4月21日~30日の10日間にわたって、ニュージーランド・オークランドで開催された「ワールドマスターズゲームズ(WMG)2017」。4年に一度の祭典に、世界100カ国以上から約2万8000人のスポーツ愛好家たちが集まり、熱戦と交流が繰り広げられた。そこにはさまざまなスポーツの「かたち」があり、世界共通文化であるスポーツの可能性の大きさが映し出されていた。今大会に参加した日本人は約380人。その中に、過去の自分に終止符を打つために一人でオークランドに乗り込んできた青年がいた。吉澤隆央(よしざわ・たかお)、34歳。サラリーマンとして多忙な日々を送る中、彼はこの大会のために仕事を調整し、トレーニングを積んできていた――。
再開した水泳。「やるからには徹底的に」
「思い切りレースを楽しむことができました」
今大会、3種目5レースにエントリーした吉澤は、最後のレースを終えた直後、そう言って、これ以上ないというほどの満面の笑みを見せた。その表情は、一点の曇りもない「達成感」に満ち溢れていた。

最後のレース、100M自由形を泳ぎ切った吉澤。達成感に笑顔がはじけた。
吉澤が、WMGへの参加を決意したのは、約1年前のことだった。きっかけは、「ダイエット」。30歳を過ぎたあたりから健康を意識するようになり、減量の方法として思いついたのが昔やっていた水泳だった。そこで、スポーツクラブに通い始めたのだ。
水泳を再開した時、ふと頭に浮かんだのが父親の言葉だった。
「父はとても厳格な人で、いわゆる『ひと昔前の頑固親父』そのものでした。そんな父は『やるからには、きちんと目標を立て、それに向かって努力し、成し遂げる人間になりなさい』と。だから、いつも何かするたびに『目標は何だ』と聞かれていたんです」
父親は、8年前に他界した。今では1年に一度、その年に達成したことを墓前で報告するのが恒例となっている。
そこで吉澤は、2017年の目標を再開した水泳でWMGに参加することとした。そして昔、果たすことのできなかった「ある姿」を空の上の父親に見せようと考えた。

借りを返す、そして夢をかなえる。吉澤は、ワールドマスターズゲームズをその舞台として選んだ。
「本気」にさせた高2のインターハイ
吉澤にとって「水泳」は、スポーツにおける唯一無二の存在と言っても過言ではない。実は、どちらかというとスポーツは苦手で、小学校時代まではできるだけ避けてきたという。しかし、そんな中、唯一好きだったのが水泳で、中学校では水泳部に入った。「好きこそものの上手なれ」といわんばかりに、やればやるほどタイムも伸び、ますますのめりこんでいった。
高校入学後も、水泳部に所属。2年生の時には、インターハイのリレー候補5人のメンバーに入り、練習にも一層力が入った。しかし、本番のレースで泳ぐことができるのは4人。1人は補欠としての帯同で、リレーメンバーのうち持ちタイムが5番目だった吉澤は、ただひとりプールサイドでチームメイトの勇姿を見つめるほかなかった。
「応援しながら、やっぱり悔しい気持ちはありました。『来年こそは、絶対にこのインハイの舞台で泳ぐ』。そう心に誓ったんです」
その後、吉澤は練習量を増やし、新しいことにもどんどんチャレンジしていった。
「人と同じことをやっていても、ダメだと思った」という吉澤は、時間を有効に使おうと、通学をもトレーニングの一環とした。
吉澤の実家は、すぐ近くにスキー場があるような山奥にあり、それまで高校へはバスで片道30分ほどかけて通学していた。しかし、インターハイ後、通学手段をバスから自転車に替えたのだ。
「片道1時間半ほどかけて、学校に行っていました。途中、山道のアップダウンがあって、いいトレーニングになったんです」
ふだんは温和な性格の吉澤に、初めて「本気」の火がついていた。
トレーニングの成果はすぐに出たという。みるみるうちにタイムが伸び、1年後、吉澤は水泳部で3番目の位置にいた。リレーメンバー入りは確実で、個人でもインターハイ出場を狙っていた。ところが――。

絶対にインハイの舞台で泳ぐ。強い気持ちで予選に臨んだ吉澤だったが――。
父親の気持ちも乗せて泳いだWMG
インターハイの県予選、まずは初日にリレーが行われた。持ちタイムでは、吉澤たちはインターハイ出場が確実視されていた。
第1泳者は唯一の1年生。将来を嘱望されていた後輩の泳ぎを、吉澤たち3年生は祈るようにして見つめていた。まずまずの泳ぎを見せる後輩の姿に、第2泳者の吉澤はスタート台で集中力を高めていた。ところが、残り5mのところで、突然、後輩が泳ぎをやめ、立つというアクシデントが起きた。いったい何があったのか。
「よほど緊張していたのだと思います。泳いでいる最中に水を飲んでしまって、もうどうすることもできなかったんです」
それでも再び泳ぎ始め、ゴールにたどり着いた後輩に続いて、吉澤はスタートした。そして、4人全員が泳ぎ終わった後、会場に流れる「失格」のアナウンスに、「やはり」と肩を落とした。
「後輩が立った時点で、失格になることはわかってはいたのですが、それでももしかしたらと思って、とりあえず泳いだんです。もちろん後輩のことを責める気持ちは、誰にもありませんでした。ただ、『終わったんだな』と……」
一方、個人種目では県大会は突破したものの、インターハイの出場権がかかった北信越大会で、吉澤は足がつるというアクシデントに見舞われ、力を出し切れずに終わった。結局、吉澤は一度もインターハイで泳ぐことは叶わなかった。
落胆していたのは、吉澤本人だけではなかった。実は、父親は全国大会の舞台で息子の勇姿を見ることを、何よりも楽しみにしていた。
「僕ら子どもの前では、そういうことは絶対に言わなかったのですが、母親が『ああ見えて、あんたが泳ぐの楽しみにしているんだよ。近所や親せきの人にも『応援に行く』って言ってるんだから』って教えてくれたんです」
しかし、残念ながらあと一歩のところでインターハイ出場を逃した息子のことを思い、父親は一度もその話題に触れなかったという。口では言わなくても、残念に思っている父親の気持ちは、吉澤にも痛いほど伝わっていた。WMGにエントリーしたのは、そんな父親の思いもあってのことだった。
実際、WMGに参加してみると、想像以上の本気度に驚いたという。だが、出社時間を早めてまでトレーニングの時間をつくってきた吉澤にとって、その方がやりがいを感じられた。
「みんなスポーツを楽しもうと、緩い感じなのかなと思っていたら、僕らの年代は結構みんな本気なんですよね。レース前の招集所なんか、空気が張り詰めていて、誰一人として話さず、集中を高めていたりするんです。僕も『負けないぞ』という気持ちで臨みました」
最終日、メインとしていた100m自由形のレースに姿を現した吉澤は、ふだんの温和な表情とは全く違う、鋭い目をしていた。スタートの合図とともに、勢いよく飛び込んだ吉澤。大柄な欧米のスイマーたちの中、ひときわ小さな体の吉澤が懸命に泳いでいる姿は眩しく見えた。

スタート前の吉澤。鋭い眼光でコースを見つめる。

号砲と共に勢いよく飛び込む。

楽しみながら、懸命に泳ぐ吉澤。

ゴールと共にタイムボードを見あげるも…。
結果は6位。前日、50m背泳ぎでの銅メダルに続いてのメダル獲得とはならなかったが、吉澤の表情は晴れ晴れとしていた。
「いつもは後半になるにつれて苦しくなっていくんですけど、今日のレースはスタートからゴールまで、ずっと楽しかったです。本当に、やり切ったなという気持ちでいっぱいです」
そして、こう続けた。
「でも、目標タイムを切ることができなかったことは、やっぱり悔しい。なので、4年後の関西大会も目指します!」
再スタートを切った吉澤の水泳人生は、これからも続いていく。
(文/斎藤寿子、写真/James Yang)