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February 28 2017 By ゆるすぽ編集部

40歳を過ぎてから始めたランニングと大切なものを見つける物語/歯科医ランナー石川恵さん

40歳を過ぎてから始めたランニングと大切なものを見つける物語/歯科医ランナー石川恵さん

「こんにちは。わざわざありがとうございます」

ニコニコしながら、そう出迎えてくれたのは、歯科医を本業としている石川恵さん。朗らかで明るい笑顔が印象的な女性だ。

「本当に、私なんかでいいんですか…?」

石川さんは現在50代、いわゆるアラフィフ世代だ。ちまたでは“美魔女”と呼ばれる年齢を感じさせない美貌を持つ女性たちが活躍しているが、彼女はまたそれとは少し違った、とてもナチュラルで柔らかい雰囲気を持っているように感じる。

歯科医をするかたわら、積極的にレースに出場するなど、趣味の一環として楽しんでいるマラソン。もともと体を動かすことは好きではあったものの、何か一つの競技を継続的に一生懸命にやるということがなかったという石川さんがマラソンを始めたのは、なんと40歳を過ぎてから。いったいどんなきっかけがあったのだろうか?

今回は、そんな一人の女性がマラソンと出会い、新たな人生を歩む物語をお届けする。

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きっかけはファッション雑誌の企画だった

「昔から、特別に何かやりたいことはなかった方ですね」

中学の時に始めた卓球は、なんとなく続かなかった。高校では当時人気のあった『おれは鉄平』という漫画に触発されて剣道を始めたものの、冬の体育館の冷たい床の上で、はだしで練習することに耐えられず。大学では漫画『エースをねらえ!』が好きだったこともあり硬式テニスを始めたが、これも一生懸命にはなりきれなかった。

大学を卒業してからしばらく勤務医として働いた後、アメリカに渡った。同じ大学を卒業した夫の裕之さんが専門分野の矯正について勉強しに行きたいということで、一緒についていったのだ。数年間、ロサンゼルスとボストンで過ごし、帰国後、お金をためてクリニックを開業した。

開業してからは特に忙しい日々を過ごした。数年がたち、ようやくひと段落したころには、40歳を過ぎていた。それまであまり年齢のことを気にするようなことはなかったが、「あれ、私、このまま自分が夢中になれるものがないまま、人生が終わっちゃうのかな…」と漠然と思うようになった。

ある日、クリニックの待合室に置いてある女性ファッション雑誌「STORY(ストーリィ)」を何の気なしにパラパラとめくっていると、ある記事に目がとまった。

STORYホノルルマラソン完走プロジェクト 『ROAD to HONOLULU~ホノルルへの道~』始動!

「走ればキレイになる」をテーマに、雑誌でマラソンメンバーを募集するというものだった。今でこそランニングはブームを超え、ライフスタイルの一部として定着するようになったが、当時ファッション誌でこうした企画が行われることは珍しかった。

「皇居で走っている人たちをよく見掛けるようになっていたこともあって、走ることに少し興味を持ち始めていたころでした。ただ、一人で始めようとしても、何をどうしたらいいのか分からず…。そんな時にこの企画を見つけたんです。これだったら、きっといろいろと教えてもらえるんじゃないかなと思って」

夢中になれるものがこれまで何も無かった彼女は、素直な気持ちでこの企画にチャレンジしてみたいと考え、早速、履歴書と課題作文を編集部に送ったのだった。

総数百数十人の応募者の中から、わずか11人に絞られた書類審査を通過。春のうららかな陽気に恵まれたある日、帝国ホテルでオーディション最終選考が行われた。

「すごく緊張しましたね。頭真っ白でした。覚えているのは、声が震えていたことくらい(笑)。あんなに緊張したのは人生で初めてでした」

最終メンバー5人の発表。所在なげに部屋の片隅でその結果を聞いていた石川さん。残念ながら、そこに彼女の名前はなかった。

この後、合格者5人は近くの皇居で撮影を兼ねて少し走ることに。石川さんを含め、落選メンバーにも「せっかくなので」と声を掛けられた。

「この日は受かっても落ちても走る気でいたので、何も考えずについていったんですが…、私以外の落選メンバーは誰もいませんでしたね(笑)」

いざ走ってみると、落選という事実にますます落胆してしまった彼女。ところがそれから2日後、編集部から「1枠増やせた」という連絡があった。

「すごくうれしかったですね。(落選メンバーの)他の皆さんが帰る中、一人だけ残っていたことで“やる気”があると思われたのかもしれませんね。『もしまだ一緒に走りたいという気持ちがあれば…』ということでしたので、『ぜひお願いします!』と」

捨てる神あれば拾う神あり。こうして最終メンバー“6”人、「TEAM STORY」の中に、石川さんは名を連ねることになった。

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写真提供:石川恵

あんなに感動したことは人生で一度もなかった

ホノルルマラソンまで約9カ月。雑誌の撮影のために数回集まり、トレーニングのアドバイスをもらったりはするものの、基本はあくまでも各自の自主トレーニングだ。オーディションから3カ月後にデビューを果たした千歳JAL国際マラソン10キロコースでは、チームで1番のタイムを出すなど一生懸命に自主トレーニングに励んだ成果が表れていた。

ただ、それまで真剣にスポーツをしてきた経験の不足と、アドバイスを何でも聞き過ぎてしまう素直さが、だんだんと裏目に出てしまう。本番ホノルルの前哨戦としてチャレンジする予定だったハーフマラソン大会、諏訪湖マラソンを体調不良で欠席してしまった。

「自己流で頑張り過ぎて、体調を悪くしてしまいましたね。まだ大して何ができるわけでもないのに、今思えば必要のなかった練習もやったり…。1回落選したのに拾ってもらったという恩義もあって、全部を一生懸命に頑張ろうとし過ぎていたんだと思います。空回りしちゃっていましたね」

結局、ハーフマラソンを経験できないまま、ぶっつけ本番で臨むことに。異国の地、時差、早朝のスタート、そして未知の世界であるフルマラソン。果たして自分に完走できるのか、不安に感じる気持ちは大きくなっていた。「前日までしっかりと食事を取って、エネルギーをつけておいた方がいい」というアドバイスを受けた石川さんは、素直にそのアドバイスを聞き過ぎてしまい、必要以上にたくさん食べてしまった。

いざレースが始まると、すぐに異変が起きる。だんだんと気分が悪くなり、レースの途中で吐いてしまったのだ。一度は持ち直したものの、立ち上がって吐くという繰り返しに。もうダメだと何度も思ったが、他のメンバーや編集部の人たちとはぐれてしまっていたため、どうやって棄権するのか、棄権したとしてそれをどうやって伝えればいいのか分からない。結局自分でどうにかするしかないと思い、レースを続行することにした。

いつ終わるんだろう。本当にゴールできるのかな。他のみんなはどうしているんだろう。こんなに時間が掛かっちゃって、心配かけちゃっているよね――。

そんなことを延々と考え、この時間が永遠に続くのではないかと思い、もう限界ギリギリまできた最後の最後で…、

石川さ~ん――

確かに聞こえた、自分の名前を呼ぶ声。編集部の人が見つけてくれたのだった。ほっとした彼女は、最後の力を振り絞った。ようやくゴールできたのは、スタートから5時間55分もの時間が過ぎた時のことだった。

「あぁ、これで終わっていいんだって思ったら、涙がすーっと出てきました。頑張ったなあ、ゴールできてよかったなあって。こんなに感動したことは、それまでの人生で一度もなかった。生きていてよかったなあと思いましたね」

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TEAM STORYの皆さんとホノルルにて/写真提供:石川恵

自分が夢中になれるものを見つけた石川さんは、充実した毎日を過ごす。トレーニングでは日々、成長を実感し、その成果は出場したレースでも着実に表れ、タイムは順調に伸び、そうなるとますます夢中になっていく。

「私は昔から、何かに一生懸命になったことがありませんでした。ちょっとイヤなことがあると、すぐにやめちゃったり。それで誰かに迷惑を掛けているわけでもなかったので、まあいいかなと思いながらも、自分にいつも自信がなかったんです。

だけど、走り始めてからは、自分は意外と粘り強くて、最後まで諦めないで頑張れるんだなということが分かった。自信を持てるようになって、自分のことが好きになれましたね」

たがその後、歯車が少しずつ狂い始める。さらに上を目指そうとしたが、タイムは伸び悩み、前にできていたことができなくなっていった。石川さんの表情から、だんだんと笑顔が減っていった。何をやってもうまくいっていた上り調子の時期から、何をやってもうまくいかない悪循環の時期へ。走ることが、初めて苦痛に感じるようになっていた。

もがき続けたある日、かつて在住していた街、ボストンで毎年4月に開催されているボストンマラソンに参加することを決めた。

ボストンで思い出した、あのころの思い

「あのころは、先が見えなくても夢があって、楽しかった…。そういったポジティブなころの思いがよみがえったのかもしれないですね」

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ボストンマラソンにて夫の裕之さんと記念撮影/写真提供:石川恵

石川さん夫妻が20代のころの話。夫の裕之さんは大学病院で、専門である矯正の勉強をしていた。「いつかアメリカで勉強したい」。それが目標だった。

「先のことが決まっていたわけではありませんでしたし、アメリカに行けば収入も無くなるので、主人は特に大変だったと思います。でも、私は楽観的でしたね(笑)。仮にダメだったとしても日本に戻ってきて2人で働けばいいだけのこと。新しい場所で新しいことをする方が楽しみでした」

2人で見た夢を一緒に追い掛けた街、ボストン。ここに約20年ぶりに戻ってきたことで、石川さんは自分自身の原点に戻れた。

「昔のこと、若かったころのことを思い出しながら、楽しんで走れました。タイムを気にせず、沿道の人とハイタッチをしながら。それでゴールしたら、なんだか吹っ切れたような気がします。これが原点だなって。ダメな時でも、心にゆとりを持って、それを楽しもうと。前は無理やりにでもそう思おうとしていましたが、今は心からそう思えるようになりましたね」

石川さんは今、心からランニングを楽しんでいる。50歳を過ぎて、ますますその魅力に引き込まれているようだ。

「なんで自分は走るんだろう?って、自分でもいろいろと理由を考えたこともあるんですが、結局、やっていて楽しいから、好きなことだから。それに尽きると思います。そのおかげで自分に自信を持てるようになった。ダメだなと思う時期も、ランニングがあったから乗り越えることができたんだと思います。

たまたま私は走ることに夢中になりましたが、好きなことを楽しめていると、仕事にも家庭にもいい影響が出てくる。全部がうまく回っていれば楽しいですし、楽しめていればいつも笑っていられる。それが大事なのかもしれないですね」

夢中になる。まさにスポーツの原点ともいえる楽しみを、40歳を過ぎてから見つけた石川さん。以前は「“生まれ変わったら”泳げるようになりたい」と少し消極的だったが、走り始めてからはチャレンジする気持ちになり、泳げるようになった。今ではトライアスロンもたしなんでいるそうだ。

彼女の人生はランニングと出会ったことで大きく変わった。

It’s never too late――.
何かをするのに、遅すぎることなんてない――。

どんなことでもいい。夢中になれるものが見つかれば、人生はもっと幸せなものになる。

石川恵さんの笑顔は、それを教えてくれているようだった。

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写真提供:石川恵

ゆるすぽ編集部

ゆるすぽ編集部

“みんなでつくるスポーツニュース”をコンセプトにwebサイトを展開。(http://www.yurusupo.com/)ファン目線を大事にし、スポーツニュースで報道される以外のさまざまなスポーツネタをゆる~く紹介しています。「ボーダレス」にも記事を展開。

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