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April 21 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

世界で勝つために不可欠な「メカニック」の存在

男子車椅子バスケットボール日本代表のメカニックを務める、上野正雄

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定して以降、国内では急激にパラリンピック競技のメディア露出が増加し、認知度も高まってきている。今回は、そんなパラリンピック競技をはじめとする障がい者スポーツを陰ながら支えている人たちの存在にスポットを当てたい。パラリンピック競技の中でも、高い人気を誇る車椅子バスケットボール。この競技に欠かすことのできないのが「メカニック」という職人だ。選手たちが安心して試合に集中し、自らの実力を出し切ることができるのは、彼らの存在が重要な要素のひとつとなっている。果たして、「メカニック」とはどんな役割を果たしているのだろうか。

 見て・触って・聞いて、わかるバスケ車の状態

昨年のリオデジャネイロパラリンピックに出場した男子車椅子バスケットボール日本代表にスタッフの一人として帯同したのが、メカニックの上野正雄(うえの・まさお)だ。彼は、開会式翌日から6日間にわたって続いた「戦いの日々」を、選手たちと共に過ごし、支え続けた。

メカニックの仕事は、長時間に及ぶ。試合中に起きたトラブルへの対処はもちろん、試合前後には大きなトラブルが発生しないように、選手たち一人ひとりの「バスケ車」と呼ばれる競技用車椅子の状態をチェックし、メンテナンスを行う。開場時間とともに体育館に入り、閉場時間ぎりぎりまで残ることもしばしばで、まさに「朝から晩まで」の仕事だ。

「まずは試合前の練習があるので、その前にタイヤの空気圧が毎日一定に保たれているか、不具合が生じていないかなど、全選手のバスケ車を点検します。チェックする箇所は全部です。パイプ1本1本を、ネジひとつひとつを、目で見て、手で触って確認します。そして、試合前のアップが始まると、走る音に耳を傾けます。そうしてバスケ車に異常をきたしていないかを聞き分け、試合中に起こり得ることを想定して、いろいろと部品などを準備しておくんです。試合後は一人体育館に残って、翌日のためにメンテナンスをします」

車椅子バスケのメンテナンス

バスケ車の音に耳を傾け、部品のひとつひとつと丁寧に向き合う。

メカニックという存在は、車椅子バスケの選手たちにとっては「当然」ではない。ふだんの練習では、大きなトラブルを除いて、基本的なメンテナンスは選手自らが行っている。日本選手権などクラブチームとして出場する試合では、大会スタッフとして「修理班」が常駐することがほとんどだが、その場合も選手自らが異常に気付いて修理を依頼することが前提となる。

実は、車椅子バスケの日本代表チームにメカニックが帯同するようになったのは、つい最近のことだ。ロンドンパラリンピックまでは、スタッフの人数制限もあり、メカニックを帯同させることができず、大会期間中にトラブルが起こった場合は選手や他のスタッフができる範囲で処置を施し、それでもダメな場合は諦めるしかなかったという。

初めて車椅子バスケの日本代表チームにメカニックが帯同したのは、2014年、韓国・仁川で行われた世界選手権だった。実はこの時、派遣元は日本車椅子バスケットボール連盟(JWBF)ではなかった。車椅子メーカーの松永製作所が、社員である上野を出張させたのだ。

松永製作所は、日本の車椅子バスケットボール界において大きなシェアを誇っている。昨年のリオデジャネイロパラリンピックに出場した日本代表12人のうち、8人が同社のバスケ車を使用しているほどだ。ふだんの国内大会にも、よく「修理班」として同社の社員が出向している。

しかし、国際大会にまで社員を派遣するというのは前例のないことだった。それも、松永紀之(まつなが・のりゆき)代表取締役社長は、ほとんど迷うことなく二つ返事で承諾したというのだ。その理由を、松永社長はこう説明する。

松永製作所の松永紀之代表取締役社長

メカニックとして社員である上野の派遣を快諾した、松永製作所の松永紀之代表取締役社長(撮影:斎藤寿子)

「これは先代の考えでもあったのですが、お金のためだけに働くというのはつまらないと思うんです。やっぱり、人は夢や『社会の役に立っている』というプライドを持つことが大事で、それこそが働く意義だと思うんですね。そういう意味で、スポーツというのは最もわかりやすいかたちだと思うんです。例えば、弊社が作った車椅子によって、選手たちが世界に挑戦することができる。それは我々メーカーにとっても誇りですし、障がいのある人たちが『障がいや環境に合う道具さえあれば、何でもできるんだ』という気持ちになるきっかけにもなるはずです。さらに、ひいてはビジネスチャンスが広がることにもつながるわけで、非常にいいプラスのスパイラルになる。小さい会社ですから、『なんぼでも出せる』というわけではありませんが、できる範囲のことは協力していこうと。世界選手権への派遣は、その一環だったんです」

「エース」の危機を救ったメカニックの存在

実は、その世界選手権では上野がいなければ出場すら危ぶまれた選手がいる。日本のエースであり、当時キャプテンでもあった藤本怜央(ふじもと・れお)だ。

日本人の中では最も高さのあるセンタープレーヤーで、最大の得点源である藤本は、当然、相手から厳しくマークされる。インサイドに入れば、2、3人が彼を囲むことは珍しくはない。そのため、相手と激しく接触することが多く、バスケ車にかかる負担は他の誰よりも大きい。そんな藤本のことを上野は、「彼は日本人で一番の壊し屋」と笑う。

しかし、世界選手権で上野が目にした藤本のバスケ車の状態は、笑えるようなものではなかった。

「現地入りした最初の点検の時に、怜央のバスケ車にいくつかヒビが入っているのを見つけたんです。小さなものではなく、少しでも衝撃を受ければ、一発でアウトだなというものでした」

いつもなら、海外遠征の時にはスペアのバスケ車を持っていく藤本だが、その時に限って持ち込んでいなかった。すぐに日本に連絡をし、送ってもらうように手配はしたものの、いつ届くかはわからなかった。そのため、早急の修理が必要だった。しかし、まだ大会が開幕していなかったために会場にはメーカーが不在で、肝心の溶接機がなかった。

大会スタッフに事情を言うと、親切にも上野をメーカーへと送り届けてくれた。そのため、上野は溶接機を借りて無事に修理をすることができ、事なきを得たが、もし彼が帯同していなければ、藤本は何試合か欠場した可能性も否めない。「あの時は、上野さんがいなかったらと思うと、ぞっとします。上野さんには感謝の気持ちしかありません」と藤本は語る。

昨年のリオデジャネイロパラリンピックでは車椅子バスケットボール男子日本代表のメカニックを務めた、上野正雄

世界に挑む日本代表チームにとって、上野らメカニックの存在は大きい。

役割も責任も大きいメカニック。だからこそのやりがい

このことからも、やはり選手たちがそれぞれふだんからバスケ車をチェックすることが、いかに重要かということがわかる。上野もミーティングなどで、そのことを伝えているという。もちろん、選手たちも理解しているし、実行に移している選手も少なくない。

しかし、やはり限界はある。それは上野も承知だ。

「ふだん会社で車椅子の図面も引いている僕と、選手たちとでは気づくことに差があることは確かだし、だからこそ僕らメカニックの役割が必要なんだと思っています」

世界で勝つための要素としても、メカニックの存在は不可欠だと語るのは、アテネ、北京、ロンドン、リオと4大会連続でパラリンピックに出場しているベテランの藤井新悟(ふじい・しんご)だ。

「自分が乗るバスケ車ですから、やはり選手自身が見ることは大事だと思います。ただ、小さな傷やヒビなどは、やはり気づかないことも多いんです。それをメカニックはすぐに気づいて対処してくれる。それに、世界の強豪と戦う中で、試合途中にバスケ車が壊れた場合、選手たちで処置しなければいけないとなると、それだけ試合に集中することができず、戦力が失われるということにもなる。チームとしても、選手としても、これ以上のストレスはありませんし、それでは世界に勝つことはできません。でも、上野さんがいる大会では、安心して思い切り戦うことができる。言ってみれば、メカニックは僕たちチームの気持ちをも支えてくれる存在でもあるんです」

その後上野は、JWBFからの正式な依頼として日本代表チームのスタッフとなり、リオの出場権がかかった2015年アジアオセアニアチャンピオンシップ、2016年リオデジャネイロパラリンピックと、選手たちを支え続けた。つまり、上野は日本の車椅子バスケ界におけるメカニック第一号となったのである。

その上野は今、後輩へと引き継いでいきたいと考えている。

「正直、たった一人で全選手のバスケ車を見るというのは、とても大変だし、責任の重さを考えると怖さもあります。でも、だからこそパラリンピックという舞台での仕事は、とても大きなやりがいがありました。後輩たちにもぜひ経験してもらいたいと思っています」

パラリンピックには多くの人たちの支えがある。そして、パラリンピックは多くの人たちに刺激を与えている。4年に一度の舞台には、そんな多くの「人」の存在がある。

 

昨年のリオデジャネイロパラリンピックでは車椅子バスケットボール男子日本代表のメカニックを務めた、上野正雄

選手が試合に集中して臨めるように、メカニックたちが支えている。

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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