸は高鳴った。

「こんな田舎町から、県外の高校に行くなんて、考えたこともありませんでした。他の人があまりやっていないことがやれると思ったら、ワクワクしてきたんです(笑)」

やるなら甲子園を目指そうと考えた高井が選んだのは、宮城県の名門、東北高校だった。当初、高井は「余裕でレギュラーを取れる」と楽観視していた。しかし、そこには総勢100人近くの部員がおり、その中には中学で優秀な成績を挙げている強者たちがひしめき合っていた。同じ新入部員でさえも体つきからして自分とは違う彼らは、足の速さ、肩の強さ、投げる球の威力、打球の鋭さ……何もかもが格段に上だった。その中に割って入ることなど、自分にはとてもできないと、入部してわずか3日後、高井は両親に「辞めたい」と泣きの電話を入れたほどだった。

激しい競争の中、高井は1年間、まったく目立った活躍はできなかった。しかし、そんな彼に目をかけていたのが、武内充(たけうち・みつる)総監督(当時)だった。1年の冬、高井は武内総監督から「これから毎日400球投げ込め」と命じられ、練習がオフの月曜日以外の週6日、毎日400球を投じた。すると、入学当時120キロ台だった球速は、2年の春には136キロにまで伸びていた。

本来、そこでベンチ入りの機会を与えられるはずだった。ところが一度、寝坊をして練習に遅れてきたことが総監督の逆鱗に触れ、一時、練習に参加することさえも許されなかった。それがようやく解けた2年の夏から徐々に練習試合で登板するようになり、ベンチ入りを果たしたのは、その年の秋のことだった。

しかし、一難去ってまた一難。秋の大会前、練習試合で得点係をしている時に、スコアボードにかけられた脚立から落下して肋骨を折り、さらにそれを我慢して練習したのが災いし、走っている時にバランスを崩して足首をひねってしまった。結局、秋の大会には一度も出ることができなかった。

3年になって、ようやく高井は主力のひとりとして登板するようになり、エースナンバーを付けたこともあった。しかし、最後の夏は県大会4回戦で敗退。またも、目標を達成することができなかった高井は卒業後、故郷へと戻り、調理師専門学校へ進学した。今度こそ、本当にプロへの目標に終止符を打つつもりでいた。

土で汚れた野球ボール

高校時代は、試練の連続。夢と希望を胸に入部した東北高校野球部だったが、満足のいく結果を得られないままに卒業を迎えた。

蘇った真剣勝負の高揚感

プロへの目標は諦めたとはいえ、野球が好きだった高井は、専門学校に通いながら軟式のクラブチームで趣味の一環としてプレーしていた。そんなある日、高井に真剣勝負の中で投げる高揚感を思い出させた試合があった。国体の県予選、相手は県内屈指の強豪・北陸ガスとの2回戦で、高井は助っ人ながら先発として登板した。

その時、彼の中に蘇ったのが、高校3年の春、一度だけ先発登板した仙台育英との試合だった。その試合、高井は8回2失点と好投し、チームも最終回に3点を奪って逆転サヨナラという劇的勝利を飾った。鎬を削り合ってきた最大のライバル校との試合は、投げていて、他校の試合とは全く違う、熱いものが込み上げてくる感覚があった。その感覚が、北陸ガス戦で、約1年ぶりに蘇ってきたのだ。

「その前の試合までは、簡単に空振りを取れていて、『軟式はこんなものか』と思っていたんです。そしたら北陸ガス戦では、いくら全力で投げても、全く空振りが取れなかった。結局、7回7失点で負けてしまったのですが、残ったのは負けず嫌いからくる悔しさと、強い相手に対して投げる高揚感でした。それで、『よし、もう一度真剣勝負の世界に戻って、プロを目指そう』と決めたんです」

2016年10月21日のドラフト会議で、巨人に育成1位で指名された高井俊選手

「勝負の世界」で投げる高揚感に、プロへの思いが再燃した。

プロになることを、やはり諦めきれていなかった。そんな自分に気づいた瞬間でもあった。

全球ストレート勝負での初セーブ

2014年11月、BCリーグのトライアウトで141キロをマークした高井は見事合格し、翌年から新潟アルビレックスBCに所属。そこからNPB昇格への挑戦が始まった。

高井を飛躍させたのは、入団1年目に決断したフォーム改造にあった。それまでノーマルなフォームだった高井だったが、なかなか思うような球を投げられずに悩んでいた。そこで、歩幅を狭めてみたり、セットポジションで投げてみたりと、いろいろと試す中でピタリとはまったのが、もともと好きで高校時代も一時トライしたことがあった元メジャーリーガー野茂英雄(のも・ひでお)の「トルネード投法」だった。

とはいえ、自分のものにするには時間を要した。ようやく「これだ」という感触を得たのは、2年目の今シーズンに入ってからのことだったという。下半身のふらつきがなくなり、しっかりと体の軸を感じながら投げられるようになったのだ。すると、今年5月15日、東北楽天二軍との交流戦で、自己最速の152キロをマークしてみせた。

2016年10月21日のドラフト会議で、巨人に育成1位で指名された高井俊選手

試行錯誤で辿り着き、今では自分のものとしたトルネード投法で、力強い球を投げ込む。

さらにちょうど1週間後の22日、福井ミラクルエレファンツ戦は、高井にとって最も忘れることのできない試合となった。新潟が3-0とリードして迎えた最終回、マウンドにはいつも通り守護神の雨宮敬(あめみや・たかし)が上がった。ところが、安打と四球で無死一、二塁とすると、タイムリーを打たれてしまった。アウトをひとつも取れずに、雨宮は降板。その後を継いだのが、高井だった。無死二、三塁。チームの勝敗を一手に引き受ける役割を任されたことに、高井は緊張感とともに、燃えていた。

「すごいピンチの場面ではありましたけど、今年は抑えをやりたいとずっと思っていたので、『ようやくチャンスが来た』という気持ちの方が強かったです」

高井がマウンドに上がると、捕手の宮沢直人(みやざわ・なおと)が寄ってきて、こう言った。

「オマエの得意のボールで行くぞ」

その言葉に、高井はうなずいた。「全球ストレート勝負」。高井も同じ気持ちだった。

2016年10月21日のドラフト会議で、巨人に育成1位で指名された高井俊選手

ピンチこそチャンス。緊迫した場面での緊張感が、高井にはたまらない。

先頭打者には犠飛を打たれて失点を喫し、1点差に詰め寄られたものの、その後は二者連続の三振に仕留めてみせた。高井に初めてのセーブがついた。

試合後の整列に加わろうと、マウンドを降りた時、高井は自分の目から涙がこぼれ落ちていることに気づいた。

「自分でもよくわからなかったのですが、1点差の中、打たれれば負け、抑えれば勝つという、これ以上ないほどの緊張感から解き放たれた安堵感からの涙だったのかなと」

そして、その緊張感が高井にはたまらなく楽しいと思えた。

恩師から初めて言われた「ありがとう」

高井の野球人生にとって、最も大きな存在といえるのが、高校時代の恩師である武内総監督だ。

「僕は授業態度も悪かったですし、練習を抜けたりしたこともあったんです。そんな僕のことを、いつもどこかで気にかけてくれていたのが総監督でした。当時は、いろいろ言われて『うるさいな』と思ったこともありましたが、負けず嫌いの僕の性格をよく知っていたんだと思います。あの時、総監督がうるさく言ってくれたからこそ、高校3年間続けられたし、今の自分があるんだというふうに思っています」

ドラフト指名後、高井は武内総監督に電話をした。

「お久しぶりです。高井です」

そう言い終わらないうちに、携帯の向こうから聞こえてきたのは「あぁ、なんだ、オマエか」という、いつもと変わらない総監督の声だった。

「『巨人に育成で指名されまして……』と言ったら、『そんなことわかってるよ』と。総監督らしいなと思いました(笑)。でも、最後には『オレのこと、忘れずに電話してきてくれて、ありがとう。これからも伸び伸びとやれよ』と言ってくれたんです。そんなふうに優しい言葉をかけてもらったのは初めてだったので、ちょっと照れくさかったですね」

2016年10月21日のドラフト会議で、巨人に育成1位で指名された高井俊選手

恩師からの「ありがとう」には、エールと喜びが詰まっていた。高井にはそう思えてならない。

高校3年の時、武内総監督は高井に大学で野球を続けるようにと勧めていた。しかし、目標を失っていた当時の高井は、「野球をやめます」と言って、調理師の専門学校へと進学した。

「その時の総監督にしてみたら、ここまで目をかけて育ててきた自分に裏切られた気持ちだったかもしれません。卒業式の日には、『頑張れよ』というふうには声をかけてもらいましたが、今思うと残念に思ってくれていたのかなと。だから、巨人に指名されたことを喜んでくれているんじゃないかなと思います」

いよいよ来年、高井はNPB選手としての第一歩を踏み出す。彼の代名詞であり、高校時代から使い続けているグラブに刺繍されている「荒ぶる魂」で、まずは支配下登録の背番号2ケタを目指す。

2016年10月21日のドラフト会議で、巨人に育成1位で指名された高井俊選手

高井の「荒ぶる魂」は、ここからが真の見せ場を迎える。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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