2月26日、11回目を迎えた「東京マラソン」が行われた。今年からボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークと同じ「アボット・ワールドマラソンメジャーズ」に昇格した車いすエリートの男子の部を制したのは、25歳の渡辺勝(わたなべ・しょう)だった。その渡辺と、リオデジャネイロパラリンピック金メダリストのマルセル・フグ(スイス)を挟むようにして、3位に入ったのが22歳、現役大学生の鈴木朋樹(すずき・ともき)だ。本番前、「日本人トップは譲らない」と語っていた渡辺と鈴木。その言葉通り、2人の若きランナーは、終始先頭集団の前方に位置し、「世代交代」を告げるかのような走りを見せていた。そんな彼らの明暗を分けたものとは――。
独走態勢なしの団子状態
9時5分、透き通るような青空から暖かな日が差し込む東京都庁前を、車いすランナーたちが号砲とともに勢いよくスタートした。優勝候補の筆頭は、やはりマルセル・フグが挙げられ、ランナーたちもこぞって「彼を中心にレースが展開される」とにらんでいた。

優勝候補の筆頭に挙げられていた、リオ金メダリストのマルセル・フグ。
スタート直後、先頭に立ったのは、やはりフグだった。毎年出場している大分国際車いすマラソン同様に、序盤から抜け出し、「独走状態」になることを、他のランナーたちは警戒していたに違いない。だが、東京マラソンは初出場ということもあったのか、フグはその後、自らアタックを仕掛けることはほとんどなく、時には先頭集団の後方へと下がる姿も見られた。
しかし、それは決して疲労困憊し、苦しんでいたからではない。表情や走る姿から、誰よりも余裕があったのは、フグであることは一目瞭然だった。マラソンのみならず、トラック競技も得意とし、800m、1500m、5000m、1万mの世界記録保持者でもある彼は、最後まで集団で行っても、スプリント力がものをいうゴール前の競り合いに絶対的な自信を持っていたに違いなかった。だからこそ、集団の中に潜み、余力を残していたのだろう。
また、渡辺と鈴木も、常に集団の前方を走り、時には先頭でレースを引っ張りながらも、余裕を感じさせていた。
レースは、ほぼフラットなコースが続き、アタックをかけようにも仕かけどころが少ないために、なかなか集団は小さくならなかった。西田宗城(にしだ・ひろき)、吉田竜太(よしだ・りょうた)、洞ノ上浩太(ほきのうえ・こうた)ら、日本人ランナーが何度かアタックをかける中で、1人また1人と、先頭集団からこぼれ落ちていったが、それでも最終的には、8人という大きな集団のまま、最後の勝負へと持ち込まれていった。
勝負のポイントとなった「石畳」での攻防
最後の「関所」として待ち構えていたのが、ゴールまで残り約1キロで現れる、数百メートルの「石畳」だった。ここでの走りが、勝負に大きく影響した。
真っ先に「石畳」に入ったのは、39キロ地点から先頭を走ってきた吉田だった。他のランナーたちがややスピードを緩めながらコーナーを回るのに対して、吉田は一人いち早く加速し、後続を引き離しにかかった。
その吉田の「飛び出し」を許すまいと、最初に猛追したのが鈴木だった。鈴木は、石畳の後半で吉田をとらえ、先頭に立った。さらに、鈴木の後ろにはフグ、そして渡辺が続いた。実はこの時、鈴木と渡辺との間には、大きな「差」が生まれていた――。

ラスト1キロで現れた難所、「石畳」の攻防で先頭に立った鈴木。
通常の道よりも体への負担が大きい石畳の上を先頭で走り、しかも後ろにはピタリとリオの金メダリストがついている状態で走らなければならなかった鈴木にとって、やはり負担は大きかった。鈴木は、肉体的にも精神的にも消耗し始めていた。
一方、渡辺は偶然にも「後退」したことがプラスとなっていた。実は、石畳に入る前のコーナーで、勢いよく内側を走ろうとする他のランナーたちとの接触を怖れ、渡辺はひとり大きく外側を回っていた。そのため、石畳に入った時には、集団の最後尾近くまで位置を下げてしまったのだ。
「ここで躊躇していてはダメだ」
前方で吉田を捉えようとする鈴木やフグの姿を見て、そう思った渡辺は、一気に加速し、彼らを猛追した。
2人に追いつくやいなや、渡辺はそのまま先頭には上がらず、2人の後ろにピタリとついた。実はこの判断が勝機の分かれ目となった。必死に先頭を走る鈴木とは裏腹に、渡辺は後ろを走ることによって、最後のひと勝負のための余力を残すことができたのだ。渡辺自身、レース後に「ここで少し休めたことが大きかった」と語っている。
そして、石畳の終盤、渡辺はギアをトップに上げて満を持して先頭に立つと、最後のコーナーを回った。そして、東京駅をバックにし、前方には皇居が構える130mの直線を走り抜け、勢いよくゴールテープを切った。その瞬間、渡辺は右の拳を突き挙げた。それは実に4年ぶりに出た、心の底から湧き出た喜びを示す“真のガッツポーズ”だった。

最後のコーナーでついに集団を振り切り、ゴールまで勢いよく走り抜けた渡辺。
一方、鈴木は石畳で予想以上に体力を消耗してしまい、石畳が終了すると同時にトップギアに入った渡辺に先頭を譲らざるを得なかった。さらにその渡辺のスパートにいち早く気づき、スピードアップしたフグと吉田にも追い抜かれ、2人に前方を塞がれた状態となった鈴木は、すぐに渡辺を追うことができなかった。
それでも鈴木は、最後のコーナーを回ってからの直線で吉田を抜き去り、3位に浮上し、フグの後を追うようにしてゴール。「日本人トップは譲らない」と語っていた2人が、ともに表彰台に立つという快挙を成し遂げた。

左から、2位のフグ、優勝した渡辺、3位の鈴木。
若手の活躍で「新時代の幕開け」の予感
渡辺にとって価値ある勝利だったのは、スプリント力という点で、“世界一”のフグと、今や国内では随一といわれている鈴木との競り合いを制したことだ。特に、同じ20代の若手である鈴木とは、互いに実力を認め合いながら「絶対に負けたくない相手」でもある。
「トラック競技の800mでは、(鈴木)朋樹の方がタイムは上ですが、こういう競り合う中でのスプリント力ということにおいては、僕も譲るつもりはありません。そういう意味で、朋樹に勝ててうれしいですね」

ゴール後、喜びを爆発させた渡辺。
レース中、渡辺と鈴木は何度も目が合ったという。特にアイコンタクトをとったというわけではなく、お互いの様子を探っていたというのだ。それほど強く意識し合っていたということなのだろう。久しぶりに鈴木とレースを共にした渡辺は、「楽しくて仕方なかった」と語った。
一方、鈴木は「今回ようやく若手が優勝したけれど、それを(渡辺)勝君に譲っちゃったのは、本当に悔しいですね」と語った。「マラソンがメインではない」と言う鈴木だが、それでも今回の結果を踏まえて「4月のロンドンマラソンには、もう少し体調を合わせて臨みたい」と語るところに、アスリートには不可欠な「負けず嫌い」の一面が顔をのぞかせていた。
大会前、渡辺と鈴木はそろって東京マラソンへの思いをこう口にしていた。
「リオに出たメンバーには負けられないし、そろそろ“世代交代”というところを見せたい」。
まさに「有言実行」と言っていいだろう。さらに彼ら2人のみならず4位には30代の吉田が入り、同じ30代の西田も、最終的には7位という結果に終わったが、今大会で最も積極的に先頭を走り、レースを牽引した。昨年、パラリンピック出場が叶わず、悔しい思いをした彼らの活躍が目立った大会でもあった。
「2020年に向けて、若手の力を見せつけるという意味では、『世代交代』の姿を見せることができたかなと思います。これからのレースでも、こうした若手の風を吹かしていきたいですね」
鈴木のこの言葉に、「新時代の幕開け」の匂いが感じられた。
2017年は、新たな歴史が刻まれるシーズンとなるのかもしれない。

「新時代の幕開け」を象徴する走りを見せた、渡辺勝(右)と鈴木朋樹。そのまなざしは、力強く、頼もしい。
(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)