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July 06 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

パラ金メダリスト・マセソン美季氏に聞く「日本と欧米との違い」

2013年9月に2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定して以降、パラリンピックや障害者スポーツに関して「知る・見る・触れる」機会は増えてきた徐々にではあるが、パラスポーツ・アスリートへの認知度・注目度も高まりつつある。しかし、一方で「障がい者」や「障がい者スポーツ」に対しては「欧米との違い・遅れ」を指摘する声があることも事実だ。では、具体的にはどのような「違い」があるのだろうか。そこで、今回は1998年長野パラリンピック、アイススレッジスピードレースで金3銀1の計4個のメダルを獲得したマセソン(旧姓・松江)美季(まそせん・みき)氏にインタビューをした。米国の大学に留学し、現在はカナダで暮らしているマセソン氏が実際に感じた「欧米」と「日本」との「違い」とは――。

長野パラリンピックで金メダリストとなったマセソン美季氏

長野パラリンピックで金メダリストとなったマセソン美季氏。その後、米国、カナダと海外生活は約20年におよぶ

健常者と障がい者とに分けない社会

大学1年の時に交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活となったマセソン氏。3年時に出場した長野パラリンピックでは1500mで世界新記録を樹立するなど、3度も世界の頂点に立ち、輝かしい戦績を残した。

大学卒業後は、パラ陸上競技と車いすバスケットボール の名門校で、これまで多くのパラリンピック選手を輩出してきた米イリノイ州立大学へ留学。そこで障がい者スポーツの指導者としての専門知識を学んだ。

イリノイ大学で最初に驚いたのは、「障がい者」に対する日本との「意識」の違いだったという。入学直後のこんなエピソードを紹介してくれた。

「日本では、障がいのある人がトレーニングをしたいと思った時には、『障がい者スポーツセンター』を案内されるのが普通ですよね。だから、イリノイでも『障がい者スポーツセンターはどこにありますか?』と聞いたんです。そしたら『そんなものはない』と言われました。『私の英語が通じなかったのかな?』と不安になっている私に、大学のスタッフはこう言ったんです。『なぜ、わざわざ健常者と障がい者を分けるような面倒なことをするの?』と。そうして案内されたのは一般の学生たちが使用しているジムだったんです」

約20年前、日本では障がい者や障がい者スポーツへの理解がまだまだ薄かった時代、米国、とりわけ「障がい者スポーツ先進地」と言われるイリノイ大学では、健常者と障がい者との間の垣根はほとんどなかった。

「日本で『共生』や『インクルーシブ』という言葉を耳にしたことはありましたが、いったいそれがどういうものなのかはイメージすることができずにいました。でも、この時初めて『あぁ、こういうことなんだな』と思ったんです」

大事なのは「モノ」ではなく「人」

イリノイ大学を卒業後、当時アイススレッジホッケーカナダ代表選手と結婚をし、カナダへと移住したマセソン氏。現在も首都オタワで家族4人で暮らしており、海外生活は約20年になる。

昨年1月からは、日本財団パラリンピックサポートセンターで推進戦略部プロジェクトマネージャーとしてパラリンピック教育や、国際貢献事業を手掛けており、現在カナダと日本を頻繁に行き来する生活を送っている。移動距離は、昨年1年間だけで16万マイルにものぼったという。そんな彼女の目に、現在の日本はどう映っているのだろうか。

「バリアフリーなど、施設の環境面では、以前と比べると、とても住みやすくなっていると思います。例えば、私が大学時代は、東京の都心でさえもエレベーターが設置された駅は少なくて、車いすの人は電車だけを頼りに行動することはできませんでした。でも今は、1日平均3000人以上が利用する駅にはエレベーターの設置などで、車いすでも利用できるようなルートが確保されています」

2013年に2020年東京オリンピック・パラリンピック開催が決定して以降、日本の「バリアフリー化」は、さらに加速している。街中を見渡すと、石畳や段差が多く、点字ブロックもほとんど目にすることのない欧米に比べれば、日本の方が障がい者に優しい街づくりが進んでいると言えるのかもしれない。

しかし、そうしたハード面の整備が、障がいのある人たちが「快適に暮らす」ことに必ずしも直結するわけではない。

昨年、マセソン氏は2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて、リオデジャネイロパラリンピックを視察した。彼女が現地で感じたのは、「人」だった。

「確かにリオは、競技施設も道も、バリアフリーが進んでいるとは言えないものでした。でも、そんなことは大したことではないんだなとあらためて思ったんです。障がいがあるとかないとか、そんなこと関係なく、誰でも気軽に声をかけてくれて、おしゃべりをしたり、何かあれば手伝ってくれる。それが普通にできる人たちだったからこそ、とても居心地が良かったんです。ハード面の不足部分は、人の温かさでカバーできることもあるんだな、とあらためて感じました」

現役時代、マセソン氏にとって初めての国際大会はノルウェーだった。「福祉先進国」とはいえ、彼女が訪れた田舎の小さな町は、「バリアフリー」というものは何一つなかった。しかし、そこでも「大変さ」は感じなかったという。

「『バリアフリー』どころか、『バリアフル』の環境でした。英語圏ではないので、言葉も通じなかったですしね。でも、どこに行ってもみんな親切な人たちばかりで、初めての海外遠征でしたが、ストレスを感じることなく過ごすことができたんです。『あぁ、バリアフリーというのは、モノの形ではないんだなぁ』と思いました」

翻って、日本はというと、マセソン氏はこう語る。

「もちろん、以前よりは障がい者に対する理解というのは深まってきていると思います。それは、とてもうれしいことです。ただ、ともすると、ハード面の方にばかり目がいきがちになっている傾向にあるのかなと。人と人との触れ合いという点においては、正直、以前とそれほど変わっていないような気がします。車いすに乗っている私に対する視線は、やはり『普通』ではないですよね。ジロジロと見る人もいれば、さっと視線をそらす人もいる。もちろん、欧米でもそういう人はいるけれど、ほとんどの人は『普通に』『気軽に』接してくれます。人に助けてもらう時もあるけれど、時には私がお手伝いすることもある。だからお互いに対等でいられるんです。でも、日本では私は『かわいそうな人』で、『助けてもらう人』と決めつけられてしまうこともまだ多いんです。だから日本に来たとたんに、見えない壁を感じて、残念ながら居心地が悪い時もあります 。対等でいられない気がして、すごく悲しいですよね」

認知拡大が急務の『I’m POSSIBLE』

しかし、ふだん街中で障がいのある人と触れる機会が非常に少ない現在の日本では、なかなか変化を期待することは難しい。「どう接していいのかわからない」という不安が、健常者と障がい者との間に壁をつくってしまっている一因になっているからだ。

だからこそ、マセソン氏が今、注力しているのが子どもへの「パラリンピック教育」だ。子どもたちがパラリンピックに対する知識を学ぶことによって興味を抱き、パラリンピックムーブメントの推進、障がい者や障がい者スポーツへの理解を深めることを目的としている。

今年4月には、国際パラリンピック委員会(IPC)公認の教材『I’m POSSIBLE』を全国の小学校と特別支援学校に配送した。教員用の授業ガイドが付けられており、障がい者スポーツに詳しくなくても簡単に授業で扱うことができるように工夫が凝らされている。

早速使用した教員からは「使いやすい」「わかりやすい」という声が多く届いており、開発に深くかかわったマセソン氏も教材の質の高さには自信を持っている。だが、残念ながら教材の存在自体を知っている教員は多くはないという。

「先日、東京都のある区で、小学校で体育を教えている先生方の集会に呼んでいただいて、パラリンピック教育のお話をさせていただいたのですが、そこで『I’m POSSIBLE』を知っている先生は180人中、わずか3人だったんです。教材を開発して、送り届けただけで終わらせるのではなく、ここからが大事だなとあらためて思いました。今後は教材を知ってもらい、実際に使ってもらうところまでいくにはどうしていくべきか、そこのところに力を入れていこうと思っています」

『I'm POSSIBLE』は、健常者と障がい者との間の壁を取り払うカギになるとマセソン氏は考えている。(撮影:越智貴雄)

『I’m POSSIBLE』は、健常者と障がい者との間の壁を取り払うカギになるとマセソン氏は考えている(撮影:越智貴雄)

2020年東京オリンピック・パラリンピックは「誰もが開催してよかったと思える大会にしたい」と語るマセソン氏。「日本の良さ」も、「欧米の良さ」も、そしてどちらの「課題」も、肌で感じている彼女には、日本で生活している私たちにはなかなかわからない「気づき」や「発想」がある。それは、日本が目指している「ソーシャル・インクルージョン」を実現するための大きな「ヒント」となるに違いない。

(文・写真/斎藤寿子)

 

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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