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July 21 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

引退を考えたリオから新天地でのスタートへ ~車いすテニス・眞田卓~

2016年、車いすテニスプレーヤー眞田卓(さなだ・たかし)の頭には、少しずつある言葉が浮かび始めていた。「引退」の二文字だ。それが最も色濃くなったのは、リオデジャネイロパラリンピックを終えた時だった。メダル獲得を目指してきたが、3回戦敗退というふがいない結果に終わり、眞田の気持ちはほぼ固まりつつあった。しかし、彼はある出来事をきっかけに、現役続行を決めた。そして今、新たな道を歩み始めている。眞田の心を動かしたものとは――。

車いすテニスプレーヤ- 眞田卓

一時は引退も考えた眞田卓。車いすテニスプレーヤーとして今、新たな一歩を踏み出した――。

「引退」への道を進み始めた2016年

初出場を果たした2012年ロンドンパラリンピック、眞田は右肩を痛めていた。ステロイドを打たなければプレーすることができないほどの激痛が連日襲った。しかし、それでも眞田は「楽しくて仕方なかった」という。パラリンピックに出場することが目標だった彼にとって、本番はご褒美のようなものだった。何のプレッシャーも感じずに、眞田は思い切りぶつかるだけでよかったのだ。

ロンドン後、「次こそは」とリオデジャネイロパラリンピックでのメダル獲得を目指した。今度は、出場するだけでは自分も周囲も納得させることはできない。「勝たなければいけない」というプレッシャーが常につきまとった。

より一層、厳しいトレーニングを積み上げたかいあって、2013年以降は常にベスト10入りするほどにまでなった。だが、そこからがなかなか次のステージに上がることができずにいた。極端に成績が落ちることはなかったが、「現状維持」をキープするだけの自分に、眞田は納得することができなかった。

「もしかしたら、自分にはもうこれ以上はないのかもしれない……」

そんな気持ちが、眞田を無意識にも少しずつ「引退」の道へと向かわせていった。

車いすテニスプレーヤ- 眞田卓

「自分にはもうこれ以上はない…」苦しい練習の日々が続いた。

そして、自然と「リオで結果が出なければ……」という考えが、心を覆い始めていた。そのリオでの結果は、3回戦敗退。第1セットを2-6で落とした後の第2セットは、2-5から4ゲームを連取して6-5と形勢を逆転したものの、結局タイブレークの末に敗れた。追いついても、最後の最後に勝ち切ることができないというのは、眞田がずっと課題としてきたことだった。それがリオの地でも出てしまったことに、眞田はふがいなさを感じていた。

楽しかったロンドンとはまるで違い、リオはただただ苦しいだけだったという。その場で決断をしたわけではなかったが、それでも自分の中では引退はほぼ確実のように考えていた。パラリンピックでのメダルを目指して、4年間積み上げていく苦しみを味わった眞田には、東京までの4年間を簡単に決断することはできなかった。そして、何より好きなテニスを嫌いになることだけは避けたかった。だからこそ、自らの気持ちが引退の方向に進んでいくと感じていた。

「社会貢献」とリンクした「競技力向上」

帰国後、眞田は自然と「引退」の言葉を口にするようになっていった。家族やコーチには、「(11月の)全日本マスターズで引退しようと思う」と告げていたという。だが、実際の気持ちは複雑だった。

「全日本マスターズの結果次第では、自分の気持ちが変わるかもしれない……」

そんなふうにも思っていたのが、正直なところだった。

眞田の引退への気持ちを揺るがしたのは、帰国後のさまざまな出来事にあったという。ひとつは周囲から「引退するのはもったいない。まだ早いのでは?」という意見が多く聞かれ、まだ自分を応援してくれる存在のありがたさを感じたこと。そして、もうひとつは「現役選手だからこそできること」があると感じ始めていたからだった。

「最近では、さまざまなイベントや普及活動に呼んでいただけるようになって、そこでの子どもたちの反応を見ていると、世界のトップ10でいる自分だからこそできることがあるのかなと。そのことをリオ後にあらためて感じたのが大きかったんです。もちろん、引退をしてもできることはたくさんありますが、現役選手だからこそというところに、大きな意義を感じ始めていました」

眞田自身、パラリンピックを目指して本格的に車いすテニスを始めた際、国枝慎吾(くにえだ・しんご)や齋田悟司(さいだ・さとし)といった世界で活躍するプレーヤーの存在から得られるものは少なくなかったという。彼らの存在が、自らを眞田を世界の舞台へと引き上げ、そしてパラリンピック出場へと導いた要因のひとつとなったと考えている。

「子どもたちにとっては車いすテニスを始めるきっかけだったり、本気で世界を目指そうとする選手の後押しになったり……。そんな存在に自分もなれたらうれしいなと思うんです。自分がうれしいと思うことが、人の役に立てる、社会貢献になるのだとすれば、こんなに素晴らしいことはないなと」

そして11月の日本マスターズで連覇を達成した眞田は、優勝スピーチでこう語った。

「このマスターズで優勝できたことはとてもうれしいです。ただ、これがパラリンピックの悔しさを晴らすことにはなりません。やはり、パラリンピックでの雪辱はパラリンピックでしか果たすことができないので、次に向けて頑張りたいと思います」

車いすテニスプレーヤ- 眞田卓

悔しさを晴らす、そう誓った眞田の手は力強い。

それは、自然に出た「引退宣言撤回」の言葉だった。眞田自身も言い終わった後に、それが自分の素直な気持ちであることに気付いたという。やはり、リオは眞田にとって「不完全燃焼」だったのだ。そして、「完全燃焼」を目指して競技を続けることが社会貢献にもリンクしたことが、眞田の「東京への道」を後押ししていた。

2017年、眞田は凸版印刷に転職し、そしてラケットのメーカーもブリヂストンに替えた。よりテニスに集中できる環境を整え、そして用具開発にも携わっている。まさに「新天地」で競技人生を再スタートさせ、「競技力向上」と「社会貢献」への道を突き進んでいる。もう、迷いはない。2020年に向けて、今、眞田は充実した競技人生を歩んでいる。

車いすテニスプレーヤ- 眞田卓

眞田のまっすぐなまなざしには、2020年に向けて突き進んでいる力強さがある。

(文・斎藤寿子、写真・越智貴雄)

 

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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