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January 20 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

2017年、新たな挑戦の幕開け ~車いすテニス日本ジュニア王者・坂口竜太郎~

坂口竜太郎(さかぐち・りょうたろう)、13歳。彼は今、「分岐点」に立っている――。

小学3年生から本格的に始めた車いすテニスで、坂口は昨年、ついに「日本ジュニアランキング1位」を獲得した。小さい頃から「パラリンピックで金メダル」を口にしてきた彼のことだ。さぞかし、自らの成長を喜んでいるに違いない、と思っていた。しかし、彼の口から出た言葉は意外なものだった。

「自分よりも強い選手はいるし、まだ強みもない。これから頑張って練習したい」

そこには、無邪気に「夢」を語っていた「少年」から、地に足をつけて着実に高みを目指そうとする「アスリート」へと変わりつつある坂口の姿があった。

簡単には言えなくなった「金メダル」

坂口が車いすテニスを始めたきっかけは、ある人物への憧れの気持ちからだった。北京、ロンドンと2大会連続でパラリンピック金メダリストとなった国枝慎吾(くにえだ・しんご)である。坂口の両親は、偶然テレビで国枝を見たのが最初だと記憶しているが、坂口はそれを覚えていない。彼自身は初めて観戦に行った「全日本選抜車いすテニスマスターズ」の決勝で優勝に輝いた国枝の姿が最初の記憶として残っているという。それほど、国枝の華麗なプレーは、当時5歳だった坂口には衝撃的だった。

「車いすですごく速く動いていて、ビックリした。その時は国枝選手が誰かもわからなかったけど、その試合にたくさんの人たちが集まって見ていたから、『すごい人なのかなぁ』って」

試合後、坂口は国枝と話をすることができた。どんなことを話したのかは覚えていないが、その時「僕もやってみたいな」と思ったことだけははっきりと覚えている。

あの時から、8年――。昨年、坂口は国内大会(ジュニアの部)5試合に出場し、248ポイントを獲得。2位の選手とはわずか10ポイント差で、初めて日本ジュニアランキングのトップに立った。しかし、坂口には実感がない。

「まだ、自分が何で勝てているのかとか、何が強みなのかとか、よくわかっていない。だから、ランキング1位っていっても、自分ではよくわからない」

そんな坂口に、目標を聞いてみると、彼は「できればパラリンピックで金メダルを取りたいけど……」と遠慮がちに答えた。これまでとは違う歯切れの悪さに、少し驚いていると、父親である剛(つよし)さんが、こう説明してくれた。

「小学生の時は、怖いもの知らずで『パラリンピックで金メダル』と簡単に夢を語ることができたのが、だんだんとそれがどんなに大変なことかということがわかってきたんでしょうね。だから簡単に口に出して言うことができなくなったんだと思います」

そんな坂口の変化について、彼を指導する山口憲一郎(やまぐち・けんいちろう)コーチは「とてもいいこと」と語る。

「中学生になって、体も心も頭も成長してきた中で、理想と現実とのギャップを感じ始めたのだと思います。でも、それで諦めるのではなく、挑戦していこうとしているんですから、すごいことですよ。今は遠いパラリンピックを追うのではなく、まずは目の前の課題をコツコツとやろうとしている。アスリート思考になってきた証拠だと思います」

優れた感覚に伴い始めた技術力

昨年9月に行われたリオデジャネイロパラリンピック。4月に右肘の手術をしたばかりだった国枝は、準々決勝で敗れ、3連覇達成とはならなかった。坂口は、国枝が敗れたことをテレビのニュースで知り、驚いた。

「(何色かの)メダルは取れると思っていたんだけど……。国枝選手よりも年下の人とか、いっぱいすごい選手がいてビックリした」

スーパースターである国枝がメダルさえも取ることができないほど、厳しい世界。坂口にとって、その「世界」は、まだ見えてはいない。だが、着実にステップアップしていることは確かだ。

山口コーチが初めて坂口を見たのは、彼が本格的に車いすテニスの練習を始めて1年後の小学4年生の時だった。「明るくて人懐っこい男の子」という印象の坂口に対して、山口コーチは「ラケットや車いすの扱いがうまいな」と感じていた。

さらに、昨年から指導を始めて見えてきたのは「感覚の良さ」だった。

「竜太郎は、感覚的にゲームを楽しめる才能があるんです。例えば、ラリーの中で『ここに打ったら自分が有利になれる』というポイントに打つイメージを、頭で考えるのではなく、感覚的に持つことができるんですよ」

ただ、これまでは感覚的につかんだポイントに打つ技術が伴っておらず、実際のプレーの中では生かすことができずにいた。しかし、最近では技術が向上し、「どのタイミングで、どんなボールを、どこに打つか」、その引き出しが増えてきている。また、体が出来上がっておらず、スタミナに不安を持つ坂口にとって、ラリーを長引かせないことも大事なポイントとなる。技術力がアップしたことで、タイミングよく前に出て、ネットプレーで早めに決めてしまう戦術が可能となったことも、勝因のひとつとなっている。

一方、坂口本人は「なぜ勝てているのか、自分ではまだよくわかっていない」としながらも、「勝った試合」と「負けた試合」との違いについて、自分なりに考えていることがある。

「勝った試合は、ちゃんと自分が一番打ちやすい打点でボールを打っている。そうすると、一番力が入るし、狙ったところに打てる。でも、ダメな時は打点が上だったり、下だったり、ボールとの距離が近すぎたりしている」

だからこそ、自分に今最も必要なことのひとつが「チェアワーク」(車いす操作)だと考えている。ボールに早く追いつくことができれば、余裕を持って、一番いい打点で打つことができるからだ。

車いすテニス

「チェアワーク」が、ステップアップのカギを握る。

厳しさ覚悟のシニアへの挑戦

2017年、坂口は新たな挑戦をする。ジュニアを卒業し、国際テニス連盟(ITF)公認の大会や、アジアパラリンピック委員会(APC)が主催するアジアユースパラゲームズなどの出場につながるポイントを得ることができるシニアの大会に出場するのだ。

まずは、国枝たちトッププレーヤーと同じメインクラスの試合ではなく、その下のセカンドクラスに出場することになる。とはいえ、坂口よりも体格も経験もある選手たちばかりが集うことに変わりはなく、ジュニアよりもレベルは格段に上がることは間違いない。

鈴木大地スポーツ庁長官と、車いすテニス日本ジュニア王者・坂口竜太郎

2017年1月11日、スポーツ庁 鈴木大地長官を表敬訪問した坂口。鈴木長官から「第2の国枝慎吾選手を目指してください」とエールを送られた。

山口コーチは言う。

「車いすテニスでは、特に男子はシニアとジュニアとでは、大きな差があるんです。まだ体が細くて出来上がっていない竜太郎は、おそらくこてんぱんにやられると思います。そうなれば、競技へのモチベーションを下げてしまう可能性もある。それでも、本人が今の力でできることを探し、どれだけベストを尽くすことができるかが大事。私たちコーチも、上を目指そうとする気持ちを維持させていくためのサポートをしていきたいと思っています」

「楽しみよりも不安」と語る坂口だが、父親のこんな話を聞くと、「彼ならきっと乗り越えていけるのではないか」という気がしてくる。

「竜太郎は良くも悪くも、負けてもすぐに忘れてしまうタイプなんです。試合直後は悔しくて泣いたりしますが、1時間もすれば、すっかり元気になって、楽しく遊んでいたりする。でも、いいことだけは覚えているんですよね。記憶力が良くて、負けた試合でも、自分が良かったプレーだけは細かく覚えていたりするんです」

今はまだ自分の強みが何なのか、なぜ自分が勝てるのか、坂口にはわからないことだらけだ。だからこそ、口ではなかなか強気の言葉が出てこない。しかし、彼の心の奥底にはきっと、強い思いが宿っているはずだ。

これから坂口が車いすテニスプレーヤーとしてどんな道を歩むのか。彼は今、その「分岐点」に立っている。

車いすテニス日本ジュニア王者・坂口竜太郎

第2回ドリームカップ 車いすテニス選抜ジュニアチーム戦(2016年12月)でプレーする坂口。2017年、シニアの世界に挑戦する。

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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