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June 16 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

「スポーツ」は「日常生活」の延長 ~義肢装具士・大野祐介、藤田悠介~

スポーツ義足における日本の第一人者と言えば、臼井二美男(うすい・ふみお)だ。自ら創設した切断障がい者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」(7月1日から「スタートラインTOKYO」に改名)からは、パラリンピック出場選手も輩出している。その臼井と同じ(公財) 鉄道弘済会義肢装具サポートセンターに勤め、ともに30代の大野祐介(おおの・ゆうすけ)と藤田悠介(ふじた・ゆうすけ)もまた、パラリンピックを目指す選手たちをサポートしている。彼らに共通してあったのは、「日常」だった。

スポーツ義足は患者の望みをかなえるためのひとつのツール

義肢装具士の大野祐介

大学時代に「義肢装具士」の存在を知った大野祐介

鉄道弘済会に勤めて今年で11年目に突入した大野。初めて「義肢装具士」という職業を知ったのは、大学時代だった。当時、大野はUNESCOやNPO団体など、国際機関での仕事に就きたいと考えていて、大学4年の時にはフィールドワークでフィリピンを訪れ、ボランティア活動を行ったこともある。その時、スラム街では足を切断した人が物乞いをしていたりする光景を目の当たりにしたという。

さらに帰国後にホームレスのシェルターに行くと、そこには両脚義足の人など、補装具を使って生活している人たちがおり、義肢装具士の姿もあった。

「そこで初めて、病気やケガをした人に補助具を作って、サポートする仕事があるんだ、ということを知ったんです。そして、フィリピンでの経験によって、そこで補助具がなくて困っている人たちが世界にはたくさんいる、ということも知りました。そうした中で、国と国という大きな枠でというよりも、人と人とのつながりの中で社会貢献したいという思いへと変わっていきました。体の一部を作る仕事というのは、まさに人と人。そういう部分で、自分の中でいろいろとつながるものがあって、義肢装具士になろうと思いました」

大学卒業後、お金をためるために1年以上の会社勤めを経て、24歳で養成校に入学。3年間の勉強を経て、鉄道弘済会に入社したのは27歳の時だった。

入社後、大野が「スポーツ」に関わるようになったのは、ごく自然な流れだったという。身近な先輩の中に、本格的に競技をしている選手の義足を作ったり、あるいは陸上の練習会を開いたりしている存在がいたからだ。

だが、聞けば、大野にはスポーツ義足だけへの特別な思いはない。あくまでも、患者さんの望みを少しでも可能にすることが自分の役割だという大野。スポーツ義足はその一つでしかない。

「例えば、『義足になって、走ることは諦めていました』というような人に、スポーツ義足を履くことによって、風を切る気持ち良さを思い出してもらったり……。そういうスポーツへの垣根が低くなって、気軽に走るきっかけを増やしていきたいなと。私がスポーツに関わっているのは、そういう裾野を広げていくサポートがしたいという思いからなんです」

義肢装具士の大野祐介

気軽に義足でスポーツをするきっかけを増やしたいと語る大野

スポーツ義足を作るようになってから大野が知ったのは、スポーツが持つ力だ。

「例えば、それまでは自分が義足を使用しているということを人に言えなかった人が、スポーツ義足を履いて走れるようになってから、周りの人に堂々と義足だということを言えたり、短パンを履いて外出するようになったりする人もいるんです。走れたこと、つまりそれまでできなかったことが、できるようになることが、その人の自信につながっているんだなぁと感じています」

義足作りは「可能性の創造」

一方、今年入社9年目となる藤田が、初めて「義足」を知ったのは、兄でパラ自転車競技のトップアスリート藤田征樹(ふじた・まさき)が事故で両脚を切断し、義足を履くようになったことがきっかけだった。とはいえ、「義肢装具士」という存在自体は、当時はほとんど知らなかった。

義肢装具士の藤田悠介

義肢装具士の藤田悠介。兄は、パラ自転車競技のトップアスリートだ

そんなある日、高校3年生で進路を決めかねていた藤田が、進路指導室で偶然見つけたのが「義肢装具士」のことが書かれた本だった。

「それまでは親に勧められていた理学療法士になるために、大学進学を考えていたんです。でも、それもなんとなくな感じだったんですね。そんな時に義肢装具士という職業があることを知って、『あ、これだ』と思ったんです」

もちろん、兄のことで義足自体が藤田にとって身近だったこともあった。と同時に、藤田自身がモノづくりが好きだったこともある。

「やっぱり兄の影響は大きかったと思います。それこそ、兄が義足を履くようなことがなければ、きっと義肢装具士にはなっていなかったでしょうからね。兄に対しては、ぼんやりと『何か自分にできたらなぁ』とは少なからず思っていて、そういう思いと、自分が好きなこととがピッタリとはまったんです」

養成校での3年間を経て、2009年に鉄道弘済会に入社。大野と同様に、身近な先輩の影響で、自然とスポーツにも関わるようになっていったという。ただ、基本的なスタンスは、やはり大野と変わらない。

「根底にあるのは、やはり『患者さんのため』ということ。義肢装具士として、そこは忘れてはいけないと思っています。そういう意味でも、まずは日常生活をきちんと行えるようにすることが、自分たちの仕事。スポーツはその延長にあると思っています」

藤田が特に大事にしているのは、コミュニケーションだ。「患者と義肢装具士」というよりも「人と人」とのつながりを重視している。そして、藤田自身にとっても、コミュニケーションの場が「憩いの場」となっている。

義肢装具士の藤田悠介

「人と人」とのつながりを大切にしている、藤田

「僕は結構、病院に行って、患者さんと話をするのが好きなんです。『こうしましょう、ああしましょう』と義足についてやりとりをするのも、ただ単に病室で世間話をするのも、僕にとってはすごく楽しい時間なんです」

「スポーツは日常生活の延長」という考えは、臼井が大事にしていることでもある。

「まずは患者さんに義足を適合させて、納得してもらえる技術を培わなければ、より要望の強いスポーツ選手に応えることはできません。それと、結局は人と人との付き合いですから、『共に歩んでいく』ということができる人でなければ難しい。スポーツで活躍させるというよりも、その人の可能性を創造できるような義足作りのひとつがスポーツ、という考えが大事。大野君も藤田君も、そういうことができる人たち。だからこそ、僕は彼らに期待しているんです」

スポーツ義足の第一人者、臼井二美男

スポーツ義足の第一人者、臼井二美男。臼井の思いは、若い世代に確かに引き継がれている

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定して以降、「障がい者スポーツ」というと、パラリンピックを目指すトップアスリートにばかり目がいきがちだ。そして「義足」といえば、「競技力向上」に注目がいく。しかし、それは実際にはほんの一握りの数でしかない。

義足の根底にあるのは、あくまでも「日常生活」。それを支えているのが、義肢装具士である。

左から、義肢装具士の大野祐介と藤田悠介

(左から)大野と藤田。義肢装具士として患者に寄り添い、「日常生活」を力強く支えている

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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