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September 14 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

驚愕だった世界の成長スピード。こみ上げてきた「悔しさ」と「うれしさ」 ~デフ水泳・金持義和~

7月18~30日の13日間にわたって、トルコ・サムスンで開催された「第23回夏季デフリンピック競技大会」。日本選手団は、目標としていた15個を大きく上回る史上最多となる計27個のメダル(金6、銀9、銅12)を獲得した。その輝かしい成績に貢献した一人が、水泳の金持義和(かなじ・よしかず)、23歳。エントリーした7種目すべてでメダルを獲得してみせた。しかし、実際は予想以上にレベルアップしていた「世界」を目の当たりにした大会だったという。そんな世界との「これから」の挑戦に胸を躍らせながら帰国したという金持。果たして、彼は世界最高峰の舞台で、何を感じ、何を得たのか。

デフ水泳・金持義和

「第23回夏季デフリンピック競技大会」、全7種目でメダルを獲得した、金持義和(撮影/斎藤寿子)

「プレッシャー」と「不安」の中、迎えた開幕

「デフリンピック」とは、4年に一度開催される総合スポーツ競技大会で、聴覚に障がいのある選手たちの世界最高峰の舞台だ。4年前の2013年、金持はその舞台に初めて出場し、50m背泳ぎでは世界新記録で金メダルに輝くという鮮烈なデフリンピックデビューを果たした。

そのため今大会、金持に寄せられた期待は非常に大きく、23歳の背中にはこれまでに感じたことのないプレッシャーがのしかかっていた。それは体にも異変を生じさせていた。暑いはずのトルコで、周囲の誰もが半袖・短パンという装いの中、金持だけは「寒い」と言って長袖・長ズボンで過ごしていたという。特に風邪をひいていたわけでもなく、なぜ自分だけが寒く感じているのか、原因は定かではなかったという。

さらに、金持は不安を抱えながら開幕を迎えていた。今年1月、車を運転中、信号待ちをしている際に後ろから車に衝突され、金持は軽いむち打ちとなった。3週間の休養を余儀なくされ、本格的に練習を再開したのは2月のことだった。本来ならば、デフリンピックに向けて「進化」の過程をたどっているはずだった――。

昨年10月、金持は練習拠点を大学からJSSエビススイミングスクール(大阪)に移した。国内トップスイマーを育てた実績を持つコーチの下、さらなる強さを得るための決断だった。練習メニュー、フォーム、そしてレースへの考え方などを変え、新たな挑戦の中で、金持は一歩一歩、成長している自分を感じていた。

「それまでの僕のフォームというのは、単に力づくで泳いでいて、レースも最初から最後まで全力で泳いでいたんです。それを無駄な動きをなくしたスムーズなフォームに改善し、レースにもオンとオフをつくることで、後半にもバテない泳ぎに変えていきました」

衝突事故に遭ったのは、その矢先のことだったのだ。

開幕までにできる限りのことをやってはきた。そして、以前よりは改善されてきたという手応えもつかんでいた。だが、それでもやはり、「途中段階」で開幕を迎えざるを得なかった。一抹の不安を抱えながら、金持は2度目のデフリンピックに臨んだ。

「まさか」の銅メダルに終わった50m背泳ぎ

最初のレースは、4年前に「世界の頂」に立った種目、50m背泳ぎだった。すると、予選で早くもロシア人選手が金持の4年前の栄光を打ち破り、27秒05の世界新記録でトップ通過を果たした。しかし、意外にもこの時、金持は冷静だった。

「世界記録が出たとわかっても、それは想定の範囲内の記録。僕自身は26秒5台を出すつもりでいたので、決勝では『勝てるだろう』と思いました。だから、特に焦ったりすることはありませんでした」

ところが、いざ決勝のスタート台に立った時、金持に襲い掛かってきたのは予想外の緊張だった。スタンドは空席を探すことが困難なほど観客で埋まり、これまでに経験したことがない異様な雰囲気に包まれていたのだ。金持は冷静さを取り戻すのに必死になっていた。

デフ水泳・金持義和

スタート前、予想外の緊張に襲われたという金持

結果は、目標タイムに遠く及ばず、27秒29で3位。電光掲示板に映し出された「3」という数字に、落胆した。

「プールの水温がとても冷たいというのは、海外ではよくあることですが、それが予想以上で、体が動かなかったこともあったと思います。できるだけ体を温めるようにして臨んだのですが、アップの調整がうまくいかなかった。でも、それだけでなく、やはり独特の雰囲気にのまれてしまった部分は少なからずあったと思います」

優勝したのは最大のライバルと見ていたアメリカ人選手。金持が「金メダルライン」と考えていた目標タイムを上回る26秒26という驚異の世界新記録を樹立しての金メダルだった。

本来の自分の泳ぎができなかったこと、そして予想以上にライバルが速くなっていたことに、金持はショックを隠し切れなかった。そんな彼を救ってくれたのが、翌日に行われた4×200m自由形リレーで、仲間とともに獲得した銀メダルだった。

「第23回夏季デフリンピック競技大会」

4×200m自由形リレーで銀メダルを獲得し、チームで喜びを分かちあった(右から2番目が金持)

「みんなと一緒に泳いで、メダルを獲得することができて、すごくうれしかったんです。それで、『あぁ、自分はプレッシャーばかりを感じて、泳ぐ楽しさを忘れていたな』ということに気付きました。そのおかげで、個人種目に対しても気持ちを切り替えることができました」

デフ水泳・金持義和

チームメイトを応援する金持(中央)。リレーを通じて、泳ぐ楽しさを再確認した

「ぶっつけ本番」も、練習の成果を感じた200m背泳ぎ

大会3日目、個人種目2種目目となった200m背泳ぎは、金持にとって最も自信のなかったレースだった。実は、1月に休養して以来、タイムトライアルなど200mのレースを想定した練習は一度もすることはなかった。そのため、「ぶっつけ本番」に近く、正直言って、金持にとっても「未知」の部分があった。

ところが、結果は自己ベストにほど近い好タイムでの銀メダル。前半の100mターンの時点では4位だった金持は、後半にじわじわと追い上げ、150mを3位でターンした。そして、最後の最後にもう1人をかわし、2位でタッチしたのだ。

デフ水泳・金持義和

粘り強い泳ぎで、「未知」だった200m背泳ぎで好記録をマークした

50mに続いて世界新記録で優勝したアメリカ人選手との差は約6秒と大きく離されたが、それでも金持は自分自身に手応えを感じていた。

「これまでは前半の100mが1分00秒、後半が1分7秒という感じで、後半で一気にタイムを落とすことが多かったんです。でも、今回は前半が1分3秒、後半が1分4秒。僕自身は、リラックスして泳ぐことを心掛けていただけで、前半がそんなに遅いとは思っていなかったのですが、周囲は普段よりも遅い前半のタイムを見て焦ったそうです。後半はさらに落ちるだろうと。でも、実際はほとんど落ちなかった。もちろん、きつかったですけど、自分でも粘り強く泳ぐことができたと思います。それで一度も出したことがなかった1分4秒を出せたというのは、練習の成果が出たということだと思います。自分自身もこれからが楽しみになりました」

その後、金持は4×100mメドレーリレーと100m背泳ぎで銀メダル、4×100m自由形リレーと混合4×100mメドレーで銅メダルを獲得した。

レベルが高いからこそ価値ある挑戦

「4年に一度の戦い」を終えた今、金持が思うこととは何なのか。

「水泳では男女ともに世界新が連発し、世界レベルの高さ、海外選手の成長度の速さを痛感させられました」

同じ男子背泳ぎで50m、100m、200mをいずれも世界新記録で3冠を達成した同世代のアメリカ人選手とは、4年前からライバルだった。前回大会では、金持が優勝した50mでアメリカ人選手が2位、そして100m、200mでは金持がアメリカ人選手に敗れて2位に終わった。だが、そのライバルとの差は、この4年で大きく開いた。前回、唯一勝っていた50mは記録を破られ、1秒差だった100mは2秒近くに、そして4秒差だった200mは6秒差という結果だった。

1月に休養を余儀なくされ、万全の状態ではなかったとはいえ、それでもやはりショックは大きかったのではなかったか――。その問いに、金持はこう答えた。

「正直、アメリカ人選手の成長スピードには驚きました。もちろん、彼との差が開いたことは悔しい。でも、一方でうれしさも感じているんです。やっぱり『世界の頂』というのは、簡単には手が届かないような高いところにあるから目指しがいがある。レベルが高ければ高いほど、それを塗り替えられた時に達成感を得ることができると思うんです。だから、そこに挑戦できる喜びを感じています」

デフ水泳・金持義和

「世界の頂」は、簡単には手が届かないからこそ、目指しがいがある。金持の表情は挑戦できる喜びに満ちていた(撮影/斎藤寿子)

その喜びの理由には、金持が目指すもう一つの「目標」がある。日本人トップスイマーたちが一堂に集結する日本選手権やジャパンオープンに出場することだ。高校時代はインターハイにも出場した実績を持つ金持にとって、それらに出場することはずっと抱いてきた目標でもある。

その参加資格を得るためには、各大会の参加標準記録を突破しなければならない。今ではデフ水泳界は、種目によっては日本選手権の決勝ラインに並ぶほどレベルが高くなってきている。つまり、デフで世界新を達成することは、ジャパンオープンや日本選手権への出場にもつながるのだ。

「僕が日本のトップスイマーたちと一緒に泳ぐことで、デフの水泳にも、より多くの方が興味を示してくれると思うんです。デフの魅力を感じてもらうためにも、いつかジャパンオープン、日本選手権に出場したいと思っています」

実は、オリンピックに出場したデフ・アスリートは数多く存在する。フェンシングでは、5大会連続でオリンピックに出場し、個人・団体を合わせて、金2、銀3、銅2の計7個のメダルを獲得したハンガリー代表をはじめ、メダリストもいるほどだ。金持と同じ水泳では、南アフリカのテレンス・パーキンがオリンピックとデフリンピックの両方でメダルを獲得し、デフ水泳界のレジェンド的存在となっている。しかし、日本人ではまだ一人も出てはいない。

現在の金持にとって、オリンピックはまだ遠い舞台である。まずは、その途中にあるジャパンオープン、日本選手権に出場すること。それが達成された時、その先の世界が見えてくるに違いない。

「日本人スイマーにとって、ジャパンオープンと日本選手権に出場したか否かでは、大きく違う。その大会に、耳の聞こえない僕が出ることによって、デフの印象を変えたいんです」

大きな志を持って挑戦し続けるスイマーのこれからに注目したい。

デフ水泳・金持義和

デフの印象を変えたい――。金持の挑戦は、これからだ

(文/斎藤寿子、写真提供/エイベックス)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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