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May 25 2017 By 小林 香織

スポーツに宿る無限の可能性ータイの児童養護施設でサッカーによって生まれた「揺るがない絆」(前編)

バーンロムサイ

タイの首都バンコクから北に飛行機で約1時間。歴史的な寺院やエレファントキャンプ、ナイトバザールなど、観光はもちろん、物価が安く移住先としても人気の高いチェンマイに降り立った。

ここチェンマイのナンプレー村には、HIVに母子感染した孤児たちの生活施設として1999年に開園した「バーンロムサイ」があり、25人の子どもたちが共同生活を送っている。このホームに、2009年、「ロムサイFC」と名付けられたサッカーチームが発足した。

バーンロムサイ

練習に励むロムサイFCの子どもたち

子どもたちの生活にサッカーが加わったことで、目に見える劇的な変化があったという。「実際に子どもたちに触れ、ホームを設立した代表の名取美和氏、そしてサッカーチームの監督であるダム氏に、直接サッカーにまつわるエピソードを伺いたい」、その強い願いから筆者はバーンロムサイに足を運んだ。

「受け継いだ命のバトン」。運命的な縁により児童養護施設を創設

バーンロムサイ

「バーンロムサイ」の代表・名取美和氏

タイで最初にHIVの患者が確認されたのは1984年。その後、数年間でゲイの人々やドラッグユーザーの注射器の使い回しを中心に感染が拡大、1990年頃には売春行為によって母子感染が広がり、社会問題に発展した。当時のHIV感染者の多くは、職を失い家族からも孤立し、誰にも看取られることなく、たった一人で亡くなっていったという。

タイ政府のHIV対策により、患者数の著しい増加は歯止めがかかったものの、強い社会からの偏見は残ったままだった。さらには夫から感染しわが子にも母子感染させてしまい、引き裂かれるような思いを抱えたまま、幼い子どもを残し息絶えた母親も少なくなかった。そんな母親らの代わりに「子どもたちを育てられる施設をつくりたい」と、1999年に児童養護施設を設立したのが、日本人の名取美和氏だ。

当時、名取氏はヨーロッパと日本を往復しながら、撮影コーディネイター、通訳、カメラマン、デザイナーなど幅広く活躍しており、社会貢献事業とは無縁だった。だが、ボランティア活動に従事していた友人に付き添い、1997年にチェンマイでHIV感染者に出会ったこと、そして彼らと関わりを持ったことによって、思いもよらぬ展開が生まれた。

「当時のHIV感染者たちは、経済的な問題に加え差別や偏見と、非常に厳しい状況下に置かれていました。なかでももっとも苦しい状況に追い込まれていたHIV孤児たちを守りたいと思い、試行錯誤していたところ、かの有名なジョルジオ・アルマーニ・ジャパン株式会社がHIV感染者の支援を買って出てくれたのです。まさに運命のような出会いにより、同ブランドの支援のもと孤児院設立にいたりました」(名取氏)

バーンロムサイ

緑豊かな木々に囲まれたバーンロムサイ

土地探しに人員手配、コンセプトやルールの作成など膨大な課題を一つ一つクリアし、児童養護施設の代表となった名取氏。最初は、HIVに母子感染した12人の子どもを引き取り、事業がスタートした。しかし半年が経った頃から、子どもたちが次々とAIDS(エイズ)を発症し亡くなっていく。

開園から3年で10人の子どもが命を落とした。亡き母親から預かった尊い命を守ることができず、名取氏がどれほど悔しさを募らせたか計り知れない。10人目の子どもを亡くしたとき、彼女は成人のために開発された抗HIV療法を取り入れることを決断する。

「大人のために開発された薬を服用することで子どもたちにどんな副作用が出るか、また、一生薬を飲み続ける環境を保証することができるのか、散々悩みましたが『もうこれ以上犠牲者を出したくない』、その一心で抗HIV療法をスタートしました。それから誰一人、子どもは亡くなっていません。不安が拭えたわけではありませんが、これは著しい進歩でした」(名取氏)

北タイの伝統を生かしたものづくり、コテージリゾートの経営で自立を目指す

名取氏は寄付だけに頼らず、自立した施設の運営ができるよう、いくつかの事業を開始した。その一つが「hoshihana village(ほしはなヴィレッジ)」と名付けられたコテージリゾートの経営だ。hoshihana villageは「将来子どもたちの職業訓練や仕事場となれば」との意向に賛同してくれた支援者たちにより、寄付されたものだ。

バーンロムサイ

ジョルジオ・アルマーニ・ジャパン株式会社の寄付によりつくられたプール

7棟のコテージが並ぶ敷地内には宿泊者が利用できるプールがあり、開放的な雰囲気で人気を集める。2009年に公開された邦画『プール』のロケ地として、この場所が利用されてからは、日本人をはじめ韓国からの宿泊者も増えているという。

バーンロムサイ

hoshihana village内のショップには、刺繍が美しいアイテムが並ぶ

そして、もう一つのメイン事業が、チェンマイ産の布や少数民族の古布、手織りの布などを使用した「ものづくり事業」だ。元々、雑貨のデザインや西洋骨董店の経営に携わっていた経験がある名取氏は、敷地内に縫製場をつくり、自身が指導にあたり職人を育成。

バーンロムサイ

筆者もお気に入りの柄の財布を購入

その努力のかいあって、バーンロムサイではクオリティの高い一点ものの財布や、ファッションアイテムが売れ行き好調だ。hoshihana villageにあるショップとネットショップで販売しており、ホームの運営を支える主力事業となっている。

元は果樹園だったこの場所は、バナナなどの果物の木やタイの国花であるラーチャプルックなど自然に囲まれており、鳥の鳴き声が最高のBGMになっている。なかでもホームの由来となった、大きなカジュマルの木は一層目を引く。

バーンロムサイ

バーンロムサイとは、タイ語で「カジュマルの木の下の家」を表す。力強く大地に根を張った大きなカジュマルの木は、暑さをしのぐ日陰であり、雨宿りの場にもなる。そんなカジュマルの木のように、子どもたちが安心して暮らし、学び、遊べる場でありたい。それがバーンロムサイの由来だ。

子どもたちの可能性を開きたい。サッカーチームの結成により見えた光

バーンロムサイ

ホームでは、丈夫な体をつくり免疫力を高めるため、そして子ども一人一人の可能性を開花させるために、さまざまな取り組みが行われている。なかでも2003年に元サッカー選手のダム氏が、ボランティアスタッフとして加わったことから始まったサッカーの活動は、バーンロムサイの子どもたちにとって、前進への大きな原動力となった。

ダム氏は大学卒業後、タイのプロサッカー選手となりバンコクでプレー、その後、チェンマイに移りプレーヤーの傍ら、聴覚障害者を対象とする特別支援学校の教師として体育の授業を担当するという二足のわらじ生活に。そんな彼がバーンロムサイと関わりを持った背景には、悲しい出来事があった。

「バーンロムサイの子どもたちにサッカーを教えたいと思った一番のきっかけは、私をかわいがってくれた大好きな伯父がAIDSで亡くなったことです。『これ以上、HIVの犠牲者を出したくない。サッカーに熱中し希望を抱くことで、子どもたちの病の発症を防ぐことができるはずだ』。そんな気持ちから、ホームに出向きました」(ダム氏)

バーンロムサイ

ロムサイFCのダム監督

ほどなくして、ダム氏はボランティアスタッフから正式なスタッフとなり、子どもたちの父親代わりとなった。徐々にサッカーに夢中になり、毎週土日の練習を心待ちにする子どもたち。彼らを笑顔に導くのみならず、サッカーはこれまで決して超えられなかった壁を、いとも簡単に超えた。

それまで、ホームには見えない防波堤があるかのように、外部からの訪問者は皆無だった。しかし、サッカーの練習を始めたことで、サッカーに興味を持った地域の子どもたちが防波堤を軽々と飛び越え、「一緒に練習がしたい」とホームに足を踏み入れてきたのだ。

バーンロムサイ

ともに6歳のヌックニックとチョーク。カメラを向けるとこの笑顔

2009年には、地域の子どもたちも交えてサッカーチーム「ロムサイFC」を結成。ともに練習を重ねるなかで、ホームの子どもたちと地域の子どもたちには確かな絆が生まれ、あれほど根強かったHIVへの差別や偏見は嘘のように消えていた。

「ホームの子どもが飲んだペットボトルの水を、地域の子どもたちも気にせずに飲むようになった光景を見て、涙が出るほどうれしかった」と名取氏は語る。このエピソードを聞いて、スポーツに宿る無限の可能性を見た気がした。

 

後編に続く

バーンロムサイ:http://www.banromsai.jp/

(取材・文:小林 香織)

小林 香織

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1981年、埼玉県生まれ。2014年ライターデビュー。本名とペンネーム「恋する旅ライターかおり」を使い分けながら、WEBメディアを中心に、【働き方、ライフスタイル、旅、恋愛、スポーツ】など幅広く執筆。東京を拠点に、ときどき国内外を旅しながら旅と仕事を両立している。ライターとして叶えたい夢は、人生の選択肢を提供することで、誇れる人生を選びとれる人を増やすこと。地球上にあふれるトキメキをありのまま届けること。

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