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January 30 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

肌で感じた「4年に一度の世界最高峰の舞台」 ~パラ卓球リオ日本代表・岩渕幸洋×パラカヌーリオ日本代表・瀬立モニカ(前編)

肌で感じた「4年に一度の世界最高峰の舞台」 ~パラ卓球リオ日本代表・岩渕幸洋×パラカヌーリオ日本代表・瀬立モニカ(前編)

今回は特別企画として、昨年のリオデジャネイロパラリンピックで、初めて世界最高峰の舞台を経験したパラ卓球・岩渕幸洋(いわぶち・こうよう)選手と、パラカヌー・瀬立モニカ(せりゅう・もにか)選手の対談を2回にわたってお届けする。いずれも現役大学生で、2020年東京パラリンピックにおける注目の若手アスリートだ。リオでは「自分が驚くほど緊張した」という岩渕に対し、「まったく緊張せず、楽しんでしまった」と反省しきりの瀬立。果たして、2人にとって初めてのパラリンピックとはどんなものだったのか。そして、東京に向けてつかんだものとは何だったのか。

合宿のような二部練でスタートを切った瀬立

―― いよいよ東京パラリンピックまで3年と迫った2017年がスタートしました。年末年始は、どう過ごされていましたか?

岩渕: 僕は大学卒業を控えていて、年末年始は卒業論文に追われていました。でも、山本篤(やまもと・あつし/リオデジャネイロパラリンピック走り幅跳び銀メダリスト)さんと、辻沙絵(つじ・さえ/同400m銅メダリスト)さんが出演されていた紅白歌合戦はしっかりと見ました(笑)。

―― 「いつか、自分もあそこに」という思いもあったのでは?

岩渕: そうですね。2020年の紅白出場を目指しています(笑)。

―― 例年ですと、年末年始はどう過ごされているんですか?

岩渕: ほとんど試合がないので、どちらかというとオフシーズンという感じで、年末年始は比較的ゆっくりと過ごすことが多いですね。僕は、いつもは1月3日から練習を開始して、シーズンのスタートを切っています。

―― 瀬立選手は、大学1年目ということですが、年末年始はどのように過ごされましたか?

瀬立: 筑波大学では12月28日まで試験があったので、年末は勉強に追われていました。ようやく試験の全日程を終えて「よし、これで明日は実家に帰れるぞ!」と思っていたら、その日急に39度以上の熱が出てしまったんです。大みそかにはカウントダウンライブに行くつもりだったのに、それも行くことができなくなってしまいました。もう、踏んだり蹴ったりの年末でしたね(笑)。でも、年明けには体調を戻して、5日から練習を再開しました。まずは、新年のトレーニングということで、9日までの5日間、まるで合宿のように毎日二部(1日二回)練習をこなしました。

―― パラ卓球では、まとまったオフシーズンの年末年始に、基礎トレーニングを積むのでしょうか?

岩渕: エントリーしようと思えば、12月末まで試合はありますし、実際は特にまとまったオフシーズンというのはないんです。なので、トレーニングも集中して基礎をやるというようなことはなくて、シーズンを通して、試合に向けた技術練習の中に基礎トレーニングも入れて行うという感じです。

―― パラカヌーの方は、いかがですか?

瀬立: 年末年始の間は、ちょうどオフシーズンにあたるので、中距離系、長距離系のトレーニングで体を追い込みます。毎年3月に世界選手権の派遣選考会が行われるので、今くらいの1月後半あたりから、徐々にスプリント系の練習に転換していくという感じですね。

―― 岩渕さんは今年4月に社会人としてスタートを切るわけですが、競技自体は2017年のスタートとなると、いつ頃になるのでしょうか?

岩渕: 4月から環境が変わるのですが、試合経験を踏むことも練習の一環だと思っているので、早めのスタートを切ろうということで、3月の大会にエントリーをしています。それが本格的なシーズンインということになると思います。ですので、1月26日が提出日の卒業論文が終わり次第、本格的にトレーニングをしていこうと思っています。

「緊張し過ぎた」岩渕、「楽しんでしまった」瀬立。それぞれのリオ

―― 初めて出場したリオパラリンピックから4カ月が経った今、改めて振り返ってみて、いかがでしょうか?

岩渕: 僕は、リオではこれでもかというくらい緊張してしまって、自分でもビックリしたんです(笑)。もちろん、あらかじめ緊張することは想定していたのですが、それ以上で、自分自身の甘さに気付かされました。リオは、出られるかどうかわからない状況の中、ランキングが11位に浮上した昨年1月にようやく見えた大会で、準備期間は1年もありませんでした。4年間をかけて準備をしてきた海外の選手たちとは、既にそういう部分で大きな差があったと思います。ですので、東京に向けては今からしっかりと準備をして本番に臨みたいと思っています。

パラ卓球・岩渕幸洋選手

パラ卓球・岩渕幸洋。リオでは驚くほど緊張し、自分らしいプレーもままならなかったという。

―― ふだんの試合では、緊張はしないタイプですか?

岩渕: そうですね。リオ前に多くの国際大会に出場したことによって、だいぶ慣れてきて、緊張感を抑えることもできるようになっていました。リオでもいつもよりは緊張はするだろうけれど、それでもコントロールできるだろうと思っていたんです。でも、考えてみれば、「4年に一度」しかないわけですから、パラリンピックに慣れることなんてできないんですよね。だったら、緊張することを想定して、その緊張を力に変えられるようにしないといけないなということに気付きました。

―― 想像以上に緊張した理由はどこにあったと思われますか?

岩渕: まずは、あれだけ多くの観客の中でプレーするのが初めてだったということもあったと思います。加えて、ブラジルでは卓球という競技がメジャーではないということもあったのか、ふつうはラリー中は観客は声を出したり動かないというのが暗黙のルールとしてあるのですが、リオではラリー中にも盛大に応援したりしていて賑やかだったんです。そういういつもとは違う雰囲気に対応できていなかった自分がいたのかなと。

―― 瀬立選手は、ずっと「緊張しないようにすること」を課題としてきていましたが、リオの本番ではいかがでしたか?

瀬立: 私は、岩渕さんとは真逆でした(笑)。今振り返ってみると、緊張感というのは全然なくて、最高にパラリンピックを楽しんでいました。はじめは、それで良かったと思っていたのですが、でもだんだんと4年に一度しかない舞台への切符を必死になって取ったというのに、楽しんで終わるというのは違うなと。今では、楽しんでしまったことに、反省の気持ちしかありません。

岩渕: でも、緊張して予選リーグ敗退した僕にしてみたら、パラリンピックの舞台で楽しむことができて、なおかつ予選を勝ち抜いて決勝まで進んだというのは、すごいなと思います。

瀬立: ありがとうございます。でも、実はあの決勝進出というのも理由があったんです。本来私は、出場者10人中10番目の実力で、決勝トーナメント進出は厳しい状況にありました。でも、開幕前のドーピング問題でロシア選手団が出場できなくなって、私と同じクラスに出場するはずだったロシア人選手が欠場することになり、さらにウクライナ人の選手も開幕直前になってケガで出場できなくなったんです。それで、実力的には私は8番目ということになって、実際、追加招集された2人とは実力差が結構あったので、8枠ある決勝に行くことは確定していたようなものだったんです。それで、自分の中で「決勝に行ける」という安心感みたいなものが出てきて、緊張感でどうしようもなくなるふだんとは考えられないくらい、どっしりと構えてしまっている自分がいました。

パラカヌー・瀬立モニカ選手

パラカヌー・瀬立モニカ。リオでは、勝負するよりも楽しんでしまった自分がいた、と反省の言葉を口にした。

岩渕: でも、いくら安心感があったとはいっても、あの舞台で最初のレースから楽しむことができたなんて、すごいなと思います。僕も楽しみたいなとは思っていましたが、まったくできずに、あっという間に終わってしまいました。

瀬立: いえいえ(笑)。私の場合、緊張感を楽しむとかではなくて、本気で楽しんでしまって、勝負しに行っていなかったんだと思います。

肌で感じたパラリンピックの偉大さ

―― 初めてのパラリンピックで得られたものとは何だったでしょうか?

岩渕: 僕は「パラリンピックとはどういうものなのか」ということですね。オリンピックですと、小さい頃からテレビや雑誌で見たりして憧れるということがほとんどだと思いますが、パラリンピックの場合は、これまではテレビで中継されることもなかったですし、目で触れたり、人に聞いたりということがなかったので、自分が目指しているものが、実際はどういうものなのかということがイメージできなかったんです。でも、今回自分で実際に行ってみて、どういうものなのかということを肌で感じて知ることができたのは大きいなと。また、一人の観客として他競技を見て、パラリンピック競技がどれだけすごいものかということも感じることができました。パラリンピックは本当にスポーツとして楽しめるイベントですし、たくさんの人を動かす力がある。そういう中で自分も競技をやっていることにとても誇りを持てましたし、これからは選手として、また引退後も、もっとパラ競技を世の中に広めていくお手伝いをしていきたいなと思いました。

瀬立: カヌーは毎年世界選手権が行われているのですが、競技人口が少ないので、限られた国の限られた選手としか顔を合わせることがありませんでした。でも、パラリンピックでは選手村で生活する中で、自分とは異なる障がいのある選手と一緒に過ごすことが当たり前のようになっていました。その中で、例えば手足を切断した選手に対して、自分自身が車椅子生活になる前に感じていた「かわいそうだな」とか「大変だな」とかっていうのはやっぱり違うんだなということが改めてわかったんです。みんな、自分に自信を持っているし、人生を思い切り楽しんでいる人たちばかりで、それが私にとってはすごくインパクトのあることでした。

―― リオでの戦いを終えて、いつ2020年東京パラリンピックに向けてのスタートを切りましたか?

岩渕: 僕、予選敗退が決まった時に、テレビのインタビューで「これが東京でのスタートです」と言ったんです。だから、あの時がスタートだったのかなと思います。でも、逆に言えば、試合直後にそういう言葉が自然と出たということは、僕自身、最初からリオで勝てるとは思っていなかったんだなとも思いました。正直、あまりにもあっという間に終わってしまって、試合直後は頭が真っ白な状態だったんです。それなのに、「東京へのスタート」という言葉が口に出たというのは、自分の中ではなから「東京のためのリオ」という位置づけがあって、あらかじめ自分の中に用意されていたんじゃないかなと。

瀬立: 私も決勝レースが終わった直後ですね。最下位でゴールをして、メディアからのインタビューに入る前に、「2020年はこういう思いをしたくない」と思ったのが、気持ちの部分においてはスタートだったと思います。

後編につづく)

岩渕幸洋(いわぶち・こうよう) プロフィール

パラ卓球・岩渕幸洋選手

1994年12月14日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部4年。先天性内反足。中学1年から始めた卓球では健常者の中でプレーしていたが、3年の時にパラリンピックに出場する資格があることを知り、障がい者の大会にも出場するようになった。2010年、高校1年で初めて出場したパラ世界選手権ではシングルスでベスト16。早稲田大学進学後も卓球部に所属し、週6日練習に励む。2014年、大学2年時のパラ世界選手権ではシングルスベスト16。同年のアジアパラ競技大会ではシングルスで銅メダルを獲得した。2015年には出場した7つの国際大会のうち、3大会でシングルス優勝。世界ランキングは21位から11位に浮上し、リオデジャネイロパラリンピックの切符を獲得した。リオでは予選敗退。今年4月からは実業団に入り、さらなる高みを目指す。

瀬立モニカ(せりゅう・もにか)プロフィール

パラカヌー・瀬立モニカ選手

1997年11月17日、東京都生まれ。筑波大学体育専門学群1年。中学2年から地元である江東区のカヌー部に所属。国体出場を目指していた高校1年の時、体育の授業で転倒し、体幹機能障害を負う。2014年、高校2年の夏からパラカヌーを始め、すぐに頭角を現す。日本選手権では2014年から3連覇中。世界選手権には2014年に初出場し、2015年には決勝進出を果たした。昨年のリオデジャネイロパラリンピックでは決勝に進出するも、悔し涙を流し、2020年東京パラリンピックでの雪辱を誓った。

(構成・斎藤寿子、写真・越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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