TOPへ
January 05 2017 By 小林 香織

スポーツの可能性は無限大!自分を信じて金メダルを目指したいー視覚障害者柔道 半谷静香

スポーツの可能性は無限大!自分を信じて金メダルを目指したいー視覚障害者柔道 半谷静香

ハッピーオーラ満開の明るい笑顔がトレードマークの半谷静香(はんがい しずか)。彼女には生まれつき弱視の障がいがある。2016年秋に開催されたリオパラリンピックの柔道48キロ級に出場した半谷は、3位決定戦で敗れ5位をマーク、あと一歩というところで悔し涙をのんだ。

中学生から柔道を始め、競技歴は15年にも及ぶ。不幸なアクシデントに見舞われ、柔道から離れてしまった時期もあったが、今、半谷は周囲の期待を背負い、世界の頂を目指す。

笑顔の裏に隠された半谷静香の紆余曲折のエピソード、視覚障害者柔道の魅力、そしてスポーツの大いなる可能性を綴りたい。

北京五輪で内定取り消し……泣くほどつらかった練習が報われず、柔道から離れてしまった1年半

 半谷静香

中学校・高校と普通学校に通っていた半谷。中学校入学と同時に、兄が所属していた柔道部に身を置くことを決めた。「お兄ちゃんにできるなら私にもできるかな」、そんな安易な気持ちで始めたものの、相手は目が見える健常者。現実は甘くなかった。

「練習中にすぐ突き指をするし、見えないから年下の後輩にも負けるし、散々でした。弱い者いじめの格好の標的になることもあって、正直『何のために柔道をやっているんだろう』と思ったことは数知れず。でも、ほんの少しでも上達した実感があると、コンプレックスが薄れていく気がしたんです」

元々、運動も勉強もそれほど得意ではない。柔道の上達も決して早くはなかった。しかし「周りより評価は低くても、私は誰よりもガマンをしている。みんなより苦労している分、それが考え方に生きるはず」、当時の彼女はそれだけを励みにしていたという。

当初は高校卒業と同時に柔道をやめるつもりだった。だが、大学生になって初めて「視覚障害者柔道」という競技を知った半谷は、先輩の強い誘いを断れず競技生活を開始。大学時代は視覚障害者柔道の日本選手権で優勝を重ね、国際大会にも出場するなど、着実にステップアップしていった。

そして、いよいよ2008年、半谷に北京パラリンピック出場のチャンスが舞い降りる。世界の頂点を目指し、心身を痛めつけるような過酷な練習に取り組んでいた彼女に、あまりに残酷な通知が……。IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)の障がい認定検査を受けていないという理由で内定が取り消されたのだ。

「出場資格がないのがわかったのが4月だったんですが、春休みの間、本当につらい練習に必死に耐えていたんです。帰り道に独り言を言いながら、毎日泣いていたぐらい。この先も同じようなアクシデントがあるかもしれないし、努力が報われないならもう続ける意味がないと思ってしまいました」

この出来事により心が折れてしまった半谷は、1年半もの間、柔道の練習から離れてしまう。

苦しくて当たり前、プレッシャーがあって当たり前、「できない」は許されないのが世界レベル

半谷静香

しばらく柔道から遠ざかっていた彼女に、2010年、世界選手権出場の誘いが。自分が世界のてっぺんを目指すことができるのは視覚障がいがあったから、そして視覚障害者柔道に出会えたから。改めてそんな気持ちが湧いた半谷は、出場を決意。1年半のブランクを経て、柔道の世界に戻ってきたのだ。

「全日本の大会ではあっという間に優勝できたので、いいところまではいけると思っていたんです。それが、開始5秒で惨敗。そのとき『上には上がいるんだ』と思い知った。やっぱりショックは隠し切れませんでした」

その後、2011年の東日本大震災で福島の実家が被災したこと、地元での就職話が白紙になったことが重なり、小川直也氏が道場長を務める小川道場で指導を受けることに。これまでで一番厳しく、一番成長できた機会だったと半谷は当時を振り返る。

「小川先生自身が世界一を目指されていた方で、血のにじむような努力をしてきたけど、それでも2位だったと。世界一になるにはつらくて当たり前だし、プレッシャーがあって当たり前だし、できないなんて許されない。とにかく、できるまでひたすら練習するのみ。今までの私は甘かった、これが世界を目指す厳しさなんだと身にしみました」

半谷にとって初めてのパラリンピックの舞台は、2012年のロンドン。7位入賞と健闘する。そして、2016年のリオパラリンピックは、ロシアのドーピング問題で2週間前に繰り上げ出場が決まるという、ハプニングから始まった戦いだった。

「出発の前日までガツガツ練習して、あとは勢いでやるしかないと思ってリオへ旅立ちました。でも結果的に、実力以前に気持ちで負けた気がします。3位決定戦で敗れ5位に終わりましたが、相手にビビっていなければいけたんじゃないかなって。だから、すごく悔しい」

柔道を始めて「ダメな私」から脱却できた。自分の可能性を最後まで信じて戦う姿勢を見てほしい

A11X4802

3年後の東京パラリンピックで金メダルを狙う半谷の課題は、「攻めの柔道への転換」と「相手の動きを感じる」こと。パラリンピックの柔道では、視覚障がいの程度別ではなく、オリンピックと同じように体重別に試合を行うのがルールだ。見えない半谷は当然不利になる。それでも勝つためには、課題の克服がマストなのだ。

「見えなければ見えないほど、どうしても肩に力が入ってしまい、相手の動きが感じ取れなくなるんです。そんな不利な条件でもどれだけ力を抜いて、相手の重心がどこにあるか、次にどんな動きをするかを予測する練習に注力しています。あとは、攻めの柔道への転換。自分から動きを作って攻め込むことができれば、世界と互角に戦えると思います」

15年もの長い間、柔道を通して自分自身と戦ってきた半谷が競技人生から得たのは、「感謝の心」と「自信」。それは生きるうえで、何物にも替えがたい財産になっている。

「私に期待して応援してくださっている方々への感謝は尽きません。言葉じゃなくて金メダルという結果でお返ししたいと、強く決意しています。学生時代から何をやってもダメだった私が、柔道を続けるうちに『すごいね』と褒めてもらえる機会が増えて、それが自信になっているとも感じます。スポーツによって自分自身の可能性が無限大だってことにも気づかせてもらいました」

半谷が試合を通して観衆に伝えたいのは、まさにこの事実なのだ。見えない相手に真正面からぶつかる自分の姿を見て、「自分の可能性を信じる大切さ」を感じてほしいと話す。

「どんな状況でも、自分の可能性を最後まで信じて戦う姿をお見せしたいと思っています。そして目が悪いというだけで、他は普通なんだってことを競技を通して知っていただけたらなと。視覚障害者柔道って健常者と一緒に練習をする機会が多くて、視覚障がいを理解してもらうのにうってつけのスポーツなんです。その点もアピールしたいですね」

数々のアクシデントに見舞われながら、一つひとつ乗り越えて自信につなげてきた半谷。普段の彼女は笑顔がチャーミングで癒やし系の雰囲気だが、ひとたび試合が始まれば瞬時にアスリートの目つきに変わる。最後まで展開が読めないハラハラ感が魅力の視覚障害者柔道。3年後の半谷静香は、東京の舞台で、きっと世界一ハラハラする試合を見せてくれるに違いない。

 

半谷 静香(はんがい しずか)
BLOG:半谷静香公式ブログ
エイベックス・チャレンジド・アスリート:>CHALLEATH チャレアス – 障がい者スポーツの情報メディア –
エイベックス・チャレンジド・アスリートTwitter:@avex_athletes
エイベックス・チャレンジド・アスリートFacebook: avexchallengedathletes

 

(取材・文:小林 香織)

小林 香織

小林 香織 Facebook

2014年デビューのフリーライター。現在、「恋する旅ライターかおり」名義で、恋愛・旅・ライフスタイルジャンルの執筆にも挑戦中。人生の豊かさ、可能性を広げるためのメッセージを発信したいと願っている。自由な人生バンザイ

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Twitterをフォローしよう!

前の記事へ
一覧に戻る
次の記事へ
前の記事へ
一覧に戻る
次の記事へ