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June 02 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

史上初「高校生独立リーガー」、NPB入りへの挑戦 ~滋賀ユナイテッドBC・渡辺明貴~

夏の甲子園を目指す「高校球児」がいる一方で、高校3年生にして、プロとしての道を歩み始めた「高校生独立リーガー」がいる。渡辺明貴(わたなべ・あき)だ。彼は、独立リーグ・BCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)に今シーズンから新球団として加わった「滋賀ユナイテッドBC」に所属する投手。最大の武器は、186センチの長身から繰り出す角度あるストレートで、5月には早くも先発の一角に入っている。現在、通信制高校に通う渡辺。「高校生」と「独立リーガー」の二足の草鞋を履きながら、NPB入りを目指す渡辺にインタビューした。

BCリーグ「滋賀ユナイテッドBC」でプレーする渡辺明貴

通信制高校に通いながら、BCリーグ「滋賀ユナイテッドBC」でプレーする渡辺明貴

将来性を感じさせた「ストレート」

5月22日、ジャイアンツ球場で行われた巨人三軍との試合、渡辺にとって3試合目となる先発登板だった。結果だけを見れば、その日の渡辺のピッチングは「好投」と言えるものではなかった。4回1/3を投げて、被安打8、与四球3、失点4。ストレートの球速も、平均して130キロ台半ばと、最速144キロの彼にとっては、球が走っていなかった。

試合後、本人も「今日はまったくダメでした。球速も出ていなかったし、四球も多かった。なにより先頭打者を出してしまったので、これからの課題です」と反省しきりだった。

しかし、光るものは確かにあった。最も印象に残ったのは、2回裏、2死一塁の場面、フルカウントからの6球目のストレートだ。球速こそ137キロだったが、低めにビュンと伸びる威力ある球だった。打者はこれを打ちにいくも、球の威力に押されて前に飛ばすことができず、ファウルにするのが精いっぱいというように見えた。

その一球に「おっ」と思った瞬間、記者室の後部座席から、野球関係者のこんな声が聞こえてきた。

「楽しみな存在だなぁ」

発展途上の17歳。今の彼には、伸びしろしかない。

それにしても、高校3年の彼が、なぜ独立リーグに入ることになったのか――。

BCリーグ「滋賀ユナイテッドBC」でプレーする渡辺明貴

滋賀ユナイテッドBCで目を輝かせてプレーする渡辺だが、ここに至るまでには、苦しい道のりもあった

離れて感じた野球への強い思い

実は彼は、高校1年の時、一度人生を見失ったことがあった。物心ついた時から野球が生活の一部だった渡辺。実家の山梨県を離れ、静岡県の高校に進学したが、さまざまな事情で高校を中退した。その時、彼には何も残っていなかったという。

「あの時は、『もう、いいや』って感じで、野球も、そのほかすべてのことに対しても投げやりになっていたんです」

その時の渡辺は、もう野球をするつもりはなかった。幼少時代から生活の最優先にあった野球への情熱は、自分にはもう完全になくなったと感じていた。

しかし、日が経つにつれて、沸々とわいてきたのは、やはり野球への思いだった。

「やっぱり、自分には野球しかない。野球をとってしまったら、自分には何もなくなってしまうじゃないか」

そんな思いにかられ、もう一度、渡辺は自分のいるべき場所に戻りたいと思い始めていた。

そんなある日、地元の社会人クラブチーム「山梨球友クラブ」に所属する知人が声をかけてくれた。

「一緒に野球をやらないか」

もちろん、渡辺に迷いはなかった。すぐに、加入することを決め、「第2の野球人生」を歩み始めた。

復帰したばかりの頃、渡辺には特に目標はなかった。しかし、続けていくうちに「やるからには上を目指したい」という向上心が生まれてきていた。ある日、その気持ちをチームに誘ってくれた知人に話すと、こんな答えが返ってきた。

「独立リーグのトライアウトを受けてみたらどうだ?」

実は、その知人は元独立リーガー。同クラブから四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団し、NPBを目指した保延佳享(ほのべ・よしゆき)だった。

同クラブからは、ほかにも独立リーグに行った選手がいる。深沢和帆(ふかざわ・かずほ)だ。彼は、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズに入り、2年目に巨人から指名を受け、NPBにまで到達した投手だ。そんな過去の事例からも、独立リーグは、上を目指す渡辺には何よりの道だと思えた。

「まさかの出来事」だったトライアウト合格

昨年11月、渡辺はBCリーグのトライアウトを受けた。しかし、その時は合格するとは思っていなかったという。テストでは、当時の自己最速である138キロをマークし、自分なりに力は出し切ったという手応えはあった。だが、周囲を見ると、自分よりも体が大きく、パワーのある選手はゴロゴロいた。とても自分が合格できるとは思えなかった。

半ば諦めていた渡辺は、ドラフトの当日も、普通に過ごしていたという。ネットで中継を見たり、ホームページで結果を確認するようなことはしなかった。

「もし、指名されたら電話が来ると言われていたのですが、まぁ来ないだろうなと思っていました。だから特に緊張したり、ネットをチェックするようなこともしなかったんです」

すると、父親の思いがけない言葉が耳に入ってきた。

「おい、指名されたぞ!」

父親は気になって、ドラフトの結果をインターネットでチェックしていたのだ。渡辺もすぐに確認すると、滋賀の指名リストに自分の名前があった。しかも、「新規球団優先枠2位」。球団が真っ先に指名した2人のうちの1人だったのだ。

今季からプレーイングマネージャーとして滋賀の指揮官を務めている元阪神の上園啓史(うえぞの・けいじ)監督は、こう語る。

「トライアウトでの彼のピッチングは良かったですよ。もちろん、まだまだのところはたくさんありますが、それでも将来性は十分にあるなと。その部分を見越しての指名でした」

こうして今春、渡辺にとって新たな「挑戦」が始まったのだ。

BCリーグ「滋賀ユナイテッドBC」でプレーする渡辺明貴

上園監督も太鼓判の将来性を秘めた、渡辺

NPBへの道は「1年1年が勝負」

「今の渡辺選手にとって、野球はどんなものですか?」

ありがちな質問だが、どうしてもその答えが知りたくなり、率直にぶつけてみた。すると、彼は少し考えてから、こんなふうに話をしてくれた。

「正直言うと、これまで僕は厳しい父の指導の下、ただやらされていただけだったと思うんです。それこそ、最初の頃は嫌々やっていたところがありました。でも、一度その野球から離れてみて初めて『あぁ、やっぱり自分には野球がないとダメだな』と思ったんです。それで、社会人クラブでやった時に、すごく野球が楽しかった。今は、自分の意思で野球をやっているという感じがしています」

渡辺家にとって、野球をするのはごく当然のことで、子どもの頃は父親に厳しく指導を受けたという。渡辺にしてみれば、「野球をしないという選択肢は考えられなかった」。その頃は、指導を受けるばかりで、父親とはほとんど「対話」をしなかったが、今ではよく野球の話をするようになったという。渡辺の方から相談することも少なくない。野球が、親子のコミュニケーションツールとなっているのだ。

「確かに昔の父は厳しくて、つらかったこともあったけど、父がいなかったら、野球を教えてくれていなかったら、今の自分はいません。今、一番感謝しているのは、父なんです」

その父親に、滋賀に入団する際、言われたことがある。

「自分は何のためにここにいるのか、そのことをちゃんと考えて過ごすんだぞ」

渡辺はその言葉を片時も忘れてはいない。

「練習でも試合でも、家に帰ってからも、その言葉を思い出して、自分がここにいる意味を考えるようにしています」

その答えは、ただひとつ。「NPB入り」だ。だからこそ、一日も無駄にするつもりはない。

彼は言う。

「僕は若いからといって、2年目、3年目にとは思っていません。1年目からNPBに行くつもりでやっています。だって、人間どこで何があるかわからないですからね。ケガをしたらおしまいですし、いつチャンスが巡ってくるかはわからない。だから、1年1年が勝負だと思っています」

最大の武器であるストレートは、昨年11月にマークした138キロから、今では144キロにまでアップしている。スピードとキレ、いずれもさらに磨きをかけ、NPB入りを果たす。今の渡辺には、それ以外にない。

「中退してから、悔しいこともたくさんありました。あの時は、本当につらかったし、人生投げやりになっていました。でも、今はそういうことがあったからこそ、ここにいるんだと思えるようになりました。いろいろと支えてくれた人たちもたくさんいるので、感謝の気持ちを持って野球をやっています」

渡辺明貴、17歳。国内史上初の「独立リーガー」は、今、しっかりと自らの足で野球人生を歩んでいる。

BCリーグ「滋賀ユナイテッドBC」でプレーする渡辺明貴

まっすぐな渡辺の目は、力強く、希望に満ちている

(文/斎藤寿子、写真/吉村もと)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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