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September 15 2017 By 斎藤寿子(さいとう ひさこ)

背中を押してくれた「ホームの力」~パラバドミントン・藤原大輔~

9月7日~10日の4日間にわたって、「ヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会」が町田市立総合体育館で行われた。国内では初めてとなるパラバドミントンの国際大会に、世界29カ国から約200人のトップ選手たちが集結。熱戦の末、3人の日本人選手が見事、シングルス優勝を達成した。そのうちの一人、藤原大輔(ふじはら・だいすけ)は、シングルスで過去一度も勝ち星を挙げることができなかった強豪を、準決勝、決勝と立て続けに破り、優勝。最大の勝因を「我慢」と語る藤原の熱戦を振り返る。

パラバドミントン・藤原大輔

「我慢」のプレーで強豪に粘り勝ちし、シングルス優勝を果たした藤原大輔

多忙なスケジュールも、狙い通りの予選1位通過

今大会、藤原は「超多忙」だった。シングルス、男子ダブルス、ミックスダブルスの3種目にエントリーした藤原は、予選リーグが行われた大会初日と2日目の2日間で、計9試合をこなした。特に最多5試合を戦い、接戦が多かった初日は疲弊し、翌2日目の朝起きた時には、体が重く感じたという。

それでも「予選を1位で通過するか、2位で通過するかでは大違い。必ず(シングルスは)1位で通過しなければいけない、という気持ちで戦った」。その結果、シングルスでは3戦全勝し、1位で通過。また、ドイツ人選手と組んだ男子ダブルスでも1位通過を果たし、順当に決勝トーナメントへと駒を進めた。

大会3日目、午前に行われた準々決勝は21-10、21-13と格の違いを見せつけるかたちでストレート勝ちを収めた。しかし、内容的には納得はしていなかった。ショットの精度が悪く、細かいミスが少なくなかったからだ。そのため、自らに「100点中50点」と辛口の評価を下した。

「次の準決勝が一番の山。体はしっかりと動いているので、もう一度集中していきたい」

そう言って、藤原は午後の準決勝に臨んだ。

その準決勝の相手は、世界ランキング2位で、過去の通算成績は0勝2敗のマノージ・サルカール(インド)。同じクラスの中でも、大腿義足を履く藤原よりも障がいが軽く、動きが速い。藤原が得意としているジャンプスマッシュなどの強烈なショットに対しての処理も巧みで、どんな球にもフットワークを使ってレシーブを返してくる。今年5月に対戦した時には、競り合うこともできずに完敗に終わっていた。

その相手に対して、藤原が考えていたことはただひとつ。「我慢」だった。

「どんな球にも食らいついて、相手が嫌になるまでコートに返し続ける。決して焦って勝負を急がずに、粘って粘って、チャンスがあればショットを打つというような試合をしたいと思います」

世界ランク2位を嫌がらせた「粘り」】

実際、試合は藤原がにらんでいた通り、長いラリーが続く「我慢」を要する展開となった。お互いに相手コートの奥深くに打つクリアショットを多用し、隙を突くようにしてネット際に落とすカットショットを織り交ぜ、またチャンスとあらばスマッシュを打っていく。勝負のタイミングが早まれば、たちまち相手に流れが行ってしまうことは明らかで、忍耐力が問われる試合となった。

出だしは、藤原が相手のミスもあり、4連続得点でリードしたが、藤原もカットショットをネットにかけるなどのミスが続き、7-7と追い付かれ、試合は振り出しに戻った。そして、ここからは1点を争う大接戦が続き、どちらも一歩も譲らない様相を呈した。

パラバドミントン・藤原大輔

激しい攻防戦に、声を出して自分に喝をいれ、集中力を高めた藤原

しかし終盤、18-18から、立て続けに藤原がネット際に落とした球を相手がネットにかけ、ゲームポイントを迎えると、最後はクリアショットの応酬による長いラリーの末に、藤原が意表を突くカットを放つと、シャトルがポトリと相手コートのネット際に落ちた。このショットを全く読むことができなかったのだろう。サルカールもラケットを軽くポンポンと叩くようにして称賛の拍手を送った。

しかし、藤原本人は、最後に3連続で自身が得点したことを覚えていなかった。

「18-18から3連続で取ったんですね。正直、全然覚えていないんです。どんなにリードしても、常に『まだひっくり返される可能性がある』と思いながらやっていて、自分の中では1点1点の積み重ねでしかなかったんです。いいショットを打とうとかは考えず、とにかく相手よりも1本でも多く返すことだけを意識しながらやっていました」

そして第2ゲームが始まると、今度は一転、早めに勝負するような展開へと変わった。藤原によれば、最初に仕掛けてきたのはサルカールだったという。「ラリー戦を避けるため」に、藤原が課題とするバックハンドへと狙いを定めてきたのだ。

一方、序盤でそのことを感じ取った藤原もまた、「このままでは押されていく」と考え、疲れ始めている相手に対し、クリアショットの中により多くのカットショットを入れることによって、前後に揺さぶる戦略をとった。

その結果、第1ゲーム同様に、インターバルとなる11点目に先に到達したのは藤原だった。すると、インターバルが解かれた後、再び長いラリーが続く展開となった。この時、藤原は徐々に勝利を確信し始めていた。

「またラリーが続くようになったのは、相手がもう早い勝負も嫌になったのだと感じました。その時点で、『よし、これはいける』と。というのも、長いラリー戦で1ゲーム目は取っていましたからね。相手が体力を消耗していることもありましたし、自信がありました」

その言葉通り、1点差を争う接戦だった前半とは異なり、後半に入ると、徐々に藤原がリードを広げ始めた。終盤、相手が世界ランキング2位の意地を見せるかたちで、19-13から3連続得点で3点差にまで追い上げるも、藤原が逃げ切るかたちでこのゲームも制し、ストレート勝ちで決勝進出を決めた。

パラバドミントン・藤原大輔

「我慢」を武器に世界ランキング2位のマノージ・サルカールに勝利し、笑顔がこぼれた

第1ゲームを落としてからの逆転劇

大会最終日、全種目の決勝が行われた。その中で、最後にコート上に登場したのは、藤原のクラスだった。決勝の相手は、藤原とはかなり体格差のある長身のダニエル・ベッスル(イギリス)。高い位置から放つ角度あるスマッシュが脅威の武器だ。また、サルカールと同じく、義足の藤原よりも障がいが軽いために、フットワークが良く、レシーブにも強い。

その強豪との決勝戦、第1ゲームは17-21で奪われてしまった。0勝2敗という過去の通算成績を見れば、このままストレート負けを喫することも十分に考えられた。

「相手のスマッシュを返すのもそうでしたし、特にシングルスで一番重要なネットショットを返すことができず、相手の思うツボでした。過去の敗戦と同じようなパターンの展開だったんです」

しかし、第2ゲームではコーチから「ネットショットに気を付けろ」という助言もあり、第1ゲームでやられていた相手のネット際に落とすショットにうまく対応したことが功を奏し、このゲームを藤原が21-19で奪い返した。勝負の行方は最終ゲームへと持ち込まれた。

第3ゲーム、相手は中盤から得意のカットショットでミスを連発し、天井を見上げたり、膝に手を置いて落胆するなど、徐々に集中力を切らし始めていたことは誰の目にも明らかだった。一方の藤原は、淡々とプレーする中にも、大事な局面で得点が入ると、気合の入った声を出したり、あるいは小さくガッツポーズをするなど、勢いを増していった。

案の定、藤原は6-6から6連続得点を奪ったのを機に、試合の主導権を握り、一度も追いつかれることなく21-14で最終ゲームを奪い、逆転勝ちで優勝を決めた。

実は、決勝戦の途中、藤原が弱気になった瞬間があった。第1ゲームを奪われた直後のことだった。

「自分のパフォーマンスの60%くらいしか出せていなくて、今日はちょっとやばいかなぁと思ってしまった自分がいました」

そんな藤原を救ったのが、「ホームの力」だった。

「海外での試合だったら、あのままズルズルいってしまったかもしれません。でも、今日はこれまでにないほどの観客が来てくれて、その大きな声援に背中を押してもらえた気がします。ホームの力はすごいなと思いました」

この日、義足を履いた左足の切断部分である断端部は、出血していた。激しい痛みにさいなまれながら、それでも藤原は「やるしかない」と集中力を切らさなかった。プレー中は痛みを感じていなかったという。ホームの声援が、藤原のアドレナリンの源となっていたのかもしれない。

パラバドミントン・藤原大輔

この日、義足と左足との接面からは出血もあったというが、藤原は驚異の集中力で乗り切った

さて、今年最も大きな大会が11月に控えている。世界選手権だ。その舞台に、藤原は大きな自信をもって挑むつもりだ。

「世界選手権の前に、必ずどこかで自分よりもランキングが上の選手に勝つということを目標としてきました。それを日本でかなえられたというのは、本当にうれしい」

現在、世界ランキング4位の藤原。今大会で同2位、3位の選手から初白星を挙げたが、真価が問われるのはこれからだ。次なるステージへと歩みつつある23歳から目が離せない。

パラバドミントン・藤原大輔

今年11月の世界選手権を前にランキング上位者を破った藤原の背中は、力強かった

(文/斎藤寿子、写真/越智貴雄)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

斎藤寿子(さいとう ひさこ)

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年からスポーツ専門Webサイトで記事を執筆。主に野球、バレーボール、テニスを担当。2011年から取材を始めた障がい者スポーツでは、パラ競技を中心に、国内大会をはじめ、2012年ロンドンパラリンピック、2014年仁川アジアパラ競技大会、2016年リオデジャネイロパラリンピックなどを取材。2015年からフリーライターとして活動している。

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