7月14日、「パラ陸上世界選手権」がロンドンで開幕する。舞台は、パラリンピック史上最大の盛り上がりを見せた2012年のロンドンパラリンピックと同じ「ロンドンスタジアム」(旧オリンピックスタジアム)だ。義足スプリンター高桑早生(たかくわ・さき)にとって、初めての「世界最高峰の舞台」となったのが、そのロンドンだった。高桑はそこで大観衆の中で走る喜び、そして世界と戦う厳しさを知った。笑顔と涙を見せたロンドンパラリンピックから5年。果たして、高桑はどんな走りをロンドンスタジアムで見せるのか。
ケガ復帰後のレースは「タイム」ではなく「内容」
6月10、11の両日、「パラ陸上日本選手権」が行われた駒沢オリンピック公園陸上競技場に、高桑の姿はなかった。実は約3週間前の5月21日、川崎市等々力陸上競技場で行われた「セイコーゴールデングランプリ陸上」で走り幅跳びをした際、途中で右脚を痛めてしまったのだ。診断は膝裏の肉離れ。幸いにも軽症ではあったものの、完治させるには3週間が必要とされた。日本選手権はそのちょうど3週間目にあたり、ようやく「走る」練習を再開したばかりというタイミングだった。そのため、高桑は日本選手権を欠場する決断を下した。それは、高校から本格的に陸上を始めて以降、初めての「ケガ」であり「欠場」だった。
聞けば、ケガをする前、今シーズンのメインとしてきた世界選手権に向けて、オフシーズンのトレーニングから磨いてきた走りは、順調そのものだったという。高野大樹(たかの・だいき)コーチは、世界選手権での高桑の活躍について確信に近いほどの期待感を持っていた。

今シーズン、好調をキープしていた高桑(2017年3月IPCグランプリシリーズドバイ大会)
本来ならその「本番」に向けて仕上げをしていく大事な時期に、高桑は3週間、走ることができなかった。ランナーにとって、それはあまりにも長い時間である。しかも順調にきていただけに、これまで積み上げてきたものが薄れていく不安に駆られることも少なからずあったに違いない。6月に入って練習再開後は、残された時間の中で状態をどこまで引き上げることができるのかが高桑に突きつけられた課題となっていた。
そんな中、世界選手権前の最後の実戦として臨んだのが、7月1、2の両日に町田市営陸上競技場で行われた「関東パラ陸上競技選手権大会」だった。結果は、100mは14秒14、200mは30秒51。タイムだけを見れば、自己ベストに遠く及ばず、決して納得のいく数字ではなかった。
しかし、率直な感想として、100mも200mも、予想よりはるかにいい走りをしていた。腕も脚も動いており、ゴール手前での失速も感じることなく、最後まで走り切っていたからだ。200mの最後は若干、腕と脚の動きにバラつきが見えたものの、それでも以前に見られたような、明らかなスタミナ不足からくる「バタバタ感」はまったく感じられなかった。
関東パラで見せた「跳ねる」走りの理由とは
ただひとつ、気になることがあった。昨年までの、体がブレず、まるで地面を這うような重心が低い姿勢で脚を回転させる走りとはまるで違い、「跳ねる」ような動きが目立って見えたのだ。一見、躍動感のある走りをしているようにも見えるのだが、地面を蹴り上げた力が上方向に逃げてしまえば、推進力を生み出すことはできない。果たして高桑は、その動きを意識的にやっていたのか否か。そして、もし意識的に行っていたとすれば、それは何を意味していたものなのか。
レース後、高桑に聞くと、意識してのものだったという。それは自分の癖を修正するためのものだった。高桑はどちらかというと地面へ力を加えようと意識するあまり、逆に地面から脚を離すタイミングが遅れ、脚が後方へと流れる傾向にある。そうすると、一歩一歩の距離が短くなり、「前へ前へ」という脚の動きが薄れてしまう。そのため、オフのトレーニングから意識していたのが、地面から脚を早めに離す動きだった。関東パラで見せた「跳ねる」動きは、その延長線上にあるものだったのだ。
2日間の日程を終えた高桑はこう語った。
「正直に言えば、練習を再開したばかりで走りこめていないので、関東パラでは単に『走るだけ』みたいになってしまうのかなと思っていたんです。でも、意外にきちんと走り切ることができたので、良かったです。ただ、走る量が不足しているからだとは思うのですが、まだ感覚的にかみ合っていない部分があるなという感じがしています」
最後の「かみ合っていない部分」という言葉が引っかかった。いったい、それは何なのか。そして、その要因をどうとらえているのか。それが、世界選手権でどんな走りをするのかにおける最大のカギを握っているように思われた。
そこで後日、高桑が練習拠点とする慶應大学の日吉グラウンドを訪れた。高野コーチとの二人三脚での練習の中、高桑は何度も首をかしげながら「何かがしっくりこない」という言葉を繰り返していた。あらためて聞くと、関東パラでは予想以上に走ることはできたものの、決して気持ちのいい走りではなかったという。その要因が何なのか、はっきりした答えはまだ見つかってはいなかった。そのため、通常であればオフシーズンに行うような基礎メニューをしていく中で、高桑は一つ一つの動きを確認する作業に追われていた。
出発直前に解明した「違和感」の要因
ようやく答えを導き出すことができたのは、ゴムベルトを使って負荷をかけるトレーニングをしている時のことだった。その日、練習を見ていた高野コーチは、高桑の義足側の脚が後ろに流れていることに気づき、その原因は地面に付く位置が後ろすぎるためではないかと考えた。まずは接地位置を確認しようと、ゴムベルトを使って負荷をかけるトレーニングを課した。すると、義足側の腰の位置が少し高かった。それでは股関節をうまく屈曲させて、体の中心から地面に力を加えることはできない。そこで、もう少し腰の位置を低くさせ、義足側の脚の接地を前に付くことを指示した。すると、「前へ前へ」という動きが出てきた。つまり、健足側に比べて、義足側の腰の位置が高く、接地の位置が後ろだったことが「違和感」となっていたのだ。
前述したように、高桑は脚が後ろに流れる癖がある。オフシーズンから、それを修正したことが要因のひとつとなり、走りに磨きがかかっていたのだろう。しかし、ケガで3週間走ることができなかったために、無意識に再び脚が後ろへと流れる動きが出てきてしまっていたのだ。
高桑は言う。
「義足側の脚を前に出すという動きは、まだ意識をしないとダメなんだということがわかりました。その方法として腰の位置を低くすることで、改善できることもわかりました。本番までに『違和感』の要因が何かが、自分の中でつかめて良かったです」
7月9日、高桑はロンドンへと出発し、本番まで現地で調整をしてきた。果たして、どんな感触を得てレースを迎えるのか。
今回、日本代表団のスタッフの一人として帯同している高野コーチは、出発前にこう語っていた。
「ロンドンに入ってからの調整が一番重要だと思っています。現地に入れば感じるものも違ってくるでしょうし、本番が近づくにつれてアドレナリンも出てくるでしょうからね。ロンドン入りして、グンと調子を上げてくる可能性は十分にあると踏んでいます」
高桑の大舞台での強さは、ロンドン、リオと2度のパラリンピックで実証済みだ。それだけに、高野コーチの言葉にはうなずける。
果たして、ロンドンの地でどんな走りを見せるのか。そして、そこで何をつかむのか。いずれにしても2020年東京パラリンピックに向けたひとつの足跡となる走りを見せてほしい。

世界のトップ選手たちが集結する「パラ陸上世界選手権」。2020に向けた、大きな一歩としてほしい。
(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)