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October 21 2015 By 向 風見也

伸びやかな堀江翔太が「厳しさ」を覗かせたのは、ワールドカップ開幕前だけだった?

堀江翔太は大阪府吹田市出身の29歳。ラグビー日本代表の副将だった。主将を務めるパナソニックでは、ロビー・ディーンズ監督に「ファンやメディアがわからない、グラウンドの外でも素晴らしいリーダーシップを発揮してくれた」とたたえられたことがある。

有形、無形のコミュニケーションを通し、確固たる意志を示す。

具体例を求められると、本人はこの調子である。

「あぁ…。プレーヤーを代表して、スタッフに意見を投げかけられるようにしたいと思いました。それもすべて聞いてくれというのではなく、どうするかはロビーさんが決めてくれ、とも。若手が休みたいとか遊びたいとか言っていたら、ロビーさんには『これはイエスと答えなくていいけど、耳だけに入れておいて。そう考える選手もいるから』と伝える。それで、次にその若手と会った時は『一応、言っといたから』と」

トークイベントにゲストとして出る直前は、「お客さんは、俺らの話が聞きたくて集まってくれているんやで? チームメイトと話す感じで行ったらええやん。記者会見とかと違うんやから」と共演する選手の緊張をほぐす。開会後は観覧席にいる長女の美乃(よしの)ちゃんに笑顔を向けたまま進行を忘れ、「あ、すいません」と頭を下げ、人を和ませる。ちなみにディーンズ監督との「伝えといたから」のやりとりは、その「記者会見」で明かしている。

伸びやか。実際は細やかな心配りを重ねているのだろうが、それでも、伸びやかに映るのだ。

 

堀江が珍しく緊迫感を覗かせたのは、8月下旬のことだった。自身2度目の出場となるワールドカップが、間近に迫っていた。

「より一層、皆の勝ちたいって思いが強くなってきたかもしれないですね。コンディション的にもよくなってきたと思いますよ。休み過ぎず、やり過ぎずってところは、コーチが調整してくれている」

活字に起こせばいつも通りの談話でも、その記録音声からは普段の柔らかさが伝わらない。自らも認めていた。

「まぁ…日本を代表してるんで。そこらへんをメディアの皆さんにくみ取っていただけたら、と。あえて」

2011年、ニュージーランド大会を未勝利で終えた。13年からの2シーズンは、南半球最高峰のスーパーラグビーに挑んだ。そして15年の2月に首へメスを入れ、大舞台でのリベンジに備えていた。堀江が普段と違った面持ちでいるのは、自然なことだったのだ。

「僕のなかでもプレッシャーというか、結果を残さなければならないという思いはある。それを伝えるには、言葉だけじゃなくそういうこと(声の質などの変化)も必要かなと。ふふふ。いつもっぽくないですけど」

 

10月3日、ミルトンキーンズはスタジアムmk。最前列中央に立つフッカーの先発要員として、堀江がサモア代表に挑んだ。

有形、無形のコミュニケーションを通し、確固たる意志を示す。

自らの気質を、プレーに落とし込んだ。

前半3分、相手の出方を分析して臨んだスクラムを「分析通り」と感じるや、一緒に組んでいた仲間に問いかける。

「どう?」

「イケる。相手が疲れてきたら、勝負」

方向性を確認し、21分、敵陣ゴール前左中間での1本を押し切った。相手の塊を崩し、ペナルティートライを決めた。最終的には26―5のスコアで白星を挙げた。

「ただ問題を言うんじゃなくて、どうすればその問題を解決するかを整理して、わかりやすいように話してきた」

普段の堀江の大らかさについて、ジャパンやパナソニックでともに戦う同級生の山田章仁はこう話したことがある。

「負けず嫌いを内に秘める感じは、あるかもしれないですね。連戦が続いた時、チームが気を遣って堀江をメンバーから外すことがあった。それはきっと休養に近い感じだったけど、あいつはショックを受けてるっぽかったし」

この日の堀江は、燃えさかる負けん気を冷静なブレインストーミングに繋げたのである。結局、予選プールBでの戦績を3勝1敗で終えた。

「練習の質を上げて、そのなかでビッグゲームをひと試合、ひと試合、経験してきたのが大きいかな、って。僕自身も、成長を止めたくないな…ってとこですね」

いつしか、普段通りの口調で実感を語るようになった。

ラグビーW杯1次リーグ スクラム組む稲垣ら  日本―スコットランド 前半、スクラムを組む(左から)山下、堀江、稲垣=グロスター(共同)

ラグビーW杯1次リーグ スクラム組む稲垣ら  日本―スコットランド 前半、スクラムを組む(左から)山下、堀江、稲垣=グロスター(共同)

 

器用さを売りにする。前傾した姿勢とフットワークで相手の防御網をこじ開けたり、思い切り突っ込むと見せかけて飛び出すタックラーの背後へ球を蹴ったり。力任せのプレーが通用した学生時代から、力任せなプレーをしてこなかったのだ。

それでも「まだコーチじゃないし。押し付けたりするのはあかん」と、あまりプレースタイルを誇示せずに来た。かような人間性が手伝ってか、大会終了後に「(日本代表の)ディフェンスには僕のエッセンスが入っていた。ミーティングで言うとディフェンスコーチにアレなんで、グラウンドで話しながらやって(仕上げて)いった」と振り返っても、軋轢や造反とは無縁に受け止められた。

あの日、美乃ちゃんを抱えていた妻の友加里さんは、堀江の幼馴染みでもある。ややふっくらしていた少年が「180センチ、104キロ」のアスリートになったのを見て、「ラグビーが大好きな子がそのまま大人になったよう」と話していた。

「誰かが辞めろと言うまでは現役でいたい。そこに楽しい試合があるんやったら、出たいですよね」

有形、無形のコミュニケーションを通し、確固たる意志を示す。

変わらぬままで、4年後の自国開催のワールドカップへも出場したい。

 

向 風見也

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1982年富山県生まれ。2006年に独立し、ラグビーライターとして「ラグビーマガジン」「ラグビーリパリパブリック」「スポーツナビ」などの雑誌やwebサイトで寄稿。書籍の執筆や構成、イベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著複数。

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